私はこの体をレンタルしている。

後8年で 私は母の年に追いつく。

それまでに、一通りの人生の片付けをしたいと思っている。

母は悪性リンパ腫で、弱ってから3カ月で亡くなった。

誰も母の死を想定していなかった。

様々な事があった。驚き、悲しみ、後悔、怒り。そんな感情の嵐の中で

手続きや片付けを虚無なままこなした。

後悔と虚無に飲み込まれ、何も分からなくなりながら、こどもたちがいたから、生きて、動いて、ご飯を作って、食べさせて学校に行かせてた。

こどもたちがいてくれたから 虚無の淵に飲み込まれても戻ってこれた。

今 私はこの身体を 大いなる誰かから恵んでもらって貸してもらって 生きている。

この身体に産んでくれたのは母と父だけど、私という意識がこの身体を得られたのは恵みだ。

この世を見てこい、自由に楽しんでこいと送り出してもらったのだ。

この時代の日本に生まれると言う事は 大いなるラッキーだと思う。

いつか、年老いて、この体をお返しする時が来る。

この身体はお借りしたものだ。お借りしたものはいつかお返しするものだ。

大事に使おう、体も命も。そして少しは誰かの何かの役に立ちたい。

お返しする時、誰にでもありがとうと伝えられたらいいなと思う。


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