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「最初の保持者は自分の所有物を示し、厳かにそれを手渡し、こうして受領者を買う」

マルセル・モース「贈与論」によると、代金を払う前に商品を手にしている時、買い手は売り手に「買われている」のだそうです。

非常に奇妙に感じる事ですが、こう考える事で万引きが犯罪となる事が説明出来ます。

つまり、品物を手にして代金を払うまでの間、買い手は売り手に買われている、その状態を解消するには、買い手は売り手に代金を渡す必要があるわけです。

それをしないまま、品物を保持し続けようとするとどうなるか?

契約する者はレウス(債務者、罪人の意)である。それは何よりも他人からレス(物)を受領した者であり、そのような資格のためにレウスとなる。これによってレウスは物そのものにより、つまり、物の魂によって、相手に結び付けられるのである。

既に、このシリーズの中で、贈与経済においては、モノがやり取りされる時、モノの「霊」もやり取りされていると言う事をみてきました。

何かをしてもらったら、お返しをする、そうしないと気が済まないと感じる、それの「気が済まない」の「気」こそ、「もらったモノ」の「霊」である、贈与論的な論理ではそうなる事を見てきたわけです。

そして、お返しをしないと祟りがあると考える、

ところが、祟りと言う人間を超えた世界の話、霊の世界のような話から、「制裁」、つまり、人が人を裁く、具体的には義務を果たさない人は奴隷となる、そういうルールがどうして成立してくるのか、

その点について、僕は「祟りと制裁の間にある飛躍」と表現しました。

この飛躍を成立させているものこそ、モノを手にしたものは、モノの霊によって相手に結び付けられる「債務者=罪人」であると言う観念なのではないかと思います。

お返しをしない、代金を払わない、それはモノの霊の祟りを招く ⇒ なぜかと言うと、モノを手にした時、その人は罪人であるからだ。モノの霊によって、モノを与えた人に結びつけられた状態は、罪人の状態なのだ ⇒ だからこそ、代価を払って罪人の状態から逃れる必要がある ⇒ 代価を払う前の状態、罪人状態と言うのは、買い手が売り手に買われている状態なのだ ⇒ 代価を払わずに品物を保持し続けようとすればそこには制裁が待っている

こうした思考回路によって、贈与経済の状態にある社会から、刑罰が生れ、債務を履行しない者は奴隷に落とされると言う制裁処置が登場してくるのではないかと思います。


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