【2000文字小説】あの子にわたしのことなんて分かんない絶対

 昔付き合っていた男が春を嫌いだと言った、目はかゆいし頭はぼうっとするしそこらじゅう全員普段より一段頭が悪くなっている、春は、浮かれて、必要もないのにたとえば新しい服を買ったり財布を変えてみたり誰も気付かないだろうに普段使うベルトを黒からこげ茶にしたりするそういうのが煩わしい、いちいち全てのそういうことに気がついて、何かを言わないといけないという切迫した気分になる、そういう感じが本当に嫌いだ。その男の名前は橋本秀樹といった。誕生日は1976年2月15日で職業は中学校の教師だった。わたしは彼に3回会ったことがある。

 2度目のデートのときは新宿に遊びにいった。朝の9時に家を出る、「友達と遊んでくるから」と大声をあげるとお母さんが気をつけてーと言った。

 お母さんわたしこれからセックスしてくる、人生で2回目のセックスしてくる、なんでこうなったのか分からん、けどどうしようもないじゃんね、彼の車に乗って、歌舞伎町にたどり着く頃には13時を過ぎていた。「ええビッグエコーって新宿にもあるのか」わたしがそう呟くと「秀樹」は、その人は、「ビッグエコーってあれか、カラオケか」と言った。ルミネを通り過ぎてこれからきっとどこかのラブホテルに入るに違いない、でもわたしはルミネに行きたかった。ベージュでエナメルのパンプスが欲しかった。シューマートじゃ売っていないかもしれない靴が欲しかった。「ねーカラオケとかそんなん分かるでしょ、っていうか事前に勉強しろし、」ごめんって明里ぃ、信号が赤信号になった瞬間彼はわたしにキスをする、ああお母さんこれからわたしセックスする、もしかしたら彼は今日のセックスのあと、前回と同じようにお金をくれるかもしれない、シューマートでパンプスを買いたい、ブーツを買いたい、ティアードスカートを買いたい。

 あすかが声を荒げて喫茶店から出ていく。ええ、何それ、あんたにだけは絶対に分かんないと思う。なあ。明里みたいな美人に、わたし絶対「分かる」とかそういうこと言われたくなかった、なあ。なんで今日わたしのこと誘ったの。そうやって「分かる」とかって言って全然分かんないわってあとで彼氏とかに言うため? なんで誘ったの? ごめんもう帰る、ごめんもう誘わないで、ごめん。

 あすかと適当に入った喫茶店にはケーキが置いてあった。わたしが「じゃあロールケーキお願いします」と言っているときにあすかは「あ、じゃあミルフィーユください」と言う。ミルフィーユなんて挑戦するねえ、とわたしが笑うとあすかはなんで? と目をしばたかせた。デートで食ったらいけん食い物でしょミルフィーユって、そう言うと「いや、これデートじゃねえし」とあすかは言う。間が空いて2秒、彼女はもう一度口を開く、「いや、デートかもしれんけどさ。」「デートじゃないですう」「わあ都会っぽい」

 ミルフィーユを食べるのがそんなに面白いことだとわたしは思わない、でもあすかはやたらと面白そうにそれを口に運ぼうとして失敗しては笑っていた。「食べ方いっさら分からん、全然食われんのですけど。もう手使って食べたい」「わたしは気にしんけど」「そう?」「うん」あすかの笑い方を忠実に文字にするとしたら「うはは」とかそういう感じだ、あまりにも美しいアイメイクと眉毛のメイクが霞む、顔中のニキビとその跡。「いや久しぶりじゃん、最後に会ったの高校卒業以来だから、2年ぶり? いっさら雰囲気変わらんね明里は」「ええどういう意味?」「なんか分からんけんど、どっかすぐ飛んでっちゃいそうみたいな、綿毛ちゃ〜んみたいな、」「なにそれ、ははは。わたし春って嫌いなんですけど」「ええなんで? ねえやっぱり手で食べる」「うん」「なんで?」

 分かんない、頭がぼーっとするからかな、みんな浮かれてるから気持ち悪いし、って、まあ昔の彼氏の受け売りなんですけど、とわたしが言うとあすかはまたふーんと言った。「明里モテてたからね」「モテてないよ」「めちゃモテてたじゃん、わたしが援交とかしてるときに明里は普通になんかミステリアス女子みたいな感じでさ」、2秒間が空く、それから彼女は早口で続ける、「あの頃インスタあったら絶対明里めっちゃ映えてたでしょ」「あすか援交してたん?」「うん、で今風俗嬢」「えっ、」「うん」

 あすかは言う、「なんか今回明里とうっかり会うことになったじゃん、だからいつ言おうかなって思ってたけどタイミング分かんなくて変なときに言っちゃったごめん」「え、いつから?」「ってか一回東電入ったんだけど通勤中とかでなんか本当知らない人から怒られるみたいなのが嫌になって辞めてしまって、ほれで親から家追い出されて、行くとこないし風俗みたいな、住み込みの」「はあ」「いや今は普通に彼氏と一緒に住んでるけど」

 あすかのニキビは高校生のときに初めて会う前から酷くて、あれからずっと治らなかったなんて不憫だと思う。でも彼女には彼氏がいて、明るくて、笑顔が可愛い、風俗でもなんでも自分の力でお金を稼いでいる。結局何もできなくなってしまったわたしとは違って。

「なんかでも援交とか、まあ、そういうの、わたしも分かるから」

 あすかのことを誘ったのは本当になんとなくだった。しいていえば、facebookでいいねをよく押し合ってたから。「今度東京行くかも」という投稿を見て、久しぶりに会わない、とメッセージを送ってみたら会うことになった。でも例えば令奈のことは誘えなかったわけだから、やっぱりまあ、あすかなら会っても気後れしないだろうと思ってたんだろうわたしも。でも友人ってそういうことじゃないのと思う。

 彼女がいなくなった喫茶店でわたしはロールケーキを咀嚼する。砂糖とグルテンの塊どもがゆっくりわたしの内側に降りて、そのままわたしの一部になろうとする。

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92年生まれ。カナダ・モントリオール在住。会社員、女、既婚の子持ち。2021年ごろまで週1ぐらいの投稿頻度になりそう。つぶやきはすぐ消してます。SNSはnote以外アカウント持ってません。saemorita @ moryata.com
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