反出生主義に関するノート -3 反出生主義の、主義としての特色

だいぶ間があいてしまった。

きょうは、反出生主義という思想の中身についてではなく、主義としてのというか、ハード面から反出生主義を見ていきたいと思う。

具体的には、他の「主義」と呼ばれるものとの違いについて考えてみたい。今回は書籍や文献をまとめた調査というよりは、私個人の考えをなるべく論理的に書くという感じなので、そういうのが苦手な方は読み飛ばされたし。

フェミニズムと反出生主義を比較する

反出生主義というのは、とても特異な主義だと私は思う。

どう特異なのかというのを考えるためには、他の主義との比較が必要だ。というわけで今回は、フェミニズム(女性解放主義)との比較を行いたいと思う。

なぜフェミニズムを例に出すかというと、この二つは異なる点がある一方で、かなりの相違点が見られる思想だからだ。

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まず、いずれも、現代社会で「当たり前」となっている思想ではない。

フェミニズムが「当たり前」かどうかについては国や文化によって議論が分かれるとは思うが、

たとえば現代社会で当たり前の思想、資本主義なんかは、もはや誰も「資本主義をもっと普及させよう!」などと声高に叫んだりはしない。

ある思想が人々の中で完璧に普及していれば、普及させようとかさせるべきではないとか議論することはできない。そういうわけで、フェミニズムは「当たり前」の思想ではない、と言うことが可能だ。

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次に、両者とも、そこまで目新しい主張ではない、というのも共通している事項だろう。フェミニズムの運動は200年ほど前から存在しており、もはや「新しい思想」とは言い難い。資本主義が誕生したのですら300年ほど前なのだ。

一方、反出生主義はというと、この思想の根幹にある「生きることは苦痛である」とか、「生まれてきたくなかった」という考えは一切目新しさがなく、古代ギリシャの文献にすら存在する。

なんなら日本人に馴染み深い仏教などは、生きている限りこの世は苦痛ばかりと考えている。だから、悟って、仏になることで、苦痛から逃れられるように修行するのだ。

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三つ目。これは私個人の感覚で話すことで、裏付けが全く取れていないのだが、そもそも日本では「主義」というものが存在する状態が珍しい、ということも付言しておきたい。

日本においては、他者との同一性が重視され、みんなが同じ意見を持っていることに多くの人が安らぎを覚えているように私には見受けられる。

先ほど、「資本主義」をもはや信念として掲げる人は存在しない、ということを話したが、これは、この世に生きるほぼ全員が、「この世は資本主義で動いている」という意見を共通して持っているからだ。

私たちは、資本主義が「なぜ合理的か」とか「なぜ全人類に推し進めるべきなのか」ということを改まって考えることはない。

ある意見の合理性とか、それを推奨するべき理由とかを考えなければならないのは、その意見が「当たり前」のものではないから、多くの人が持っている意見とは異なるからだ。

翻って日本では、「みんなが同じ意見を持っている」ことが推奨されるわけで、「主義」と呼ばれるものがそもそも発展しづらいのではないだろうか、と私は考える。

そういう中で、フェミニズムや反出生主義は、脈々とインターネット界で発言され続けてきている。

人と異なることを嫌がっているように見える日本人が、それでもこれらの意見を「主義」として掲げているということは、この二つの主義の、重要な共通点ではないかと思う。

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というわけで、両者はそれなりに似通った思想であるわけだが、当然のことながら、かなり異なる点が多い。以下を見ていこう。

1 発行されている書籍の差

まず、とても重要なこととして、反出生主義を解説する書籍はほぼ無いということを言っておきたい。

だからこうして私などが調べたことをまとめるために記事を書いているのである。たくさん本が出ていれば絶対にこんな面倒なことはしたくない。

論文ではどうだろうとCiNiiで「反出生主義」と調べてみると、なんと一件。一件ってそんなことある?

