暮らしのこと:6/18〜6/23

ちょっと記憶の整理のために日記を書いているので、公開します。書いたり書かなかったりするので、ゆるい気持ちで楽しんでください。

※投げ銭方式にしました。やる気が出るのでたまに応援してくれると嬉しいです。
※有料ノート、『パンと雨』とは別です。同棲している中で感じた、彼とのあれこれに関しては引き続き『パンと雨』で書きます。

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<<6/20>>

記憶力がわるい。ここ最近、いちにちが終わるころには朝のことなんてすっかり忘れていて、たくさんの思い出をつくっているはずがぽろぽろと音も立てずに溢れていくような気がして怖い。記憶や感情が形をつくることなく、時間の波とともに流れ出ていくことがさみしい。ので、ちょっとずつ日記を書く。不定期かもしれないけど、できるだけ。

19日まで旅行をしていた。
大阪と三重。伊勢神宮にも初めて行った。彼と二人で、場所が持つエネルギーの強さにやられて、ぐったりしてしまった。昔、出雲大社に行った時、とある場所に足を踏み入れてからはくらくらとしてしまって、「エネルギーが強すぎて、長くはいられない」と感じたのだけれど、伊勢神宮はそのときと同じようだった。まだそういう感覚がわたしに残っていてよかった。
わたしは信仰が深い方ではないけれど、それでもそういう場所の力は信じている。だから、こういう場所での価値観が合うのは、大きい。

楽しければ楽しいほど、帰りが寂しくなるのが旅行の常だけれど、一緒にすんでよかったと思えることの一つに、なにがあっても一緒に帰れるというのがある。帰りの新幹線に乗り込んでもちっとも寂しくない。一緒に思い出を持ち帰って、眠るときに「あれがたのしかった」「これがたのしかった」と言い合える。そう思うと、寂しさを持たずになんでもできる気がする。

疲れを少しだけ引きずったまま迎えた20日は、雨だった。

彼は大きなミーティングがあるらしく珍しくワックスを髪につけて(普段はわたしがワックスを付けないでと懇願しており、彼はそれをのんでくれている)、出かけて行った。

わたしも14時には打ち合わせがあったので、サクサク準備をして出かけた。普段は自転車に乗るのだけれど、雨だったこともあり久しぶりに歩いて出かけたのだけれど、駅の付近まで来たところで財布を忘れていることに気づいた。どうしてこんなに抜けているのだろうと、半ば自分に呆れながら家まで戻って、最終的に待ち合わせに20分も遅れてしまった。

頼んだクリームソーダは、机に来た段階からすでに形が崩れていて、メロンソーダは少し炭酸が抜けていて。わたしの心の疲れが、どろっとそこに滲み出ている気がした。

打ち合わせ相手のライターの女の子は、やる気で満ち満ちていて、これからいろいろなことを勉強したいのだと言っていた。こういう姿勢を目の前にすると、背筋が伸びる。素直な言葉で「わたしもがんばろう」、と思う。

変わったピンクとグリーンのバラを売っていたので、自分で花束を作って帰る。1400円くらいだったと思う。しばらくすると、彼が帰ってきた。「今日はお土産がある」とLINEで言っていたので勝手にプリンだと思い込んでいたけれど、青いデルフィニウムのブーケを持っていたので感激した。これまでも、彼はダリアやアジサイやデルフィニウムを買ってくれた。いずれも、ガーベラやバラでないところが、彼らしくていい。個人的な感覚にすぎないけれど、彼にはガーベラが似合わない。ああいう、定番で、誰でも手にとる、どうみても可愛い花に、彼の手は伸びない。

食卓に飾って、ご飯は簡易的に済ませて、サッカーを見ているうちに眠ってしまった。珍しく2時頃までうたた寝をしてしまい、目が覚めたときはひどく悲しい気持ちだった。こういう気持ちになるから、夜のうたた寝は嫌いだ。
彼はわたしを起こしてくれなかったのだろうかと心のなかで半ば八つ当たりをしながら彼のところへ行くと「たくさん起こしたのに覚えてないの?」と悲しそうにされた。わたしの知らないところでも、世界はちゃんと動いていることを忘れてはいけない。

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<<6/21>>

昨日いちにち乾かなかった洗濯物たちが、今日も乾きそうにない。曇り空でひんやり寒い朝だけれど、これこそが夏がくる予兆だなと思う。少しだけ影を潜めていて、あと少しで思い切り暑くしてやろうと企んでいるような。そんな気配。

