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<編集後記> メキシコと日本との接点(ル・プチメック コラム)

ル・プチメックさんのコラムが終了してリンクが切れたので加筆してます。

…今月も無事投稿できたコラム掲載。言い訳のような感じで編集後記を綴ってみる。

冒頭で使っている写真は、京都ラテンアメリカ文化協会の事務機能が併設されている京都外国語大学ラテンアメリカ研究所の壁に飾られた盾状のレリーフである。中央にはメキシコ国旗と同じモチーフとしてウチワサボテンの上で蛇を咥えた鷲を表している。周りに書かれた言葉は「Estados Unidos Mexicanos:メキシコ合衆国」「Consulado honorario de Mexico:メキシコ名誉領事館」なっており、ここでは在京都メキシコ合衆国名誉領事館も兼務しているということだ。       

先日、メキシコ国旗の遍歴について書かれた投稿が目に入って来たので、良いタイミングなので紹介しておく。

メキシコ合衆国旗の視覚表現
<色>
・緑:民族の運命における人々の希望
・白:人々の理想の純粋さ
・赤:祖国の為に流れた英雄たちの血
<国章>
戦う姿勢のメキシカン・イーグル が左足で湖の畝(うね)の頂上から生える、花咲くウチワサボテンを掴み、右足とまがったくちばしで1匹の蛇をくわえている。
<シンボル>
・蛇:大地の可能性
・鷲:太陽の宇宙的な力
・ウチワサボテン:メキシコの自然環境

メキシコの国旗の歴史とその文化遺産より



前回の編集後記でもメキシコに関することを述べていたんだけれど、若い時にメキシコに渡って事業を興して生活をされていた大先輩の話を聞いていると、「郷に入らば郷に従え」を地でいくような話題たっぷりでとても楽しい。

メキシコの歴史を少し紐解いたんだけれど、1810年にスペインからの独立、さらに1910年に独裁政権からの民主革命を経ている。当時日本は江戸後期から幕末を経て、明治後期となり大日本帝国による韓国併合の年にあたる。世界は何処も不安定だったのだろうかね。

最近でも、ラテンアメリカはホンジュラス、エルサルバドル、グアテマラなどから発生した数千人規模の大移民集団(キャラバン)の一団がメキシコを経由してアメリカに向かったことで、アメリカ側では国境に壁を建設することが進んでいる。また、同じくラテンアメリカにあるベネズエラでは二人の大統領が存在する事態となっており、メキシコの新大統領(極左)しかりブラジルの新大統領(極右)しかり、ラテンアメリカ全体的の政情不安はピークにあるんじゃないか…。遠く離れた日本でのほほ~ん暮らしている肌感からすると異世界のように感じる。

植民地として民族間に分断された時代があって、そこで生まれた貧富の差が今もなお、色濃く影響しているのはアメリカ大陸の歴史そのものなんだと思う。

アメリカ大陸にはマヤ・アステカなど古代文明の遺構も多い、そのひとつメソアメリカ文明のシンボルとして「鷲」がいつの世にも使われていたとされている。奇しくもアメリカ合衆国も同じく「鷲」ですね♪


ちなみに、僕が住んでいる京都市の太秦であっても大陸からの多くの移民が訪れ、当時の日本人にさまざまな技術を提供したことで、日本の文化や生活に多くの影響を残しているだよ。

応神天皇(15代天皇:300年前後・古墳時代)の時代、秦(しん)の始皇帝の子孫とされる弓月君(ゆづきのきみ)が多くの人民(18,670余人)を率いて渡来し、養蚕、機織の職にて朝廷に仕えたとされる。

太秦・大酒神社の由緒より


ル・プチメックとは、1998年に創業された京都でも指折りのパン屋さんなんだけれど、京都に限らず全国にそのファンを持つとてもユニークなパン屋さんだと思ってる。店舗は東京にもあるし、レフェクトワールという名前でレストラン業態も運営されている。

#編集後記 #言い訳 #コラム #姉妹都市 #メキシコ #社会

僕のnoteは自分自身の備忘録としての側面が強いですが、もしも誰かの役にたって、そのアクションの一つとしてサポートがあるなら、ただただ感謝です。