『現代思想 47(6)』で戸谷洋志が書いている 「Philosophy & Ethics 反出生主義 (総特集 現代思想43のキーワード)」(2019年5月、青土社)のみだ。

ちなみにこの論文は、反出生主義のなんたるかがサラッとつかめる上、反出生主義と呼ぶべき西洋思想の系譜をまとめてくれているので、お得である。雑誌なのに、Kindleですぐに購入できて便利だ。全ての雑誌はKindleで配信するべき。国会図書館に行かないとゲットできない論文には常々腹が立っている。

一方で、フェミニズムのCiNiiでの検索結果は2833件である。

もちろん、反出生主義という単語を使わなくても、反出生主義的なアイデアをモチーフに論文や書籍を書くことは可能であるのだが、フェミニズムが2833件あるとなると、やはり反出生主義は文献が少ない、と感じてしまう。みなさんもっと書いてください。

インターネットの検索結果も見てみよう。

feminismが71,200,000件、フェミニズムが3970000件、女性解放主義が13400000件で、合計8857万件

一方の反出生主義は、antinatalismが258,000件、アンチナタリズムが75000件、反出生主義が3,350,000件で、合計368万3000件

フェミニズムに関連する用語の数は、反出生主義に比べてほぼ24倍。反出生主義はフェミニズムに比べて、ネット上で情報を探すのもそこそこ難しいことが分かる。

2 圧倒的な勉強のしづらさ

また、反出生主義は、思想について勉強をすることがなかなか難しい。

反出生主義者・必読の書といえば、やはりエミール・シオランの『生誕の災厄』と、デイヴィッド・ベネターの『生まれてこない方が良かった―存在してしまうことの害悪』だろう。

特に、ベネターの『生まれてこないほうが良かった』は、反出生主義をなぜ人類は推奨するべきなのか、ということが書かれている。従来の「私は生きていたくなかった」というような「個の観点」から、社会全体に対するメッセージとしての「反出生」を掲げたという点で、画期的な本であると言える。

ただし、ベネターの著作の邦訳は絶版になっている。しかも、『生まれてこないほうが良かった』は2017年に出版された比較的新しい本なのにも関わらず・・・。

もちろん、反出生主義を扱う娯楽作品はかなり増えてきている。例えば、進撃の巨人や夏物語などには、かなり明確に反出生の思想が出てきている。

ただやはり、「反出生主義って何?」ということを知りたいと思ったときに、この言葉ズバリを解説する本がないと、かなり勉強がしづらいものである。

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一方で、フェミニズムは、かなり多くの本が発行されている。「フェミニズム的思想に基づいて書かれた本」あたりになると、もはや購入が追いつかないレベルだ。

多くの本が発行されていると、当然、フェミニズムについての勉強もやりやすくなるし、

また、多くの人に、「フェミニズムとは何か」「何を目指している思想なのか」「どういう行動を取るべきか」という指針が共有される

多くの人がそれなりの知識を持ってから議論に参加するので、議論が活発になりやすいというメリットもある。

兎にも角にも、勉強のしやすさというのは、ある主義や思想にとって、致命的に重要な要素である、と私は考える。

3 思想の統一性のなさ

フェミニズムに比べ、書籍や論文によってタイプや思想が系統立てられていない反出生主義は、必然、いわゆる「ひとり一派」状態に陥りやすい。

「これが反出生主義の常識」というような最低限の共通事項すら定められておらず、皆が適当に、思い思いの反出生主義を語っているような状況が現在なのではないかと思う。こういった状況についてはまた項目を作って調査する予定だ。

これがどういうことかというと、まず何よりも、この思想を持つことによって、何を得ようとしているのかが分からない、ということだ。

フェミニズムの場合、論理性や手法に違いはあれど、基本的に「女性の権利を向上させる」という目的がある。

一方、反出生主義の人々は、そもそもの目的が判然としない。

ベネターは非常に明確に「反出生主義とは何か」というのを定義し、人類は絶滅するべきである、ということを述べているのだが、反出生主義を掲げる人の誰もがベネターを読んでいるわけではないため、