朝8時ごろには彼が起きて、それにつられて目が覚めた。
ぼんやりしているわたしに彼がなにやらたくさん話しかけてきて、その途中光る携帯に「玉木宏 結婚」の文字を携帯に見た。彼の話を遮るのは悪い気がして、片手に携帯を握りしめたままふんふんと相槌を打ったけれど、寝ぼけていたのと、朝から衝撃的なニュースだったのとで、なんの話をしたのかあまり覚えていない。
玉木宏さんは、高校生の頃とんでもなく好きで、のだめカンタービレのころにはのだめとのキスシーンをまともに見れないくらい好きだったのだけれど、高校生の頃のわたしが心の奥の方で「ひぃ」と声を上げた程度のダメージで済んだ。大人になったなと思い、世界のどこかでまたひとつ家族がつくられたことを嬉しく思った。

朝からオクラとセロリを漬けて、彼と一緒に家を出たところで今度は携帯を忘れていることに気づく。昨日は財布、今日は携帯。心のなかの村上春樹が、やれやれと言う(やれやれ、は、村上春樹しか言わない言葉のような気がして)。

ところで、先日彼氏に何気なく言われた「さえりは知識欲があまりないよね」という発言が引っかかっている。

決して悪い意味で言ったわけではないし、彼は知識欲が豊富でいろいろなことを知っているので対比してみれば(自己卑下ではなく本当に素直に)わたしは知識欲がない(低い?)のだけれど、最近は特に自分の興味範囲のことばかり見ていたような気がすると、すこし反省をした。
いちにち二日で変わるものではないとわかったうえで、意識して街中を見つめてみたり人の名前を覚えようとしてみたりするのだけれど、やっぱり長年染み付いてしまった「興味のないものを全く覚えられない」という癖は変わらないみたいだ。人の名前や、芸術作品の名前、会社の名前や新しいお店。そういうものが全然覚えられない。

「知識欲があまりない」と言われてから、わたしが熱心に調べていたものといえば、「“はてしない物語”が映画化されたあと、あまりに原作と違うラストになっていたために、原作者ミヒャエルエンデは訴訟を起こした」だの、「原作と映画があまりにも違うもの一覧」だの、美女と野獣の原作についてだの、なんだかそういう偏ったことばかりでどうも時代に即さない。変なことばかり気になるのがわたしの性格なのだろう。諦めて、自分の好きなものだけでも掘り下げられるようにしておこうと思った。

帰ってからはご飯を作った。お母さんが送ってきてくれた「ぶちうまい味噌」という味噌をつかってお味噌汁を作った。「おいしい!」と言ってくれたのでハッピーな気持ちで眠りにつけそう。

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<<6/22>>

今朝は変な夢を見た。
友人がじつはわたしのことが好きだったといい、「それなのに、君はすぐに恋人を作ってしまって幸せそうにしている」と怒っている。そこまではよくありそうなものだけれど、「幸せにしているのは構わないが、だったら僕が『それなら仕方がない』と思うくらい、仕事においても輝いていてほしい。そういう君が好きだった。だから、恋愛なんかで満たされて他を何もかも差し置いてしまうような人生になってしまうのだったら、僕が報われない」など言い出すものだった。その友人は本当にただの友人なので、そこに対して何かしらの感情を持つことはなかったけれど、なんとなく夢の中の友人がやたらと切実に話しかけてくるので、朝からズシンと重たい気持ちになった。

天気は、これまでの数日とは打って変わって、朝から強い日差し。じりじりと焼けそう。彼は朝早くに出かけなければならないとかでドタバタしていて、わたしはその横で窓を開ける。期待に反してむわりと湿っぽい空気が肺に入ってきて、ちょっとだけ気が滅入ってすぐにベッドへと戻ってしまった。

午後からは打ち合わせがあった。
そこでとある活躍されている女の人が「わたし、星空見たことがないんです」と言う。「1〜2この星だったら見たことあるんですけど、星空とか流れ星とか見たことがないんです」と。わたしは心底驚いてしまって、「流星群とか見に行かないの? 星を見にどこかへ行かないの?」と聞いてしまったけれど「ないですないです」と言う。驚いていると、反対側に座っていたもう一人の女性も、「わたしも、学生の頃の学校のキャンプでしか見たことがないです」と言う。
「毎日、空を見ないの?」ときくと、「見ませんよ」との答えがある。
あまりに「いや、見ません」ときっぱりとした姿勢だったので、こうなってくると、「毎日、空を見ないの?」という質問をした自分が古代の人のようで笑ってしまう。

