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一書に曰く天地初めて判れしときに始めに 倶に生れる神有り。国常立尊と号す。次に国狭槌尊。又曰く高天原に生れる神、名付けて天御中主尊と号す。次に高皇産霊尊。次に神皇産霊尊。皇産霊、此には美武須毘と云う。

日本書紀の冒頭部「国常立尊登場物語」には、本文の他に、6つの別伝があります。

そのうち、第四の別伝は上記のようになっています。

この第四別伝は、本文や他の5つの別伝に比較して、独特の性格を持っているように見えます。

まず、本文や別伝に出てくる「葦の芽」のようなものが登場してきません。本文では、天地が未分離の状態から分かれて出来た時、葦の芽のようなものがあって、それが国常立尊になったとしています。

第四以外の別伝でも、葦の芽のようなものがあって、その後、国常立尊が登場してきています。

しかし、第四別伝には、葦の芽のようなものがなく、国常立尊が出てきます。登場の仕方も、「天地初めて判れしとき、始めに倶に生れる」、つまり、この世界が始まった時に一緒に国常立尊が生まれたのだとしています。

本文や他の別伝では、「世界の始まり」の時にも、一定の順序で物事が起きていている事が含意されています。

「始まりの始まり」の後、他の出来事があって国常立尊が出てきたと考えているわけです。しかし、第四別伝は、そうした「順序」を語っていないのです。

第四別伝の独特さは、まだあります。

「高天原」が登場してくる点です。本文及び他の別伝には「高天原」の語はありません。

その「高天原」の登場の仕方ですが、単に「高天原に生れる神」と書かれているだけなので、どう登場してきたかが分かりません。

先行する「天地初めて天地初めて判れしときに、始めに倶に生れる神有り。国常立尊と号す」の「天地初めて天地初めて判れしときに」が、「高天原に生まれる神」にも掛かっているのでしょうか?

そうだとすると、第四別伝は国常立尊と同様、「世界の始まりの時」における時間的順番をつけない形で高天原を登場させている事になります。

それに、「又曰く、高天原に生れる神」と「又曰く」がいったん入っています。ですから、第四別伝冒頭の「天地初めて天地初めて判れしときに」は「高天原に生れる神」に掛かっていないと考える事も出来ます。

そうだとすると、高天原はいつ出来たのか?語らないまま、いきなり登場させている事になります。

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