「野菜」の専門家になるには、「野菜学入門」って本の目次を考えてみるとよいかもしれない他

農家と言うのは野菜の専門家なのでしょうか?、まぁ、野菜を育てる専門家だと思われてはいると思いますが・・・

そもそも、「野菜の専門家」ってなんでしょうか?

と言うか、「野菜」ってなんでしょうか?

改めて、こういう問題を考えてみる時は、「野菜学入門」みたいな本の目次を考えてみるとよいかもしれません。

また、野菜の専門家とか、そもそも野菜とはなにかとか、野菜学とかと言う言葉の「野菜」と言う部分に、別の言葉・・・自分が関わろうとしている分野や活動についての「用語」を入れてみると、

その分野について、自分の「思いつき」でない、「体系的」な議論の方法を考える手助けになるかもしれません。

さて、「野菜の専門家」と言われて、皆さんは何を想像するでしょうか?、野菜のお料理とか、良い野菜の見分け方とか、保存法とか、そういうことを教えてくれる人の事でしょうか?

「野菜の専門家」なんだから、野菜についての専門知識を持っている人だろう・・・

では、野菜についての専門知識とはなんでしょうか?

そして、やはり、そもそも野菜とはなんでしょうか?

まず、この野菜とはなにかを考えてみることが、(他の分野であれば、〇〇とはなにかを考えてみることが)、思いつきでなく、「体系的な」取り扱いへの道筋だと思います。

そして、「〇〇学」と言うものが、その「◯◯」について、体系的に扱う学問だとすれば、例えば、「野菜」についてなら、「野菜とはなにか?」を考えてみて、「野菜学入門」みたいな本の目次はどうすべきだろうと考えてみることが、その分野の専門家になるとはどういうことか?と言う問題への答えにつながってくると思われます。

さて、「野菜」とはなにか?について、世間の様々な物事と比較した場合、まず、食べ物であることが最初の条件であると思われます。

この世間の様々な物事・・・例えば、「遊園地」とか、「学校」とか、「スニーカー」とか、「国際政治学」とかと比較すると言うのが、そもそも「〇〇」とはなにかを考える上で、大事なところです。

野菜の専門家と言うのは、なにか野菜についての専門知識を持っていて、野菜の調理法とか見分け方について教えてくれる人と言うのは、自分の持っているイメージ(つまり、「思いつき」)の側からの発想です。

その発想だけだと、野菜とはなにか?、野菜についての専門知識とはなにか?と言うことにうまく答えられないのです。

だから、いったん、世間の様々な物事と比較してみる・・・そうすることで、自分の「思いつき」とは違う形で、対象としようとしている物事(ここでは「野菜」)について、特徴をハッキリさせていくことができるわけです。

いくらなんでも、遊園地や国際政治は「野菜」じゃないだろう?、まぁ、例えば、政治家のことをアイツは頭悪い、ジャガイモみたいなアタマの中身だとか、モノの例えで野菜を持ち出すことはあります。

僕が高校生の頃、中身がない議論のことを「ピーマン」(中が空っぽ)と言う言葉が流行りました。

ただ、こういうのは、「たとえ」としてジャガイモやピーマンを持ち出しているので、もちろん、政治家や議論が本当にジャガイモやピーマンであるわけはありません。

では、なんで政治家や議論が野菜でないかと言うと、まず、野菜は食べ物だが、政治家や議論は食べ物ではない・・・

だから、野菜とはなにか?と言う質問への答えの第一は、「野菜は食べ物である」です。

なんだ、当たり前じゃないか?・・・いや、その「当たり前」が大事なんです。当たり前に見えることをきちんと積み上げていくことが「思いつき」を脱して、「体系的」に物事を考えていく始まりなのです。

さて、野菜は「食べ物」であるとして、どのような食べ物でしょうか?

まず、お肉やお魚は野菜ではありません。つまり、野菜は植物であって、動物でないわけです。

次に、お米や小麦も「植物」ですが、あまりお米や小麦を「野菜」だとは言いません。

もっとも、パエリアみたいなものについて、ご飯(主食)と言うよりは、「野菜感覚」でお米を使っていると言われることはあります。

「野菜」と捉えられるかどうかは、料理する側、食べる側が「これは野菜だ」と考えるかどうかと言う「主観的要素」が反映しているようです。

「野菜」とはなにかについては、「植物」であると言った「客観的要素」ばかりで決まっているわけではなさそうです。

これはたとえば「イモ」について考えてみても似たようなことが言えそうです。

里いもやジャガイモなどの「イモ」は米や小麦同様、「炭水化物」が多く含まれています。

しかし、炭水化物が多いと言う「客観的要素」だけで、イモが「野菜」であるかどうかが決まっているわけではなさそうです。

ポテトサラダやポタージュスープにイモを使う場合、イモは「野菜」として捉えられていると思います。

しかし、例えば、ヨーロッパのかなり寒い地域で小麦がよく育たないのでジャガイモを育てて食べていると言う場合、小麦(から作るパンの代わり)がジャガイモで、ジャガイモ=主食=野菜でないと言う見方も成り立ちます。

