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匂いの記憶、その自史。

2018年ハテナブログに綴ってた文章を少し加筆しての再掲です。2019年末に訪れたミャンマーのヤンゴンも「匂い」のする街だった…

「匂いの記憶」
小さい頃ガソリンの匂いが嫌いだった。

最初に沖縄に住んでいた時、まだ小学生になる前だったろうか、ガソリンの匂いに底知れない恐怖を感じ、家の車がガソリンスタンドで給油する時には必ず少し手前で降ろしてもらっていた。

香港島と九龍半島を結ぶスターフェリーの港の海は深い緑色に濁り澱んでいて、色んなものが入り混じった独特の潮の匂いがした。 たった10分くらいの乗船なのになんともいえない"異国の旅"を感じた。

街を歩けば乾物の匂い、八角の匂い、お粥の匂い、干し海老の匂い、お香の匂い、ドリアンやライチの匂いがした。中華系の百貨店では冷房の効いたフロアの匂い、そして湿気を含んだ空気の匂いがした。

香港にいたのは小学生の頃のこと。今思えば結構自由に一人でちかくの街を探検に出かけていた。小さな雑貨商店を見つけては駄菓子やら、世界の使用済み切手やらを買ったりしていた。

どのお店も必ず乾物っぽい匂いの混じったなんとも言えない安心するような匂いがした。

幼少期に住でいた沖縄と香港はとにかく「匂い」のする街であった。 …この記憶が今の自分の感覚の何か中核をなしているのは間違いがない。

亜熱帯であった香港と沖縄の雨の匂い、風の匂いもよく覚えている。
それは懐かしいような、郷愁を覚えるような、今でも瞬時に思い出せる「あの匂い」だ。

それはブラジルでいうところのあの「Saudade サウダージ」の感覚だろうか。

最近ではライブで行ったバンコクも、懐かしい匂いがした。アジアの匂いだ。落ち着く。

シンガポールのホーカース(屋台街)、アラブストリートの香辛料の香るハラルフードの匂い。

はたまた学生の頃バックパッカーで立ち寄った、タイのホアヒンの鄙びた海の匂い。錆びた潮の匂い、とでも言おうか。

ライブのために訪れたフランスのパリのアフリカ人街やアラブ人街の匂い。二週間泊まったアパルトマンの街の朝の焼き立てのバケットの匂い。幸せの匂いだ。

マレーシアのコタバルの大きな屋台街の匂い。祝祭の匂い。

ジョホールバルの排気ガスの匂い。

サンパウロの楽器屋さんの匂い。

ブラジルのクリチバからフォス・ド・イグアスー(イグアスの滝のある街)に向かうハイウェイバスの匂い。窓から明らかに先住民(グアラニー族)の人々が住む区域が現れ、いたく感銘を受けた。地球はすごいな、と思った。

台湾の臭豆腐や八角、醤油の匂い。これは香港でもよく香った自分に馴染んだ匂いだ。去年ライブで二回訪れた。

アルバムAcalantoのレコーディングで訪れたリオデジャネイロのレコーディングスタジオの匂い。廊下としっくいの匂い。近くのサトウキビジュース屋の匂い、バイーアの屋台の匂い。

ライブで訪れた韓国のソウルや公州の街の匂い…

自分にとって「匂い」と「記憶」は密接に結びついている。

記憶にまつわる匂いを嗅ぐと瞬時にその風景を思い出せるのは不思議だ。

どんな街も時と共に変化してゆけど、多分それぞれ街の基本の匂いは終生そんなに変わらないのではないだろうか。

そしてその匂いを思い出せる数の多いことは、豊かで幸せなことではあるまいか。

…もっと旅をせねばなるまい…

幼少期ガソリンの匂いが嫌いだったことを不思議と懐かしく思い出す。

(2018,8/5のブログより加筆推敲して再掲)

写真は昨年末に訪れたヤンゴン(ミャンマー)のもの です。



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