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ひとこと手書き日記続けてます(1/2~1/16)

iPadを買ったのが嬉しくて、ひとこと手書き日記を始めたのですが、まだなんとか続いています。noteにはインスタには書けないちょびっと長めの日記を。メモだけは溜めていたのですが、更新が遅くなってごめんなさい。ピックアップしたものだけを載せているので、ちょこちょこ日付抜けてます(前回の記事は、こちら)。

1月2日
一緒に暮らす彼は、なんと今日から仕事。お正月を東京で過ごすのは初めてで、時間を持て余してしまう。お正月だしなんにもしたくないしと、1日中ごろごろしていたのだけれど、せっかくなので夜ごはんだけは頑張ってみた。手を痒くしながら里芋の唐揚げもつくった。
疲れて帰ってきた彼が言う。「ん!なんか良い匂いがする!」
「おいしい、おいしい、すごいねえ」。あぁこの一言を聞くための1日だったのか。なんでもない日だったけど、十分に贅沢だな。いい正月だ。

1月3日
彼を残して一人で実家の山口県へ。山口に帰る手段は、新幹線だけじゃなくて飛行機もある。でもわたしは絶対、新幹線を選ぶ。所要時間は4時間半と長すぎるのだけれど、そこがいい。好きなお弁当を食べ、お菓子を食べ、本を読み、少し寝る。起きて、考え事をして、なんだか泣けてきて、日記を書く。それでもまだ、神戸くらい。そこからだんだんと頭がぼんやりして、何も考えられなくなって、すっからかんで地元に着く。こんな風になんども繰り返した。受験の時にはずいぶん泣いたな、上京の時も山口-大阪間くらいは泣けたな。この時間は、自分を見つめられる。見つめて、見つめて、見つめ飽きるのにちょうどいい4時間半。新幹線、好きだ。

1月5日
彼と一緒に暮らすようになって、2日以上離れたのはこれで2回目。これまで一人で暮らしていたはずなのに、一体これまでどうやって暮らしていたのかと不思議に思うほどに寂しい。「この家は、さえりがいないと寒いよ」と彼が言う。「うそだ、わたしそんなにあったかくない」と答えるが、「ほんとうだよ」と彼が言う。きっと、ほんとうなんだろう。あの家は二人でおさまるための家だから。

1月6日
数年前、わたしは引きこもりだった。その頃、突然に「青い魚が欲しい」と思い、ペットショップで”ベタ”という熱帯魚を買った。深い深い青の小さな魚。名前は「小雨(こさめ)」。彼はずいぶん勇ましい魚だった。それもそのはず、彼は”闘魚”というものに分類されるらしい。他のものを見ると、誰彼構わず威嚇して攻撃してしまう。だから一匹でしか飼えない、さみしい魚。さみしい者同士ちょうどいい。そう思って飼ったはずだったけれど、彼はわたしのために小さなあぶくをせっせと作ってくれた(繁殖時期になると、巣のためにそのような行動をするらしい)。つくる度に”とつ”という音がする。彼が水面に息を吐き出す音。あの音だけがわたしを、つないでくれていた。彼にごはんをあげるためだけに起き、彼を眺めるためだけに座った。彼から生の気配がして、自分が生きていることを実感した。小雨はもういない。地元に帰るたびに手を合わせる。「もう大丈夫。どこにでも行って良いよ。私はもう大丈夫、格好よく泳げよ、誰かと一緒に。」

1月7日
実家の部屋のガラクタを、大量に捨てた。あの頃は、必死になって守ったものも今ではガラクタになってしまう。今わたしが必死に守っているものも、いつかはガラクタになるのだろうか。変わってなんていない。そう思っていても、じわりじわりと人は変わる。それを自覚するだけでも、何か救われたりするだろうか。

1月9日
東京に帰ってきた。恋人にもいろいろな形がある。四六時中一緒にいたい人たちも、ほとんど一緒にいなくても平気な人たちも。わたしたちは、すぐに会いたくなる二人だ。会えなくても平気、でも会えるなら会いたい。一緒に住んでるのにね。そんなこと別に口には出さないけど、態度でわかる。「もう5駅で最寄り」「じゃあ、待っとく。一緒に帰ろう」。「もうご飯食べた?」「今食べようと思ってたけど、待っとく」。「今日は一緒に朝ごはん食べよう」「わかったじゃあ目覚まし早めにするね」。

