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終わりじゃなくて、始まる前の日

上の子の、6年間の保育園生活が終わった。

上の子(6歳なりたて)は生後2ヶ月から保育園に入った。
上の子が生まれて13ヶ月後に下の子(5歳なりたて)が生まれ、彼も生後2ヶ月で保育園に入った。

その上の子が、今日で保育園を卒園。
明日からは無事に入れた小学校内の学童保育で、お弁当をもって登園する。
年度の移り変わりのなかでも小学生になるのは大きな節目だけれど、働く親の子どもにとっては今日も明日も平日の1日。連続した日常のなかで、行く場所が変わるだけ。

思い出を噛みしめて感傷的になる私が「保育園卒園するの、寂しくない?」と聞くと、上の子はハイテンションで「早く明日になってほしい!小学校楽しみだもん」「お弁当楽しみ!」と答える。
こんなナイーブなブログを書いていることを知ったらきっと「ママ、もういい加減にして。それより明日のお弁当にはイチゴと卵焼きを入れてね」などと言いそうな気がする。



小さな子ども二人連れての保育園への通園は、その時々で大変なことがたくさんあった。0&1歳コンビの時も、1&2歳も、2&3歳も、3&4歳も、4&5歳も、それぞれ大変な事が全然違った。手をつないで歩いてくれなかったこと。雨の日、下の子を後ろに背負って上の子を前に抱いてフラフラしながら傘をさして帰ったこと。帰り道の買い物がしんどくてご飯の準備が憂鬱だったこと。いつの間にか二人とも歩いて帰ってくれるようになって、でも真っ直ぐ帰れず毎日とても時間がかかったこと。怒らないようにしようと決意しては怒ってしまい、反省し、また怒っての繰り返しだったこと。保育園の行き帰りに車にひかれそうになる夢を見て何度も飛び起きたりもした。

でも大変だったことがどんな感覚だったのか、もう全部忘れてしまったような気がする。思い出すのは、いいことばかり。子どもたちの今より少し丸い輪郭と洗剤と保育園の匂いが混ざった香り。拭いても拭いてもついた鼻水の跡のこと。必要以上に服も買っていたのに、決していつも小綺麗ではいられなかった。服はすぐごはんで汚れ、そのうち汚さなくなったらサイズアウトする前に破けるようになった。

それでも保育園生活が楽しかったのは、保育園が楽しいといってほとんど一度も行き渋ることのなかった上の子のおかげであり、保育園を安心できる、楽しい場所にしてくれた保育士さんたちのおかげだ。未来だけを見て生きる上の子にしみったれたことは言いたくないけど、昔雨の日は二人を背負って歩いたよ!という話をしたら、「ママしゃがんで」といっておんぶして大きくなった手で肩をぎゅっとつかむので泣きそうになる。上の子が25キロになるまではいつでもおんぶするよ、と約束し、たくさん寄り道して帰ってきた。



私より早く子育てを終えた先輩方が言う、あのとき仕事ばかりせずにもっと子どもと向き合えばよかった、というつぶやきを何度も反芻する。私にとって仕事とは、お金のためにやらなきゃいけないことではなく、「自分がやりたいこと」で、それはとても自分にとって幸せなことだと思う。だからこそ、0歳児から保育園に預けて自分の好きなことをしている、という罪悪感に近いものがどこかにある。保育園から帰ってきた夜の時間まで仕事をやって子どもに向き合えなかったり、朝仕事をやるためにせかしながら保育園に送ったり、仕事と育児と家事に挟まれて思いを夫と喧嘩するのは「どちらが仕事に時間を割いているか」、そればかり。私が彼に怒るのは、私が家のことや育児をやっているのに夜も仕事ばかりしている時。

多分上の子が小学生になっても、来年下の子が小学校にはいって2人を学童に通わせても、仕事と家族とのバランスに関して、ずっと同じようなことで迷い続けるんだろうと思う。きっと正解はない。でも私も上の子みたいに、明日がくるのをワクワクしながら、新しいことに胸を踊らせながら生きたい。


保育園に楽しく通ってくれてありがとう。

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