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「日本中世の歴史1・中世社会の成り立ち(木村茂光)」によると御成敗式目第42条に「百姓逃散の時、逃毀と称して損亡せしむること」と言う禁止規定があるとの事。
「逃毀」と言うのは、百姓の妻子の抑留や資財を奪い取ることを言うそうです。
つまり、農民が「逃散(=どこかへいなくなる)」した場合、その家族を拘留したり、財産を没収したりすることは鎌倉幕府の法律上、禁止だったと言う事です。
そして、「もし召し決っせらるるの処、年貢所当の未済あらば、その償いをいたすべし。然らずば、早く損物を糺し返さるべし
(=年貢を払っていない事が裁判で発覚したならば、それは納入せよ、そうでないなら、領主が奪った資財はすぐに返却せよ」

「ただし、去留についてはよろしく民の意に任すべきなり
(=去留については百姓自身の意志に任せること)

と規定されている。

農民側が逃散(=どこかに行ってしまう)しても、
領主側は「召し決っせらるる(=裁判で発覚)」したのでない限り、農民の家族や財産を差し押さえることはできないのだそうです。
同書は、農民の側に「『逃毀』と言う違法行為は成立しない」と述べています。
また、「去留(=どこかに行くか、そこに留まるか)」は百姓の意志に任せると言う事で、

年貢の未払いがなければ、「どっかに行ってしまう」としても、それは百姓の自由。
未払いについては、裁判で決着をつける問題で、領主が実力行使をしてはいけないと言うことなのだそうです。

さて、近松門左衛門の「女殺油地獄(1711=亨保11年上演)」に、商人・豊島屋七左衛門が扱う油について「とろり渡世も種油、梅花、紙濾、荏の油(菜種、丁子・白檀・梅の花などで香り付けした油、漆紙で濾過した上等の油、エゴマ油)」との表現が出てきます。

菜種やエゴマも農産物で、徳川吉宗の時代にこうした商品作物の生産が活発だったことが分かります。

2週間予報は、1/25、1/26に最低気温-3℃としています。一時期-15℃の予報が出ていましたが、近づくにつれてかなり「緩和」された値に変わっています。
今のところ、1/29 最低気温-4℃の予報ですが、これも日が近づくうちに変わるのでしょうか。
立春からバレンタインデーにかけて「暖かさ」が上昇、春野菜種まきシーズンを迎えられそうな気がしています。

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