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子どもたちと過ごす時間について

4月にはいまさら?という雰囲気のなか通っている保育園を中心に地区レベルで流行りまくっていたインフルエンザにかかり、クラスの半分以上が感染した上の子がまず発熱し、先日2歳になったばかりの次男が続いて発熱した。ここ半年くらい、風邪以外で大きな病気をせずに保育園に通えていたので、平日5日間休み+前後土日4日間の計9日間を、手強い2歳&3歳の年子と過ごす事になった。子どもたちは、熱が出ても元気で、マイペースで、そして手強い。

ゴールデンウィークは、特に旅行の計画はなかったけれど(体力と経済力の問題)、いっぱい遊んであげようと思って近隣の公共交通機関を使っていける大きな公園や博物館をいっぱい調べてリストアップしていた。それなのに、GW入った途端下の子が胃腸炎。少し潜伏期間をおいて、GW後半の4日に上の子が大量リバースで胃腸炎発症。3日に1日だけ、電車とバスの博物館に連れて行ったあげられたのだけが、唯一長期休暇らしいおでかけになった。

胃腸炎はもちろん両親である私と夫にも感染し、大人の方が重症化するというルールをしっかり踏襲し、二日間は文字通り這うように過ごしていた。上の子はびっくりするほど突然、そして大量にリバースするので、掃除、洗濯の繰り返しだった。

それでも子どもは強い。朝どんなに辛そうでも、ずっと何かを話しているし、それなりにごはんも食べるし、笑うし要求するし、駆け回る。たくさん寝て、大量の飲み物を消費する。

夕方、風が少し涼しくなって陽がゆるくなってからまさに2日ぶりに外にでたら、近くの小さな公園には、同じく幼児を持て余した親たちが小さな子どもを連れて遊んでいた。子どもたちは落ちていた梅を集めて、木の周りをブツブツ独り言をいいながらなんども周り、ブランコの柵で鉄棒をして、滑り台を滑って、砂場で遊びたかったけれど先にいた女の子に「シャベル、貸して」が言えず、それでもちょっとあそべただけで子どもたちは満足そうだった。

この年の子どもにとっては親がしてくれることが世界のすべてで、子どもが経験できることは、親がどんな準備をしてくれるかに100%かかっているといっても過言ではない。一方で、子どもが求めているのは、楽しいこと、心地よいこと、面白いこと、かつ安心できることで、それを実現するには親が同時に楽しそうにしていることが不可欠だ。だからたぶん、無理して遠出してぴりぴりして、子どもに楽しめ!とどこかで無意識にプレッシャーをかけながら遊ばせるよりも、実はもっと幸せに楽しく遊べることが身近にたくさんあるということは往往にしてあると思う。

思えば、特に上の子は、スーパーでの買い物でもとても楽しそうにしていた。もやしやキャベツやイチゴは嬉々として必要であると主張し問答無用でカゴに投げ入れ、時には「それはうちにたくさんあるからいらない」という私の主張もしっかりと聞き入れ(そして聞き入れているということに満足感をみなぎらせながら)、あれこれいいながら買い物というプロセスに参画したことがとても楽しそうだった。

子どもと一緒に遊ぶとき、一番大事で難しいのは、一緒にいる大人も楽しそうに、そして心地よくいることだと思う。経験させてあげたいことはたくさんある。行きたいところもたくさんある。でも自分が無理しないでできるなかで、子どもに「せっかく」の呪いをかけずに楽しむことが一番大事だと思う。

13ヶ月差の年子男子を育てていて、人間って小さいころから一人一人違っていて、本当に面白いなと思う。二人は、兄弟と思えないくらい外見も全く違うけれど、絵本や遊びの好みも全然違う。同じ本でもハマるページがまったく異なる。

現時点での比較ではなく、同じ月齢の頃の二人を比較して、物事に対する認識の仕方が違うなと思う。

下の子は、物事の理解とそれに対する自分の意思・欲求の発露が同じ枠組のなかで同時に起こっていて、その割合が3:7くらいに感じる。まあまあわかってはいるけど(時にはそれとは関係なしに)俺の意思はこうだ!ということを、稚拙だろうが見当違いだろうが、はっきり表明する。

上の子は、小さい頃から物事の理解の上に自分の意思・欲求の発露が乗っている感じがしていた。その理解の範囲はもちろん時期によっても種類によっても違うのだけど、周りの世界がどう動いているかの中で考えて、自分の行動や発言を決めている感じ。

私は親だからあまり客観的には見れないけれど、上の子に対してはいつも賢いなあ(応援してる)、下の子に対してはあなたみたいになりたかった(羨ましい)と思っている。GWを私たち親とべったり過ごした子どもたちは、公園から帰ってきてご飯を食べ、いくつも絵本を読み、着る服に文句をいい、私の鼻をつまんで笑って、それぞれのタイミングで、寝た。

上の子はたぶん明日も保育園に行けない(朝のかんじとお腹の調子による)。


育児に関してはかなりきちんと分担している我が屋ではママ>パパになることがほとんどなかったけど、最近下の子を中心に「ママがいい」ということがあって、その理由はなんなんだろうと思う。私は「やっぱりママがいい」言説を信じない。「ママがいい」になるのには、「ママ(母)だから」などではなく、個々人によって明確な(もしくは複雑で多層的な)理由があるんだと思う。

選ばれたことに関してはもちろん嬉しさもあるんだが、私、明後日から5日間ほど海外出張。二週間後にはまた海外出張。ねえ、お願い。好きな人に「〇〇(の方)がいい」と言われるのは、それなりに精神をやられるものなので、どうかその数日間だけは「パパがいい」と言って欲しい。


たぶん上の子は、かなり早い段階で「パパがいい」に切り替えると予想する。

下の子はきっとずっと「ママがいい」と言い続けるだろう。

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