執筆を楽しむというスタンス
私がライターとして経験を積めるのも、一にも二にもクライアントのおかげだ。
そのクライアントからの意向を反映した執筆が仕事をする上での絶対条件となる。
そこには多少自分の感想と異なっていても、クライアントの意向を優先させなければならない。それがライターとして原稿料をもらっている理由になる。
例えば、次のような文で締めくくる場合、見えない心の声が溜まっていく。
この夏は、〇〇プールが外せない!
以下、心の声
(夏だからってプールに行こうなんてなんてリア充なんだろう。でも、そういう人向けの記事だからしかたがないけどさ。中高生以降になってから、自分からプールなんて進んで行ったことないんだよなー)
ということになる。
※誤解のないように言っておくが、これは架空の案件だ。別にプールを運営するクライアント様を敵視しているわけでないですよ。
来るもの拒まずで仕事をしていますからね。
あくまで心の声だからどこにも出ない。
しかし、こうした細かい心の声が、ストレスとなって少しずつ蝕んでいくことは自分でも感じることができた。
あれだけ書くことを仕事にしたいと思っていたのに、これはどういうことだ?
本業が別にある私のような副業ライターにとって、これは辞めてしまうことにもつながる。
辛かったらやめたらいい。何も困らないし。
そういう心の声も聞こえてくる。
でも、それを撤回し、また書こうと思わせてくれるのが、このノートでの書くことを楽しむスタンスで文章を書くということだ。
ノートは毎日更新をすることを自分の中で義務付けている。
その代わり、好きなことを書こうとも同時に決めている。
ここのノートは、ある意味、王様の耳はロバの耳と言えなかった人が大声で叫ぶ場所でもあるのかなとも感じるときがある。
ちょっと気づいた自分では面白いなと感じることも、会社の人に話してもあまり共感されなかったり、変なやつだと思われたりすると必要以上のことも話せなくなってしまう。
私という人間はこうしたことを誰かに話さないとストレスが溜まっていく人間なんだなということが、ライターということを始めてから気がついた。
ライターとして執筆をする際に、クライアントから情報をもらったり、いろいろと調べるのだが、面白いと感じることもあり、誰かに話したいと思うこともある。
しかし守秘義務がある場合もある。
また、身近な人に話すと、
「何でそんなこと知ってるの?」(さてはコイツなにかやってるな)
となってしまうことも怖い。
そのため、あまり話せないが知識としてはいろいろとついてきたと感じる。
が、話せない、書けないというのが本当に辛い。
これからもノートで書くことを楽しんで、リズムを整えてから、原稿執筆に向かいたい。
でも、好きなことを書くって言ってもアクセス数なんかも気になってしまっている。
この複雑な心理は、また考えることにしよう。
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