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<編集後記> 1996年、グアテマラの夜。(ル・プチメック コラム)

ル・プチメックさんのコラムが終了してリンクが切れたので加筆してます。

…今月も無事投稿できたコラム掲載。言い訳のような感じで編集後記を綴ってみる。

今だとグアテマラって聞くと珈琲豆の産地として耳にすることが多いんだけど、当時も珈琲豆は輸出品として大事な産業だったと聞く。バスを乗り継いて移動する中、立ち寄った喫茶店で出された珈琲はネスカフェのインスタントコーヒーとお湯だったり、ドラム缶ほどの寸胴鍋に大量に作られたミルク入り珈琲を注文の度にすくってもらう大雑把なスタイルが記憶に残っている。生産地で飲む珈琲ってそういうものか思ったわ♪ (20年前の話だけど)


僕の初めての海外旅行は二週間だったけど、「ラマーサ」の店主(木下清孝氏:キヨさん)はグアテマラで語学を学んだ後、数ヶ月ぐらいグアテマラでお店を作って飲食店を営んでいたと聞く。その後、元々の目的であるスペインに渡ってレストランで働くことになった。そして、数年後に京都に戻って来て1998年「ラマーサ」がオープンすることになった。キヨさんはできることは何でも自分でする哲学を地でいく人です。

当時、お店のほとんどはキヨさんとその友人らが集まって自作(セルフビルドって言うと聞こえも良い?)。年齢で言うと20代半ばというのもあって友人らも体力有り余っている感じで、僕も少しは手伝っていた気がします。

それからおそらく10年ほど、僕は立体造形という領域で彫刻作品を作っては発表するような生活を送っており、「ラマーサ」でも展示してもらったりしていたし、僕のスタイル(アルミニウム、革などの素材を用いる)でテーブルで使うメニューブックを作ったりした。5つぐらいそれぞれ違う構造のメニューブックで、中には重かったり、使い難かったものもあったようだけど、、、。

当時、閉店前にひょっこり顔を出しては賄いを一緒に食べたりすることが多く。ちゃんと「ラマーサ」で食事する機会は年に数回ぐらいだったと思う。僕の実家は飲食業でもあったためか外食した記憶はほとんどなく、それもあってか、フォーク&ナイフを使ってレストランで食事をするのは「ラマーサ」での想い出が多い。

2006年には姉妹店である「エルフォゴン」が開業する。当時はバルスタイルやシガーバーなんてスタイルも少なかったこともあって、「エルフォゴン」は「ラマーサ」よりも人気店になっていった。その後、いくつか店舗も増やしていたようだけど、スタッフが経験を積んで独立するという流れもあって、京都市内にスペイン料理店も増えていった。20年前は数店しかなかった京都のスペイン料理店、その黎明期の中心にいたのは「ラマーサ」を作ったキヨさんなんだろうね。

毎年恒例となっている「京都スペイン料理祭」を傍から見ていると、若い世代が彼らの時代を作っているのも垣間見える。気がつくと僕もおっさんになってるわ♪

そして、2018年7月22日に「エルフォゴン」が最終営業日を迎えたんだけど、「ラマーサ」を「エルフォゴン」の跡地に移転・リニューアルするという展開となって、2016年にオープンした姉妹店「バラッカ」もプチ・リニューアルを行い、心機一転リスタートとなる。

2018年8月5日、両店舗合同のレセプションが開催されるのだ。サルー♪


ル・プチメックとは、1998年に創業された京都でも指折りのパン屋さんなんだけれど、京都に限らず全国にそのファンを持つとてもユニークなパン屋さんだと思ってる。店舗は東京にもあるし、レフェクトワールという名前でレストラン業態も運営されている。

#編集後記 #言い訳 #コラム #グアテマラ #メキシコ #旅行 #ラマーサ  

僕のnoteは自分自身の備忘録としての側面が強いですが、もしも誰かの役にたって、そのアクションの一つとしてサポートがあるなら、ただただ感謝です。