見出し画像

【小説】シェッズ先生の酔狂なバレンタイン




 バレンタインデー。男女が愛を告白し、贈り物をする日。近年では、女性が意中の男性にチョコレートを贈るスタイルが流行していた。

 煉瓦を壁に敷き詰めたビルの二階の事務所に一つだけある窓から、下に広がる大通りを行き交う人々が見える。この中のいったい何人が、今日という日に一世一代の大事を成し遂げるのだろうか。

「先生。リサちゃん、上手くいきましたかね」

 田中は自分の師匠であり雇い主の探偵、シェッズに尋ねた。

「そんなに気になるのかい? ワトソン君」
「そりゃあ気になりますよ。僕の名前は田中ですが」
「上手くいくともさ。僕が彼女を全面的にサポートしたのだから」

 人々の恋心が溢れるこの日に探偵なんぞの出る幕は無いと思っていたが、今回は訳あってシェッズも動いていた。

 始まりは一週間前。シェッズがひいきにしている紅茶問屋に、田中を引き連れて茶葉を買いに行った時のことだった。

「せんせい。おねがい、きいて」

 そう言ってシェッズのコートの裾を引っ張ったのは、問屋の一人娘のリサ。まだ幼く、言葉も少したどたどしいが、しっかりした性格の子どもである。

 話を聞くと、どうやら近所の遊び仲間の中に好きな男の子がいるらしく、来週のバレンタインに告白したいから手伝ってほしいとのことだった。

 田中は女の子らしくてかわいいお願いだと和やかな気分に浸っていただけだったが、シェッズは大張り切りでその依頼を受けた。報酬もいらないと言い切った。

 田中は彼らしからぬ決断に驚いた。どんな依頼でも希望する報酬をしっかりと提示してきっちり受け取るのがこの男である。小銭一つ持っているかも怪しい子どもの依頼を二つ返事で受けるとは。だがよく考えると、リサはシェッズがひいきにしている紅茶問屋の娘。もしこの計画が上手くいって将来夫婦となれば、恋のキューピッドは間違いなくこの男である。それを恩に着せて紅茶を安く手に入れる腹なのではないか。依頼に対して清廉潔白で有名なシェッズが、紅茶が関わることで途端に底意地が悪くなる様に、田中は思わず頭を抱えた。

 話がまとまってからのシェッズの行動は、普段の依頼の倍も迅速であった。相手の男の子の基本的なプロフィールから好みのタイプまで全てを調べ上げ、男の子が紅茶好きと知るや否やさらに上機嫌になって仕事のスピードを上げ、チョコ作りにも加わって紅茶によく合う絶品チョコを完成させた。そして渡し方や告白の仕方を徹底的に教え込み、当日へと至るのである。

 一部始終を見ていた田中は驚くことと呆れることに忙しかった。上手くいく告白の方法を知っていながら、なぜ気のある異性に使わなかったのか。シェッズにそんな女性がいたのかはわからないが、自分が次に告白する時は必ず役立てようと思った。しかし田中にもそんな女性は未だいない。

「まだ来ませんね。リサちゃん」

 シェッズに向けて話したつもりだったが、当の本人は今もご機嫌で、革の椅子に座ってくるくると回っている。

 告白したら報告に来るよう、リサに言っておいてあった。もう夕方近くになる。そろそろ来てもいい頃だ。

 突然、シェッズが動きを止めた。田中が不思議そうに彼を見ていると、誰かがドアを叩く音がした。田中が急ぎ足でドアを開けに行くと、そこには嬉しそうな顔で田中を見上げるリサがいた。田中はしゃがみ込んでリサに結果を聞く。

「リサちゃん。どうだった?」
「あのね! うまくいったの! チョコ、おいしいって、たべてくれた!」
「そうか、良かったね!」

 リサが満面の笑みで頷くと、シェッズもドアまで来て彼女の頭を撫でた。これで計画は成功したと言わんばかりの顔である。だが何故か、腹黒い印象は受けなかった。きっとシェッズも、彼女たちの仲が上手くいったことを素直に喜んでいるからだろう。

 上手くいったのだから祝おうじゃないかと、シェッズが突然言い出した。部屋の奥へ向かい、紅茶を人数分用意する。部屋の真ん中にある応接用のテーブルにそれぞれ置き、リサにソファを勧めた。まずは紅茶で乾杯。数あるバレンタインの中の、小さな一つを祝うティータイムが始まった。



サポートいただけましたらとても嬉しいです。よろしくお願いします。