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帝王切開手術出産体験記

私自身、手術する前に、帝王切開の様子やその後の経過についてもっと詳しく具体的に知っておきかったこともあり、ほとぼりが冷める前に(現在出産3日後)体験記をアップしておきます。*赤ちゃんが出た後の処置について追記しました(1月20日)。

大まかな手術の手順などはどこの病院でも大差ないと思いますが、病院や先生、母艦の体調、既往症、状況などによって対応や経過も異なってくると思うので、あくまでも私個人の体験として参考程度に。

以下、記事を2秒で読み終わりたい人のための要約

①帝王切開手術による出産は、絶望と不快との闘い(個人的体感)。
②ただし、「のど元過ぎれば熱さを忘れる」(文末で実証有り)。

手術中や術後の状況や痛みに関する直接的な表現も多く含まれるので、ちょっとでもグロい/えぐい話や、他人の身体についてのあけすけな話に抵抗のある人は、これ以上読むのをお控えください(警告したので、読んでからそんなこと書くなよ!などの文句は受け付けないぞ)。

入院は執刀日の3日前

病院の規定で、入院は手術日の3日前。16日(月)執刀予定の私は、13日(金)に入院し、手術室の看護師さんを含め入れ替わり立ち代わり、入院中の注意や過ごし方、手術の流れを聞いた後、おなかのモニターを取って問題ないということで外出許可。13日と14日の夜は自宅に戻り、15日(手術前日)の午後に旦那と再入院。執刀医の先生に会い、説明と最後のエコーを見る。最終エコーでは、重さは2700-2800グラムの間。前々から言われていた腎臓+尿管の腫れが気になるものの、それは生まれてからの処置になるとのこと。

前日説明

手術を担当してくれる執刀医の先生(同年代の女性の方だった)から、手術の流れ、リスクなどについて旦那を前にして説明を受ける。輸血、合併症などに関する説明とその承諾書類に、本人と家族(私の場合は旦那)がサイン、一部には印鑑。

説明されたリスクは以下の通り。

・以前子宮筋腫の手術をやっていることから、まれに子宮と腸との癒着などが考えられ、手術が長引くこと
・子どもを取り出した後出血が止まらない場合には、子宮ごと摘出するケースもなきにしもあらずとのこと
・基本的には希望通り「横切り」をしてくれるが、筋腫の切り傷の状態なども見て、もう一人の執刀医の先生と相談して、当日最終的に決めるとのこと。表面は横でも、子宮は基本的に縦に切るらしい。
・「横切り」で行うとしても、執刀途中で赤ちゃんが出てこなかったり、子宮の状態に問題があった場合や出血が多い場合は途中で縦に入れ直す場合もあり、その場合は逆T字のような切り傷になるとのこと
・出血多量の場合は輸血を行うが、その際には感染症のリスクがゼロではないこと

などなど。血栓症や床ずれ、悪寒、吐き気などの症状に関する説明も聴いたけど、これはどの手術でも同じだと思うので省略。輸血するときは同じ血液型の旦那の血液がいいなと思っていたけど、血液処理の問題などがあるのでそれはできないとのこと(まあ、当たり前だ)。

夜は前日18時の食事まで普通にたべて、それ以降は絶食。
水は手術当日の朝6時まで。

私の手術は16日の2番目ということで、朝10時前くらいに手術室に入り、点滴、背中への麻酔(2本)などを施したのち切り始めて、入って30分くらいで子どもがでてくるとのこと。

部屋は大部屋(6人部屋)だったので、9時消灯でそこから本を読み、11時くらいには寝付くも、2時くらいに同室の赤ちゃんの泣き声で起きる(基本的に母子同室)。1時間くらい起きてて、そこからまた寝て6時過ぎに起床。10時前くらいに旦那と両親が到着するらしい。ちなみに今、一人目の手術の人が部屋に入っていて、旦那さんと小さい女の子が私と一緒に面会室にいるが、旦那さんは途中まで所在無さげにうろうろしていたが、途中で肝が座ったのかおにぎりを食べだした。小さな女の子はずっと子どもせんべいを食べている。待っている方も緊張するんだろうなあ。

