20190826平家物語2

神々の「進化」を記す「平家物語神学」

平家物語巻11第107句「剣の巻」は、以下のような神々の系譜を載せています。

それ神代と言うは、天神のはじめ、国常立尊は色はありて体なし。虚空にあるごとく、煙のごとし。
国狭槌尊より体はありて面目なし。豊斟渟尊より面目ありて陰陽なし。第四より陰陽ありて和合なし。埿土煑尊埿土、沙土煑尊、大戸之道尊、大苫邊尊、面足尊・惶根尊等なり。

この系譜は、日本書紀本文と一致(独り神に関する限り、第一別伝とも一致)し、日本書紀の第二~第六別伝や古事記本文とは一致していません。

では、平家物語の神統譜は日本書紀本文の単なるコピペなのかと言うとそうではなく、独自の記述が見られるのです。

まず、平家物語は、「天神のはじめ=国常立尊」としていますが、「天神のはじめ」と言う記述は日本書紀本文には見られません。

ついで、国常立尊が「色はありて体なし。虚空にあるごとく、煙のごとし」と言うのも日本書紀本文にはない記述です。

日本書紀第一別伝には、

「一物虚中に在り。状貌言う事難し」、つまり、どう表現していいか分からない形の存在があったと述べています。しかし、平家物語のように「色はあるが体はなし」(目には見えるが定まった形状の体と言えるものはなかったとまでは言っていません。

また、日本書紀第一別伝は、そのどう表現していいか分からない形状の物から自生してきたのが国常立尊だと言っており、国常立尊そのものがどう表現していいか分からないような形状だったとは言っていません。

つまり、国常立尊が「煙のような」存在だったと言うのは日本書紀本文にも別伝にもない平家物語独自の表現なのです。

平家物語は、国常立尊に続いて登場する国狭槌尊について、「体はありて相貌なし」(体はあるが、顔つきがない)、次の豊斟渟尊は「面目ありて陰陽なし」(顔つきはあるが、男女の別はない)としています。

そして、続く対偶神について、「陰陽はあるが、和合なし」。つまり、男女の別はないが、「交わり」はなかったとしています。

対偶神については、日本書紀本文に「乾坤の道、相参りて化る。所以に此の男女を成す」とあります。

乾坤は陰陽、つまり、男女の意味と考えられますので、日本書紀本文は対偶神に男女の区別があった事を述べているとは言えます。

しかし、(1)目には見えるが体はなく、煙のような存在、(2)体はあるが顔つきはない存在、(3)顔つきはあるが性別はない存在、(4)性別はあっても交わりはない存在

を経て、イザナギ・イザナミが登場し、そこで初めて「和合=交わり」があったと言うのは、日本書紀本文にはない記述なのです。

イザナギ・イザナミまでを「神代七代」とする本文に続いて収録されている別伝には、「男女まぐわい生れる神」として、対偶神を記述していますので、対偶神の段階で「男女の交わりがなかった」と言うのは、日本書紀別伝からは出てこない解釈です。

ここまで、平家物語・剣の巻の神統譜は、日本書紀本文に依拠しながら、神々が進化しながら登場し、イザナギ・イザナミに至って初めて男女の交わりをするようになったと言う解釈を付け加えている事になります。

中世における日本神話の「神学」として、非常に興味深い記述だと思われます。

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