わたしはかなり真剣に心底驚いてしまい、そして反省もした。「星を見る人がマジョリティだ」と思い込んでいたことに気づいたからだ。類友とよくいうように、わたしの周りには星をよく見ているような人が多い。
母も彼氏も、月が綺麗な日には連絡をしてくるし、わたしは毎日のように星の数を数えている。

だからそういう人たちが普通なのかと思ってしまった。

少しだけ反省をして、そのあとは「この差異こそが、わたしを形作っているのか」と思った。星を見る習慣を、より大事にしよう。
(ちなみに、わたしは決して星を見るのが「良い」などと安易なことを言いたいのではないということだけはわかっていてほしい。それは人の趣味嗜好の話だから)。

知らない間に世界が狭くなってしまうかもしれないから定期的に色々な人の話を聞こうと思った。

ラーメンを食べようとすると、券売機に500円が落ちていた。誰かの撮り損ねらしい。500円。落ちている金額にしては高額だなと思った。このままお財布にいれる?と一瞬だけ頭にもよぎったけれど、店員さんに渡すことにした。

目の前にラーメンが出てくるまでの間、(さっきの500円、他の人だったらどうするのだろう?)と考えていた。500円もあれば、ジュースは5本も買えるかもしれない。券売機に落ちていたのだからお店のものではないし、持ち主も気づいていないだろう。そういうお金を「ラッキー」ともらってしまうことも、別に悪いことではないような気がする。そのことで誰かが困るわけではないし。じゃあどうしてわたしは、それをもらわずにお店の人に渡したのかといえば、「お金の入手経路」についてやたらとこだわるからだろうなと思った。道徳的な話ではなく、こだわりの話。

夜は、友人の家で飲み会をした。はじめましての人が4人もいて、総勢8名で。あちらこちらで、仕事の話が聞こえて、みんな熱いなと思った。自分の仕事について熱く語れるというのはいいことだ。くだらないことから真面目なことまで話して帰宅。いい時間だった。

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<<6/23>>

早めに寝たにもかかわらず、飲みすぎたせいか昼近くまで眠ってしまう。彼とふたりでだらだらとしてから、先輩夫婦の家に向かう。

降りたことのない駅に降りた。慣れない駅のせいで家までの道のりは少しだけ遠く感じた。家についたら手巻き寿司が用意されていて、話もそこそこにすぐにいただきますをした。昼からお酒を飲んで、あらゆることを話した。先輩は、前職から一緒で、何かあったら相談してみようと思える。全肯定してくれる空気がある。ああいう人が人生のなかに数人いると、それだけで安心して生きられる気がする。はじめてゆっくり話した奥さんは、すごく人柄がかわいらしくて、嬉しい気持ちになった。こういう家族が、世の中に誕生したのだから嬉しい。

そこで話したひとつの話が気になっている。
わたしと先輩は、文章を日常的に書いては自分の思考回路を形作るタイプ。けれどあとの二人は、SNSもほとんどやっていないし、日常的に何かを書き残すということはないのだという。こういう人たちを目の前にすると(もちろんそういう人が多いのはわかっているのだけれど)、どうやって自分の記憶を形作っているのだろう?と思ってしまう。

なにかつらいことがあった時、なにか嬉しすぎることがあった時。それが流れていってしまうことにさみしさを感じないのだろうか? どうやってその気持ちをしっかりと噛み締めるのだろうか?

最近のわたしの結論は、そういう人たちは心が自立している、というものだ。一人で出来事を咀嚼して味わっていける、タフさがある。誰かに話さなくても自分だけでその感情の形を確かめることができる。または、特に寂しさなど感じず、流れに身をまかせることができる……。
いずれにせよ、彼らはわたしよりもタフだと思う。別にどちらがいいとかいう話ではないのだけれど、やっぱりわたしはもっと形作っていかなければと今は焦っている。

満腹になって、帰宅したあとは二人してまた眠ってしまい、起きてからカップラーメンを食べた。大人は自由だ。


==(つづく)

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夏生さえり

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夏生さえり

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