見出し画像

中世における日本神話~平家物語が語る「草薙の剣」

平家物語巻第11第107句「剣の巻」は、壇ノ浦の戦いで海中に没した三種の神器のうち、「草薙の剣」について述べています。

この部分の記述は、当時の人たちに、日本神話がどのように受容されていたかを知る貴重な手がかりのように思われます。

剣の巻は、草薙の剣が登場するまでの経緯についてこのように語り出します。

それ神代と言うは、天神のはじめ、国常立尊は色はありて体なし。虚空にあるごとく、煙のごとし。ただ、天地陰陽の儀なり

この部分の大意は「『神代(神話に記された神様の時代)』の天神の最初は、国常立尊です。見ることは出来るのですが、形はなく、煙のような存在でした。天地の間にある陰陽の気のようなものだったのです。」

です。

さて、この記述を日本書紀や古事記と比較してみると、興味深い事がわかります。

まず、日本書紀の本文に国常立尊がどのように登場してくるか見てみましょう。

古に天地未だ剖れず。陰陽分かれず。渾沌にして鶏子の如く、冥涬にして牙を含めり。其の清陽なる者は薄靡きて天に為り、重濁なる者は淹滞りて地に為るに至りて、精妙の合搏すること易く、重濁の凝竭すること難し。故、天先づ成りて地後に定まる。然して後に神聖其の中に生れり
故曰く、開闢の初めに洲壌の漂えること、譬えば游魚の水上に浮かべるが猶し。時に天地の中に一物生まれり。状、葦牙の如く、すなわち神に化為る。国常立尊と号す

大意は、昔むかし、天地がまだ分かれず、陰陽も分かれていなかった時、まるで生玉子のようにドロドロして(固体と液体も分離していないような状態)で、薄暗く、見分けはつきにくかったが、なにかのキザシが含まれていました。

清らかで明るい気は薄くたなびいて「天」になり、重く濁った気は滞留して地になりました。清らかなものは集まるのが簡単でしたが、重くにごったものはなかなか集合しませんでした。

だから、天が先に出来て、後から地が固まったようです。

この時、なにか神聖なものが生まれました。

天地が分離し始めた頃、地の土壌が漂っている様子は、遊ぶ魚が水の上に浮いているような状態でした。

その中に葦の芽のようななにかが生まれてきました。これが神になりました。国常立尊です。

と言うことです。

この日本書紀本文と平家物語を比較してみると、平家物語が述べる「国常立尊は天神の初めだ」と言う話は日本書紀本文には書かれていない事がわかります。

世界がまだ天と地に分かれておらず、ドロドロの「生玉子」のような状態だった時から、天と地が分かれて、この世界が成立したと言う話は、中国の「淮南子」に見えます。

日本書紀本文は、この淮南子の記述を下敷きに、日本の神様の登場の様子を語っているとされています。

しかし、淮南子も日本書紀本文も「天神の初め」=「国常立尊」とは、直接には語っていません。

日本書紀本文が語っているのは、

1)世界は天地が分かれて成立した

2)先に天が出来て後から地が出来た

3)地がまだ固まりきっておらず、水上の魚のような状態で漂っていた時、葦の芽のようなものが生まれた

4)この葦の芽のようなものが神になった

5)それが国常立尊である

と言う事です。

平家物語が、この日本書紀本文を受けて、「天神の初め=国常立尊」と語っているとすると、

この世界が誕生した時、天地が分かれ始めた直後に登場したのが、国常立尊なのだから、それが天神の初めに違いないと言う「解釈」を交えていることになります。

平家物語の「草薙剣」譚を読み込む事が重要なのは、平家物語成立時点で、当時の人々が日本書紀に記された「日本神話」をどう理解していたかを知る手掛りになると思われるからです。

そして、現代の私達の「日本神話」理解が成立した経緯を知るにも役立つと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?