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子どもと入院

後半に二度目の帝王切開手術の体験談(多少えぐい描写あり)が出てきます。そういうの苦手な方は読まないように。

子どもができて新しく経験することはたくさんあるけれど、その一つに「よく病院にいくこと」がある。

予防接種でいく小児科、いつも盛況で予約競争のはげしい耳鼻科。
(子どもはなぜか、年中鼻をずびずび言わせている)
私の子どもは両方とも産まれつきの内臓疾患があるので、定期的に検診を受けている大学病院。
どの病院も子どもは大嫌いで、白衣をきた男の先生を見るだけで大泣きする。
(ちなみに女性の看護師さんは好きでニコニコと愛想を振りまく)

子どもも大変だろうけど、病院に連れていくのは親にとっても精神力と体力を大変に消耗する大イベントだ。

梅雨に入った6月のはじめ、下の子どもが入院した。

私は恥ずかしながら、自分の子どもが入院するまで、小児科での入院は基本24時間体制で付き添いが必要だということも知らなかった。

詳細は省くが、下の子は4日間入院し、病院に3泊した。ほんのちょっとベッドを離れるときも看護師さんを呼ぶシステムの完全24時間の付き添いだった。夫と一日ずつ交替しながら、ベッドの上で抱っこしたり授乳したり、酸素吸入をしたり、おむつ替えたり。子どもがちょっと寝ると持って来た新聞を読んだりスマホを持ちながら一緒に寝落ちしたりした。柵に囲まれたベッドは小さくで、子どもが大の字に寝てると、身動きできなくて背中がばきばきになった。

病院は保育園や電車のなかと違って、大部屋で同じ空間を長いこと共有しているけど、お互いに干渉したり交流したりしない。ただ過剰にうるさくしないように、迷惑がかからないように気を遣いながら、同時に心のどこかで気にかけている。子どもが発する様々な声や荒い呼吸、しゃべれる子たちが繰り出すわがままやかんしゃくなんかを聞いて、心の奥で少し心配したり、眠れなくて少しイライラしたり、そして親として自分だったらどうするだろう、と色々考えをめぐらしたりもする。

病気はならない方がいいし自分で体調管理できない子どもを病気にかからせてしまったことの責任も感じる(兄弟がいたり、集団生活をしているとどうしても避けられない感染症はあるんだけど)。でも同時に、こうなってしまった以上、非日常のなかでの経験が、なんらかの形で糧になって子どもの中に残ればいいなと思う。

入院といえば、二人目の子どもを産んだときの二回目の帝王切開もなかなか壮絶な経験だった。

予定帝王切開のため38週に入ってすぐの手術。一人目のときより200グラムくらい大きい3000越えの新生児だった。二回目だし、一回目のときよりも不安は圧倒的に小さかったけれど、手術自体も術後も、二回目の方が断然痛かった。

まず背中から打つ硬膜外麻酔がなかなか効かなかった。おなかを切って子どもを出すとき、まず表面を横切りし、そのあと中の筋肉と子宮を縦切りするのだが、その筋肉を切るときがものすごく痛かった。二人掛かりで押さえつけられながら、男の先生が力を入れて筋肉をぎしぎしと切っているのが分かった。私はたぶん今までの人生ではじめてリアルにドラマのように呻いた。

そして術後の24時間の熱と悪寒、水を飲めない辛さに加え、何よりも自由を奪われることを恐ろしく思う私が一番嫌う血栓症防止ポンプへの拘束、麻酔が切れてくると全身のかゆみとの戦いに神経をやられた。

腹切るのはあれこれこれで3回目だし(出産前に子宮筋腫もやったから)、私には医学的に帝王切開以外の選択肢はなかった。でも、一度は経膣分娩もしたかったなあと思う。

こどもが出てきて対面して、さあ開いたお腹を閉じよう、眠る麻酔入れようか、という矢先に、担当医の先生が突然、「次のお子さんの予定とかある?」と聞いてきた。突然だったし、麻酔で気持ち悪いし頭もがんがんするし、正直意識もそれほどクリアではなかったので、思わず返事に詰まった。

先生はそれから、開いた私の腹の中を眺めながら、子宮の壁が「紙みたいにぺらっぺら」なこと、子宮の傷自体は1年経てばある程度回復するが、子宮の壁自体が厚くなることはないので、次の妊娠は子宮破裂などを含めたハイリスク妊娠になること、などを単刀直入に話してくれた。

かすみがかかったような頭で、それほどすぐには作らないと思います、というようなことを答えると、先生は「眠る薬」を入れて子宮と筋肉と表面を縫っておなかを閉じてくれた(ようだ)。

私は出来れば子どもは3人欲しいなと思っていたので、やっぱり残念ではあった。できないわけじゃないけれど、妊娠中ずっと管理入院などになったら二人の子どもたちが困るし、仕事もできないし、経済的にも不安だ。でも子どもを見ていると、何度もああもう一人、いやもう二人でも欲しいなと思う。

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