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子どもをおいて

3泊4日、3年に1度開かれる世界比較教育学会に来ている。今年は北京。前回はブエノスアイレス(アルゼンチン)でその前はイスタンブール(トルコ)だったから、今回はかなり近い場所での開催で、短期間での参加が楽だったのが都合よかった。

いつか年子を育てること、という内容のnoteを書こうと思っているのだけど、13ヶ月差の年子を育てるというのは思っていた以上に大変だ。

0歳とか1歳くらいの子どもは、歳だけではなく何ヶ月かがすごく重要で、上の子も下の子も、毎月毎月どんどん大きくなり、できることが増える。よく産後すぐは大変だったというけれど、当時大変だったのは夜中の授乳。寝返りやはいはいの頃までは、そこまで抱っこちゃんでもなかったし、夜の寝つきも早く、夜泣きもせず長時間寝る、手のかからない子どもだと思っていた。個人的には、0歳児後半の方が子育てしんどい、と思うようになった。つかまり立ち・つたい歩きを始めてから(9ヶ月くらい)が大変さの序章で、本格的に歩き始めてから(1歳ちょうどくらい)はもう目が離せなくなり、1歳3ヶ月すぎて行動のスピードが加速化し自己主張が強くなってきてからは、起きている間休む間がなくなった。そこに下の子が生まれ、その大変さは単純に2倍どころか、二乗になっていると思う。

1歳を過ぎるとどんどん言葉が増え、エンドレス絵本読んで、次から次に「読んで」と言いながら持ってくる。そしていたずらしたいもの、瓶や缶やタッパーを 触ったら危険なものが入っているからと締めた台所の扉の鍵はすべて開け方を攻略し、気づくと砂糖の瓶に手を突っ込んで、プーさながら手をべろべろ舐めていたりする。

愛しいけど離れたい。
可愛いけどムカつく。
寂しいけど嬉しい。
一緒にいるのは楽しいけど、寝るとほっとする。

相反する感情が常に混在してるのが通常の状態。

子どもへの愛情も国を思う気持ちも、本質的には一緒に過ごした時間(量と質)とそれに伴う思い出(記憶)から生まれるものなんだと思う。
母親だから繋がりが深いわけでなく、同じ国民だから連体感が生まれるわけでもない。

どんな対象にも愛情を持ちうるし、それを信頼関係を構築できる可能性があると思えるのは幸せなことだと思う。

上の子は、預けられている私の実家であまりに「ぱこか」(パトカー)と言いすぎて、見かねた母に「ぴーぽー」(救急車)を買ってもらったらしい。大好きなパトカーは私の家にあるから、という理由で他の種類の音のでる車を買ったのだろうけど、父はきっと「パトカーって言ってるんだからパトカーを買ってやればいいのに!」と怒って、喧嘩するんだろう。自由になれる出張中も、そんなことを想像しながら子どもたちに思いを馳せている。

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