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モノを人にあげると極楽往生出来ると言う思想の源流

マルセル・モースの贈与論では、古典ヒンドゥー法についても触れています。

かなり古い時代の叙事詩に登場するような「贈与」についての考え方が、現代でも生き残っている事を述べています。

物を人に与えれば、そのよい報いがこの世であれ、あの世であれ生まれる事になる。この世ではそれと同じ物を自動的に贈り主にもたらす。贈り物は失われる事なく再生する。あの世では贈り主が送った物を再び見出すが、それは増えているのである。

以前に日本語に訳されたコーランを読んだ事がありますが、確か、善い行い、施しをする事は神様にお金を貸すようなもので、たっぷり利子をつけて返してもらえると言うような意味の事が書いてあったような記憶があります。

子供の時に善い事をすれば極楽に行けて、悪い事をすれば地獄に堕ちるみたいなお話しを聞かされた事も思い出しています。

新約聖書のマタイ福音書にはこう記されています。

施しをするときは右の手のすることを左の手に知らせてはならない。ひと目につかせないためである。そうすれば、隠れた事をみておられる父があなたに報いて下さる

なぜ、良い行いをすれば、神様や仏様に報いてもらえるのか?

それはモノには「霊」があり、「霊」には最初の所有者のところに戻ろうとする性質があるからです。

良い物(事)にも悪い物(事)にも霊があるのです。良い物(事)、あるいは悪い物(事)を人に(して)あげた場合、その物(事)の霊はその人のところにいずれ戻ってくるのです。

今でもひどい目に合わされた人が、合わせた人に言う言葉「そんな事をすると畳の上で死ねないぞ、お天道さまは見ているぞ」の起源は、太古の贈与経済にあるのかもしれません。





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