新座片山FC


僕が小学生の頃に所属していた新座片山FC

僕等の代で県大会10連覇?を達成した埼玉県内の強豪チームでプレーをしていました!

その当時県大会で連覇していたのもあって、市の小さな大会でも相当プレッシャーがあったのを今でも覚えています。そのプレッシャーも負けたらゲンコツをされるというのが大きかったですが…(笑)

平日は毎日練習、土日は必ず試合。

埼玉県内の大会等がない時には、県外に日帰りまたは宿泊しに行って何試合もする。

大体その土日の日程は、金曜の夜遅くに連絡網の電話で次の日の日程が伝えられるのですが、練習で疲れてる僕は飯食って風呂入って早い時間にベッドに入っていました。

明日の連絡が電波回線の不具合で来なきゃいいのに。
親も寝て、電話気づかずにいてくれとか。
ベッドの中で思ってました(笑)

そんな金曜日は毎週恐怖と闘いながら眠りにつくという地獄のような週末でした。

なかでも今でも鮮明に覚えている思い出が大阪遠征という1週間程、関西近辺のチームとひたすら試合をする合宿です。

その遠征先で高田FCという奈良県のチームと試合をしたあと、内容も良くなく負けてしまい、マイクロバスの中で全員立ったまま一時間程かけて宿に戻った事です。

通行人の人達も驚いて笑われたりしましたが、こちらはまじで怒られているので笑えなかったですね(笑)

そんな小学生時代は家族よりもチームメイトと過ごす時間が濃いし、多いしで、思い出は全て新座片山FCの記憶しかないです。

今でも仲間達と頻繁に会ったりしますが、当時は辛かったはずの思い出が笑い話になってみんなで毎度盛り上がってます!

しかし、なぜ僕等の代の新座片山FCは県内では強かったのに全国少年サッカー大会でタイトルを獲れなかったのか。

僕は結論から言うとチーム戦術は、はっきりしていたけど攻め手のバリエーションや個々のアイデアが出せていなかったかなと思います。

チーム全員が試合に出たときに何をするべきかが分かっていた。

練習でチームとしてその戦術を落とし込んでいる。

この点は良かったのですが、戦術、選択肢を潰されたときの一手やアイデアが無かったな~と。

この点から今思うのが、監督、コーチが提示している戦術の中でそれを表現するのは大事だと思いますが、チームとして戦術が機能しなくなった時に、自分自身のアイデアだったり相手の嫌な事を随所に出せる選手は成長していく良い選手だなと思います。

僕等の代は特別飛び抜けてる選手はいなかったんですが、一人ひとりの強みを発揮し、互いの弱みを補い合える、そんなチームだったからこそ埼玉県内で強さを発揮できていたと思います。

小学生年代では、ある程度の自由を与えてあげる方が良いのか、選択肢を絞って提示してあげる方が良いのか。

チーム戦術を尊重するのか、個を尊重しているチームかで考え方は変わってくると思いますが、自分の強みをチーム戦術をする上で還元できる選手は良い選手だな〜。

と、カンボジアの少年達のサッカーを観て思ったので綴ってみました。


清水慎太郎

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