*ちなみにここまで書いている今は、手術の約1時間半前である。

手術当日

*ここからの記述は、手術の24時間後。

当日10:40くらいに病室に来て、11:00から始めるので、10:55くらいには出発できるように身支度しておいてね、とのこと。

むくみを取る医療用の靴下を履き、パジャマを伸びの良い綿素材のものに着替える。

家族とは面会室前で別れて、車いすで手術室へ。手術室では担当する人が7、8人入れ替わり立ち代わり挨拶してくれる。

助産師さん、看護師さんは女性が多く、麻酔科の先生以外、全員女性。

まず全身裸になり、右に血圧計、左に点滴を装着。点滴は最初に痛み止めを打ち、そのあとに点滴用の太い針を刺す。

次に、硬膜外麻酔2本。1本はすぐに下半身に効くもの。子どもを取り出す手術中、痛みを感じないようにするもの。

背中をなんども押しながら最適な場所を探して打つらしく、10分から15分ほど時間がかかったと思う。これも痛み止めを最初に打つのだが、痛み止めの方が痛い。おそらく腰の病気をやったら分かる人のような、内部の深いところにずんとくる痛み。それを耐えると、次の日本はそれほど痛くはない。

その後尿管を通し、目の前にタオルがかけられ準備開始。
執刀医の先生が入ってきて、挨拶。

その間、私の麻酔が効いてくるまで待つ。肩を冷たいコットンで触られ、次に下半身やお腹周りを触り、どこまで冷たく感じるか確認。触られている感覚があっても、冷たいと感じなければ麻酔が効いているとのこと。

おそらく入ってから30分くらいで執刀開始。

手術雑感

麻酔が効いて自分では何もできない。囲まれ、押さえつけられ、両手背中管につながれてどこにも行く事ができない。意識さえ少し朦朧とし、頭も痛いし喉も乾いて声が出にくい。胸から下の筋肉が弛緩して動脈の流れが悪くなり、急激な低血圧で気持ちが悪くなる。優しくしてくれ、気を遣ってリラックスさせようと話しかけくれる看護師さんにちゃんと答えたいけど、引きつった笑いとどうでも良い返答しかできない自分のキャパに絶望的になる。

手術中に感じていたのは、もう二度とこんな目に遭いたくない(二人目欲しいなんて二度と言わない!)、このまま死んだら死んでも死にきれない、私の人生クソだった・・・というひたすらネガティブな感情だった。なんでも自覚していたい、自分の思い通りに、自由に動いていたい!という思いを常に持っている私にはもう拷問のような時間だった。

痛さよりも、この絶望的な状況に対する絶望と、自分自身と状況に対する不快感。このダブルパンチは最強だった。帝王切開、もう二度とやるもんかと思った(*念のため、病院も主治医の先生も看護師さんも助産師さんも皆泣けるほどいい人で、これは完全に私自身のこの状況に対する不快感であることを強調しておきます)。

ちなみに痛さはないけれど、お腹のなかをごそごそと探られている感覚(実際は色々切られている)はある。頻繁にお腹を外から押されたり、中から外から色々引っ張られており、その度に私の両端にいる助産師さん(血圧計を見つつ、私が動かないように押さえつけている)が「ひっぱられる感覚があるかも」とか「ちょっと押しますよ」と声がけしてくれる。

びっくりしたのは、自分の赤ちゃんがお腹の切れ目から顔がでた瞬間から声を上げ始めた事。助産師さんが「あら、もう泣くの」と言っていたので、安心して見る事ができた。まだ真っ白いものがたくさんついた状態で引き出され、2メートルくらい離れた処置台に寝かされ、助産師さんが身体を拭いたり、へその緒などの処置をしてくれる。割と近いので、ばたばたしている足や手をみることができる。

私はずっと右をむいてその出てくる足や手を眺めている間、お腹の上では「胎盤でましたー」など赤ちゃんが取り出されたあとの処理らしきことや、止血らしきことが始まっている。意識してそっちのことは気にしないように5分くらいして処置が終わると、助産師さんが赤ちゃんを連れて私の処置台に連れてきてくれる。手を握って、対面して、顔をくっつけてまた戻される。まだ白っぽいものが付着した、ふにゃふにゃの赤ちゃん。私は38週2日目での帝王切開で、重さは2800グラムちょっとだった。

赤ちゃんを取り出したあとは、「眠くなるお薬」をつかい、記憶のないなか1時間くらいかけてきった部分の処置を。具体的には縦に切った子宮の縫合とその周りの筋肉をつなげること、そして横に切った外側の縫合をしたとのこと。「眠くなるお薬」が入りますよ〜というカウントは聴いていたので、どうにか意識を飛ばさないように頑張っていたものの、いつの間にか寝ていてしまったらしい。

時間にして、手術室に入ってから赤ちゃんがでるまで45分、私がでるまで2時間といったところ。手術室に入ってからの処置に35分くらいかかっていたので、実際に切り始めてからは、それこそものの10分で赤ちゃんは出てきていた。

