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【小説】パセリ




 雨が止んだのは、午後三時。空は先程までの淀んだ灰色の雲底から一転して、洗われたように清々しかった。夜までに水溜まりがなくなってくれたらいいのに。せっかく新調した靴が、店に着くまでに汚れてしまっては格好がつかない。服はあまり心配いらないけれど、ストッキングは水が跳ねて汚れそうだ。

 心配事はそれだけではない。今日出かけるレストランは、彼がセッティングしてくれた高級イタリアンで、テレビで時たま紹介されるような店である。彼が一緒ならどこにでも行く。そんな甘い言葉を雰囲気に流されて言ったことはあるが、今回は正直に言って、あまり気乗りしていなかった。

 会社の同僚として出会ったが、彼の父は小さな会社を経営している。小さいと言っても利益はそれなりに上げていて、彼も良い暮らしをしていたようだった。一方は、それなりの会社の平社員の父で、贅沢なんて年に数回あるかといった稼ぎの家。ドラマでよく見るような天と地ほどの格差ではないにしても、平屋と10階建てマンションの最上階ぐらいはある。第一、誕生日というだけで高級レストランを用意してくるのだ。実家にいた時は、近くのケーキ屋で買ってくるケーキだけだった。それで満足してきた身分にとっては、まるで夢のような話である。

 とはいえ、彼の好意を無駄にするのもよろしくない。色好い返事はしたものの、上品な場所でのマナーなど身についていない状態で大丈夫だろうか。パセリは食べてもいいのかわからない。フォークとナイフの使い方も怪しい。こうなるなら、マナーの本でも買って読んでおけばよかった。しかし、先に立たなかった後悔をいつまでしていても仕方がない。待ち合わせまでは時間もある。少しでも知識を入れておこうと、パソコンを開いた。



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