1月10日
わたしって結構鈍感だよなぁとよく思う。人の悪意にあんまり気づけない。マウンティングとか、自慢とか、そういう類のものにも疎い。だからそういう話を聞くと素直にぎょっとする。同じ世界でそんなやりとりがあるなんて、わたしの周りで起こっていないだけなのか、それともわたしのいるその場でもそんなコミュニケーションがされているのか。気づいていないのはわたしだけ? わたしの言葉もそう捉えられている? 深読みしようとすると、たまに怖くなる。でも鈍感でいいやって思うんだよね。できるだけ傷つきたくないし、信じたい世界を信じたいし、生きたい世界で生きていたい。

1月11日
「やりたい」と口にするのは簡単だけど、やらなかった記憶は自分の中に沈殿していく。気づかないうちにそれは泥のように底の方でぬかるんで、たまに足を引っ張ってくる。自信を失わせてくる。自分を嫌いにさせる。やらなきゃ、やりたいなら、やらなきゃ。些細なことでもね。

1月12日
わたしは結構ちょろい女なので、簡単なことでキュンとするし、「好きだなぁ」っていつまでも思えているけどあなたは? 寝ている彼の鼻筋を撫でながら問いかけたけど、いびきしか返ってこない。明日は可愛い服買おう。

1月13日
紫と黄色の小さなパンジー。一目で好きと思ったくせに「後で買おう」なんてぐずぐずしたせいで、なくなったかと思った(あったんだけどさ)。こうやってわたしは直感をないがしろにする時がある。あとで、あとで、あとで。でも、あとでが来ない時だってあるよ。あとでが叶わないときだってあるよ。「あの時やっとけば」「あの時買っとけば」「あの時言っとけば」「あの時会っとけば」。そういうのってダサいよね。もっと気持ちと行動を一致させよう。怠けちゃダメだ。

1月14日
ずっと、「人との関係性」において、わたしはどこか冷めていた。幼稚園の頃から1年半ごとに転校をしていたからか、友達とは「その場限り」だと思っていた。好きな人はすぐ変わったし、気持ちはすぐ冷めた。今は簡単にすぎると知っていた。馬鹿げていると笑われるかもしれないけれど、中3の時好きになった人のことを日記にこう綴った。「どうか彼をずっと好きでいられますように。わたしを取り巻く環境が変わりませんように」って。
ばかだな、「ずっと」を信じられないんじゃなくて、自分を信じられなかっただけじゃないか。変わるのが怖くて、いつか終わるのが怖くて、信じなかっただけじゃないか。「傷つかないための予防線」って言ったのはミスチルだったか。予防線なんて張ったって、傷つくときは傷つくんだ。潔く傷つけるのが大人じゃないのか。とか言ってみたけどまだ傷つきたくはない。でも、今は「ずっと」を信じられる。「ずっと」は唐突に訪れるものじゃなくて、今を重ねた先にあるものだから。手の及ばないものじゃなく、自分で重ねていけるもの。お互いが同じだけ、今を丁寧にしていればいい。ずっとはそんなに難しくない。きっとね。

1月15日
人の文章を添削すると、いろんなことに気づく。どんな癖があるか、どんな風に書いたか。せっかちか、丁寧か、迷いがちか。言いたくても言えないんだなとか、自分でもわかっていないなとか。わたしの文章もそんな風に見透かされているんだろう。嬉しいことでもあり、怖いことでもあり。見られている、自分のことは思ったより伝わっているんだ。

1月16日
急に情緒不安定になって、大泣きしてしまった夜。気分を紛らわそうと映画を観たのに、そのせいでなお憂鬱な気持ちに。ぐず、ぐず、と大きな涙を流していたら、彼が帰ってくるころには笑えるくらいに目が腫れていた。気持ちと涙をいっぺんに吐き出している間、彼は「そうだよね、そうだよね」と聞いてくれて、最後には保冷剤まで持ってきてくれた。次の日、まだパンパンに腫れた目があったけど、なんで泣いていたのかはすっかり忘れていた。なんか彼に不満があったような気がするけど、この目と引き換えに消えたかな。やっぱ、たまには泣いた方がいいね。

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まだまだ更新予定なので、ぜひチェックしてみてください。(Instagram:@n908sa

ちなみに落書きを載せている(サボり中の)アカウントはこちら(Instagram:@saeligood

ひとこと手書き日記、前回の記事はこちら〜! 合わせてどうぞ😊

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