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ヨハネ福音書を学び直す



コロナ禍以降、多くの教会で礼拝の配信が行われている。
ありがたいことだ。
日本基督教団所属の教会の配信もいくつか拝見しているが、
多くが指定された聖書の箇所に基づいて説教がなされている。

今年は、
『ヨハネによる福音書』のようだ。

ある教会で、
牧師先生が
最新のヨハネ福音書研究を反映させたお話をされた。

それによると、
この福音書は複数の著者が関与しているようだ。

中には、相反する主張も見られたり、明らかに後代の追記もあるとのこと。

それで、この箇所は、追記だから(読まなくて良い)、、。

うーん、確かにそうなんだろうけど、なぁ。何か違うような。

聖書学者さんたちは、
最新の研究で何を明らかにしようとしているのだろう?

学問的な成果を否定するつもりはない。
しかし、聖書学という学問の目的はなんだろう?

無神論者を表明する神学者もいらっしゃる時代だ。
聖書学者、必ずしも、《福音を伝える人》とは限らない。

いや、全く逆の立場の方もおられる。

主イエスの福音を、
人間的な「生き方」として捉え直すことこそ現代的意義であり、
それこそ現代への《福音》だと。
うーん、、、

そもそも《福音書》ってなんだ、って話だ。

福音書記者が、福音書を書いた目的。

くだんの『ヨハネ福音書』には、
明確にその目的が編集者によって記されている。

これらのことが書かれたのは、あなたがたが、イエスは神の子であると信じるためであり、また、信じて、イエスの名によって命を得るためである。
(ヨハネ20:31、聖書協会共同訳)

この目的に沿って読み、
その内容に向き合うことが、
何よりも著者たちの願うことだろう。

〈学問〉を尊ぶあまり、
この目的から外れたとしたら、
本末転倒だと思う。

かと言って、
最新の学問的成果を無視するのも問題だろう。

手持ちの書物や資料は、
20世紀以前のものばかり。

今世紀に入ってからの著作は、
せいぜいかの田川建三氏の訳と註解くらいか。

ということで、
いろいろ探してみたところ、

R.カイザー著 前川裕訳の『ヨハネ福音書入門』が目に止まった。

これで少し最新の聖書学の成果を少しなりとも勉強してみよう。

写真に一緒に写っているのは、
由木康著の『イエス・キリストを語る』(講談社学術文庫)。

由木氏は、讃美歌「まぶねのなかに」の作詞作曲家でも知られる。

氏が亡くなった後に見つかった『ヨハネ福音書』の説教原稿で、
未発表原稿を整理されたものだ。

この本は、捨てられない。
サラリーマン時代に、仕事に追われて、聖書から離れてしまった時期に、手に取った。

読み進むうちに、〈初めの愛〉が蘇ってきた。

聖書に向き合う気持ちを湧かせていただいた。

まさに、この本のタイトル通りだった。

そして、それこそ『ヨハネ福音書』の著者たちが望んだことでもあると思う。

最新の聖書学の成果から何を学べるか興味はあるが、
何よりも、
この目的に向かって魂を整えさせていただければと願う。

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