吐露するほどに、吐けなくなる

自由っていいなーと思う。
拡がりがあるよねー。
もっと自由な思考になれたらいいよね。
でもきっと、自由に縛られてるようじゃ、
それは不自由なんだよな、と思っている。

時折、【心に素直に】あれ、なんて言葉を僕は人にいうことがある。
そして、その何倍も【心に素直に】というフレーズを聞いてきた。

【心に素直に】で、だなんて、本来は言いはばかられることだ。

ちょっと考えたら軽々しく言っちゃいけないことだとわかるはずだ。そんな無責任なこと。
本人以外、その人の人生の責任はとれないのだ。
(それ相応の立場の違い、目線の違いがあるなら、良いかもしれない。まぁ、それはそうだ。
逆にいうと、『上から目線である』ニアリーイコール相手の尊厳を傍においているんじゃないか?な自分に気づくかもしれない。
その上でなら良いんじゃないかと思う。あとは、ご自由に。という世界の話。それもまた自分の責任で、だからだ。嫌われようが、傷つけようが)

最近、珍しく腹が立ったので(腹がたつことは、よくあるが、抑えなかったことは珍しい)素直に心にあるものを一部出してみた。

『俺は、もともと無責任な人間だ。
だからこそ、自分が責任とりたいことは、しっかりと責任をとりたいし、自分が責任とりたいことだからこそ、一生懸命にやる。逆に、自分が一定の責任をとれない事柄は、一定の力でしかやらないし、一定の範囲でしかやりたくない。ここまではやりたいと決めたことをここまではやるし、ここから先はまぁ良いかと判断すれば、そこまでで良しとする。
それを自分の責任で行えることだからこそ、
そういう『自由』を楽しむんだ。
自分が責任をとるからこそ、な。何かと俺のすることに口を挟む君だが、
俺のすることに、君は責任をとれるのか?
責任をとれると思っているなら、舐められたもんだな。
責任をとる気がないなら、そういう口の挟み方は甚だ無礼だ。 そんなに責任をとりたいなら、譲ってやるが、やるのかやらないのか、はっきりしろ。


自分の守備範囲以上のことを無邪気にさえずる様に対して、たしなめるつもりで、日頃心の中で抑えてきているところを半分程度だろうか、伝えてみた。
結果

黙ってしまった。
ああ、やってしまった。

何も申し訳ないことをしたなぁ…という思いではなく、黙られるとパフォーマンスが著しく落ちるから、だ。お互いに。

これだから、心に素直にいうもんじゃない。
むしろ、マイナスなのである。
やりにくくなるだけである。

吐露するほどに吐けなくなる。

さて、僕がなぜ酒場などをやっていて、
自分のやっている酒場が好きなのか(僕はあんまり酒そのものが好きなわけでもないし、酒場も好きなのでもない)というと、

『吐露しない想い澱のように留まる』

それを攪拌して飲み込みやすくするのもまた、バーテンダーだからだ。

誰が飲む?テメェ自身しかいないのだ。

責任をとるのも、吐けない想いを飲み込み、味わい、人生の道端で酩酊するのも自分1人だからだ。

そこにあるのは酒であろうが鱒であろうが、
そこにいる人は自分で責任をとる準備をしたり、酩酊したりしている。

少なくとも、僕はそれを見つめている。

僕は自分のやっている酒場が好きなのだ。

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