年度末はきらい

年度末は苦手だ。

本当はもっとこんな風につき合えたのに。もっとお互いを知り合えたかもしれないし、もっと好きになったかもしれないし。というように、思ったように人間関係が築けなかったことが、全部自分の性格やスキルのせいだと思えてくるからである。

保育園の先生に対してもそうだ。前に貰った言葉を後生大事にずっと反芻していたりする。でも、もっと話したかった、もっといつも伝えたかったありがとうの気持ち、もっと聞きたかったこともある。それなのに、保育士さんの仕事は本当に忙しいのに邪魔と思われたくない、と思って遠慮してしまう。

いや、そうじゃない。忙しいのに邪魔をして「クラスの子どもたちのうちの一人に過ぎないのに」と思われるのが嫌だから、勝手に予防線を張っているのだ。相手を思う気持ちの裏側にはいつも、傷つきたくないから距離を保たねば、という自己防御の気持ちがある。

去る人と残る人の温度差を感じて、やるせない気持ちになるから、でもある。教え子だった学生も去って行く。私は4年間のほんの数学期関わっただけの、たくさんいるうちの一人の教員に過ぎない。それでも色んな学生が声をかけてくれたり、覚えていてくれたり、会いに来てくれたりする。とても嬉しい。一方で、どんなに濃い時間を過ごしたとしても、どんなに強い感情を一緒に共有していたとしても、みんなそれぞれたくさんの人との関わりのなかで将来を模索しながら必死に生きていて、私は多くの学生の人生のほんのちょっとした着色でしかない。学生は飛翔し、私は大学にとどまる。その温度差。

私が7月が大好きなのは、大好きな夏がこれから始まる、「まだまだこの先続く日々がある」と思えるからだ。前に広がるたくさんの時間、その始まりに立つという贅沢、幸せ。

保育園のお迎えのとき、先生とちょっとだけ話して、自宅についてからの家事の段取りを考えながら家路を急いでいたのも、まだこの日々がずーっと続くと思っていたからだ。

だから3月の年度末は本当に苦手である。

保育園の入り口に飾られた「おめでとう」のデコレーションには、「卒園」も「入園」も書いていない。定期利用保育だから、すべての園児が同じに日に集まるのは難しく、卒園式も入園式は特になかった(同じ理由で運動会などもなかったけど、季節のイベントや毎月の誕生日会はやってくれていた)。そして3月31日に卒園し、土日を挟んで4月3日は、もう新しい園児たちが入ってくる。保育園の先生たちは園児たちを送り出して、そしてまたすぐ新しい園児たちに精一杯向き合ってくれるのだろう。私も、4月3日から新しい職場に行く。

保活も大変だったし、近い保育園に入りたかった。
職場とも反対方向の電車での送迎は大変だったし、兄弟揃っての転園が決まったことは本当に幸運で、嬉しいことだった。

でも、今の保育園を去ることがこんなにも寂しい。今の保育園を、子供たちも、私も本当に大好きだった。子どもを大事に見守って、一緒に育ててくれた。今の保育園に入れたのは、子どもたちにとっても、私たち親にとっても、とても幸運だったと思う。

4月になれば、私も子どもたちも、新しい職場と新しい保育園という環境に慣れるために、そしてそこで新しく自分自身と周りとの関係を築くため、きっと無我夢中で毎日を過ごし、そう遠くないうち、過ぎ去った日々や関わってくれていた人たちのことを懐かしむ余裕はなくしてしまうと思う。

自分を作り上げた経験のピースを、どれも取りこぼさずにいたい。
物事の終わりや、別れや、そういうものをちゃんと一つ一つ感じていたい。
その積み上げのなかにいつも自分がいるんだってことを自覚していたい。

それに必死だから、3月末はいつも苦手で、そしてそこで何かを取りこぼしてしまいそうな自分のふがいなさを感じるから、年度末が嫌いなんだろうと思う。つまりは、年度末が嫌いなんじゃなくて、年度末の自分が嫌いなんだ。

保育園のぬいぐるみたちも、ばいばい。

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saereal

ライフとワークに関する徒然ノート

働く女性研究者が妊娠・出産・子育てと仕事について考えていることを書いています。
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