準備。

夫が娘に礼服を用意するように言ったそうだ。

特老に居る義母が 風邪の為食事が出来ず、点滴だけ受けているそうで、

今時は胃ろうする人も少なく、眠ったまま、自然に任せて終わりを迎える事が多いらしい、との事だ。

今日、娘と見舞いに行ったが、職員さんの声かけには反応したが、

私たちの呼びかけには反応なく、口を開けていびきをかいて寝ていた。

まだ痩せ細ってはおらず、顔色も良いし、持ち直す、と私は思った。

義母の部屋には 出雲大社の写真やイヌの写真がたくさん貼ってあった。

義父と並んで手をつないだ写真もあった。

夫は心の準備をしているようだ。

娘の成人式の家族写真もあった。

あの時はあんなに元気だったのに、義母の方が先にこんな状態になるなんて、誰も想像していなかった。

いつかはだれでもさよならをする時がくるけれど、

生きているとは愛おしいことだ。

義母の最期は自宅に帰れるだろうか。夫に聞いた。

一瞬たじろいで、無理だろうと言った。

自宅で最後を迎えるにも 家族の受け入れ態勢が整っていないと。

夕方、夫は義妹と話し合うと出かけて行った。

私はこの話し合いに参加することはないから黙っていた。

自宅で家族に囲まれて旅立つのは、今は贅沢な事なのかもしれない。

私の時はどんななのだろう。

身体が動くうちにしたいことしておこう。後悔の無いように。

生きるということは、死んでも後悔しないように日々をすごすことだ。

私は後悔しないように生きているか?

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