外で待っていた家族には、私が手術室に入ってから約1時間後に綺麗にされた赤ちゃんがでてきて対面したとのこと。


術後

赤ちゃんが出てきて、そのまた1時間後に私が手術室から出てきた。術後は前回子宮筋腫での手術後(全身麻酔)よりも意識もはっきりしていて、帰ってきたときに旦那と両親に手を振る余裕もあった。それをみて安心したらしい両親は、朝から待っていて疲れたといって、3人で御祝いのトンカツを食べに行ったらしい(私は水すら飲めないというのに!)。

問題は皆が帰った夕方から夜まで、一人でいたほうが楽だけど、一人だからこそ向き合わなければいけない痛さと寝苦しさなど色々不快要素が満載で、この術後から次の日の朝までの20時間くらいが本当に辛かった。

身体は動かしたいのに頭がぼーっとして働かず、15分ぼーっとしては不快症状で目が覚めると言った具合のことを何十回も繰り返し、ああ、早くこの時期が過ぎてくれないかなとひたすら願う。下半身が殆ど動かないので気持ちもネガティブなまま。具体的には、傷と内蔵と後陣痛が痛い、頭が痛い、点滴・尿管・背中からの麻酔の管などすべてが不快、ぼーっとして身体のコントロールが利かず圧迫感、色々とかゆい、熱があるので暑い、同じ体勢で痛いなどなど。

夜、足が動くようになると、今度は激しい痛みが襲ってきて眠れないくらいになる。硬膜外麻酔の量を一時的に増やしてもらっても効かず、坐薬を入れて貰う。私の場合は坐薬がとても効いて、坐薬を入れてから30分後くらいから4時間くらいまとめて寝る事ができた。

術後一日目

とにかく足の医療用メディキュットを外したかったのと管を抜きたかったので、看護師さんに「もう歩けますよ」の超絶アピール。足のポンプがはずれ、歩く練習。一度目に尿管を抜いてもらい、二回目に付き添ってもらってトイレに行ってから、これからは自由に歩いてよいとの許可。これがちょうど術後22時間後くらい。朝の時点で水分許可もでる。

点滴は術後から始まった5本と次の3本。

午後5時くらい、昨夜入れた坐薬が完全に切れたせいか、また痛くなってきたので、坐薬を入れてもらう。貧血気味ということで、鉄分とビタミンの錠剤が処方される。

昼は重湯。リアルに重湯という名の「ごはん味のスープ」のみ(そしてそれに何故かほうじ茶が二杯)。お腹がすく。下のコンビニにこっそりいって、小さなスニッカーズを買う(←いけない患者)。

夜はおかゆに野菜中心の柔らかいおかず。食べたあと、体温が上がって汗が出まくり、大変だった。

術後1日目から、3度くらい小カピ(子ども)が部屋にきて、おっぱいを吸ったり一緒に寝たりした。

夜、旦那が面会時間30分前に滑り込んできてくれて、一緒に小カピのおむつを替えた、抱っこしたりする。

点滴の最後の一本が終わり、一段落。管をはずして寝る。

術後二日目

朝、今日の分の点滴二本を開始。割と内容のあるおかゆとお味噌汁とお豆腐(足りない!)。

背中と首に刺さったの硬膜外麻酔の針が外れる。麻酔が外れる事で痛みがでる可能性があるということで、内服薬が処方される。少しずつ身体に刺さったものが抜けて行くのは大変いい気分(この時点であと点滴の針だけ)である。点滴も午後3時に外れ、点滴の後からは血がぴゅーぴゅーと噴き出し、2分ほど止まらず、部屋の床を血で染めた。

点滴が撮れたので2日振りのシャワー。
お腹に貼られたテープの上から見ると、横に赤く太い線が20センチほど。横に切ってくれたんだ、ありがとう。でもおへその上下に縦に妊娠線がくっきり残ってしまった。子どもは外に出たけれど、まだお腹は少しずつ収縮している途中ということで、ちょうど妊娠7ヶ月くらいのときの大きさ。マタニティ用のパジャマを持ってきてきてよかったと思う。

この病院では母乳を「推奨」していることもあり、朝10:30から母子同室指導。母乳のあげ方やおむつの替え方などの指導があり、その後母子同室になる。これからこれをずっと私がやるとなると、その荷の重さに一瞬くらっとする。ちなみに2日目よるから完全母子同室になり、これを書いている3日目の私は昨夜の睡眠時間30分である(理由はπとその張りのせいだけでなく、麻酔と点滴の管が抜けた喜び+名前が決まった喜び+こかぴの可愛さ+腹部の痛みのマルチパンチで、興奮状態にあったからである)。

結論。

①人間はみんなただの哺乳類だ。思い上がってはいけない。
②絶望とか不快とか言ったけど、やっぱりなにこれ子ども可愛い。二回目以降も帝王切開になるらしいけど、何度でも切ってやる!

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