また、日本ではかつて「イモ正月」、「イモ雑煮」の文化があった地域があります。これらの地域では「お餅」の代わりにお雑煮に「里イモ」を入れていました。

お餅が「晴れの日(お祝いごとがある非日常的な時間)」における「主食」だとすると、イモ正月、イモ雑煮における里イモは「主食」として捉えられていると言えます。

このように世界各地や過去に存在した文化と比較してみると、野菜は「植物の食品であって、『主食』として扱われないもの」とみることができると思います。

このへんまで議論してくると、少し「専門的」に感じる人が出てくると思います。

また、「体系的」な取り扱いになってきていると思います。

実は、「植物の食品であって『主食』として取り扱われないもの」が全部野菜かと言うと、例えば、果物はどうか、お茶はどうか、ハーブは?、山菜は?・・・

といろいろな疑問が出てくると思います。

こういう疑問に一つ一つ答えていくと、それぞれかなり字数が必要ですので、端折ります。

まとめて言うと「植物の食品のうち、『栽培種』であって『副食』として取り扱われるもの」が「野菜」と言えそうです。

(養殖キノコはどうなんだ、あれも栽培されていて、副食と扱われているじゃないかと言われそうですが、生物の五界説は、キノコは動物でも植物でもない「菌類」に属します。キノコは通常「植物性食品」として扱われますが、「植物」ではありません。)

実は、植物の食品であって、副食として扱われているものと言うことは、「野菜」の機能とか効用(いわゆる「栄養」のようなもの)について、関係しています。

栄養素を炭水化物、タンパク質、脂質、ビタミン、食物繊維その他のように分類していくと、

炭水化物は主食、タンパク質はお肉やお魚のような動物性食品から摂ることが多いと思われます。脂質は炒めものとかドレッシングとか、お肉の脂身とか、お料理に使われているものや他の食品を食べる時に一緒に摂っていることがおおいでしょう。

ビタミン、食物繊維その他は、主食や動物性食品には少ないことが多いので、これらは野菜から摂ることが期待されることが多いわけです。

このへんまで考えてくると、野菜とはなにかについての考察は、割と日常生活に近づいてきます。

「野菜の専門家」について、お料理や保存法などを専門知識に基づいて教えてくれるような人と言うイメージがあるとして、そういうイメージと、体系的考察が近づいてくるわけです。

ただ、「イメージ」は「思いつき」、「主観的見方」であるのに対し、こういう風に体系的に考えたものは、問題や議論をかなり絞り込んで設定することに役立ちます。

先に野菜とはなにかについて、「栽培種」と言う特徴をあげました。植物の食品でも、例えば菜畑遺跡からはカナムグラとかタカサブロウなど、現在でも畑で「雑草」として観察される食用植物種子が見つかっています。

日本書紀や古事記には、大根やカブを育てて食べることに関連した歌が載っています。

日本書紀や古事記の時代になると、弥生時代のように「副食」について、「そのへんにある植物」を食べるのではなく、「育てて食べる」文化が広がってきたことが忍ばれます。

現代は弥生時代や日本書紀の時代よりもっと人口が増えていて、「山菜」のように採集だけに頼って、「植物の副食」を供給することが出来ません。

「栽培種の植物の副食=野菜」を大量に育てる「農家」が存在している理由が、そこにあると思われます。

一口に「野菜の専門家」と言っても栽培する人(農家)もいれば、料理する人(例えば、調理師)もいますし、栄養のバランスを考える「管理栄養士」みたいな立場の人もいるわけです。

野菜とはなにかについて、考えていくことから始めて、体系的に考えていくと、様々な業種の人達の役割・意味についても位置づけていくことができるわけです。

「野菜学入門」の目次が少しづつ見えてきましたね。

野菜とはなにか?

野菜の歴史

野菜に関わる文化

野菜の役割(栄養・効用・機能など)

野菜に関わる人達(農家、料理家、栄養士など)

野菜の料理法

・・・まだあるかもしれません。

「野菜」に限らず、「思いつき」を脱して、思考していく上では「◯◯とはなにか?」、「◯◯学入門と言う本を書くとしたら目次はどうなるか」みたいなことを考えていくことが役立つわけです。

毎日発表される2週間予報をみると、立秋(8/7)以降、いつ雨が降るか、どのくらい雨が降る日の頻度があるかは、「ちょこまか」変わるようです。

ただ、かなり雨が降る日が多く、気温も現在の水準より下がって「平年並み」になることが多いようです。

遅れている夏ニンジンや秋冬もののブロッコリー、キャベツの種まきをする良い機会かもしれません。

五枚目の数字づくり、本日のお題は、「2」、「11」、「11」、「1」を使って、「2」を造るです。

頭の中で考えていないで、実際にポーカーチップを積んだり、並べたりしてやってみましょう。

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