たんに「私は産みません」という考えでも、「反出生主義」を自称している場合も多々見受けられる。

こうなると、別にじゃあそれは「私は産みません」でいいのでは、となり、なぜ主義として出生を否定するのかがよく分からなくなってしまう。

また、「反出生主義者はこう考えている」と一括りに語ることが非常に難しいため、議論をするにしても「私はこう思った」「私はこう」という、単なる個人の会話になってしまい、議論が全く深まらず、知識が積み重なっていかない。

結果的に、反出生主義者は、特に理由も目的もないのに、産んだ人をコソコソ馬鹿にしているやつら、という感じに見えてしまい、普通に勿体無いのではないか、と思わされる。

4 勉強する必要がない

では、なぜ反出生主義は、フェミニズムと違って、勉強ができない、議論が深まらない、という状況になってしまうのか、というと、

身もふたもないが、勉強をする必要がない思想である、というのが大きいポイントのような気がする。

フェミニズムのことから最初に考えると、私が見ている感じからすると、フェミニストというのは、別に生まれたときからバキバキのフェミニストとしてオギャーするわけではなく、あるときフェミニズム思想に「出会う」人が多いように思う。

女は男を立てるべきとか、女は顔が全て、とかの「常識」って、逆らっていいんだ! と、目から鱗が落ちる。それぐらい、フェミニズム的な考えというのは、普通に生きていたらまるで考えもつかないような発想なのである。

すごく賢い先人が書いた本や記事を読み、初めて「そういうのってアリなんだ!?」と思う。多くのフェミニストにとって、フェミニズムというのはそういう存在であろう。

一方、反出生主義の場合はどうだろうか。

生まれてきたのが間違いだった、とか、なぜ親は自分を生んだのだろう、というような厭世的なムードは、現代の日本では非常にありふれたものだし、目から鱗が落ちるようなものでは全然ない。他者の知恵を借りずともたどり着けてしまう。

そのため、「一度書籍などで、多くの先人たちの考えを経由してから、自分の意見を表明する」というのではなく、「自分はなぜ生まれてきたくなかったのか」ということをぼんやりと考えていたところ、偶然「反出生主義」という言葉と出会い、「じゃあ自分は反出生主義者ではないのか」と自らを定義づける・・・というような流れが、反出生主義者が自らを反出生主義者であると自称するまでに至る一般的なルートなのではないだろうか(完全に想像なので、もっと別のたどり着き方が絶対にあるとは思う)。

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もちろん、全てのフェミニストが、書籍を読んで勉強しているとは言い難いと私は思うし、論理がまるでなく、ただただ憂さ晴らしに男性を「悪」、女性を「善」と仮定して振る舞いたいだけ、というような人間も多く存在する。これは正直、建設的なものでは全くないので、私の好みではないが。

反出生主義という思想の特異さ、問題点

まとめよう。

何をおいても、反出生主義を研究した文献はまだまだ少数、というよりは、ほとんど存在しない、と言っていいような状況にある。

また、反出生主義というアイデアの持つ特性上、あまり勉強などを行わずとも「私はなぜ生まれてきたくなかったか」というのを語れば、それで一応「反出生主義者」であると名乗れる節があり、

畢竟、「"反出生主義"、ミリしらで語ってみた★」みたいなレベルの、あまり深みも論理性もない言説が「反出生主義」を代表してしまう、というような状況があり、これは結構問題なのではないか・・・と私は考えている。

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ただし、「生まれてきたくなかった」という思いの吐露が「間違った」反出生主義であるのか、という疑問は残る。その点についてはまた次のノートでかんがえていきたいと思う。

というわけで、今回はこの辺りで。

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参考にしたホームページは全て2019年9月7日閲覧。断り書きのない場合、太字や強調は森田によるもの。

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森田さえ/ちゃぽちゃん 小説と雑記

92年生まれ。会社員、女、既婚の子持ち。交流あんまりしません。フォローバックも基本はしません。saemorita @ moryata.com

反出生主義について

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