バリアフリーは意識するもの

障がい者、いや、障がい者以外にも感じるバリア。何もそれは見えるものだけではありません。むしろ、見えないバリアこそが一番の問題ではないかと思います。

普段から、車いすに乗って過ごしていると、エスカレーターを止めて車いす仕様にして乗るときに、他の人は乗れないものだから睨まれたり、移動しているだけなのに子どもから不思議そうな目で見られたり。(睨まれているのは分かってしまうし、子どもの目は純真無垢なので余計に傷つきます)

ごくありふれた社会では、車いすが普通じゃなくて特別なのです。少なくとも、日本ではそうだと私は思っています。
生まれながらにして足が不自由で、人生のほとんどを車いすで生活している私にとって、車いすこそが普通の世界で普通の社会です。
私の普通は、皆さんの普通ではないのです。

また、私の場合ですが、一般の社会だとできないことが多く、障がい者だけの社会だと、割となんでも物分かりがいいというように扱われ、どっちの社会でも息苦しさを感じています。
一般の社会は障がい者が生きやすいように設計されていなくて、障がい者の社会は常に生活するにあたり重度の障がい者が優先されているような現状です。障がい者の社会では、「この人はできる」というバリアがあるような気がしてしまいます。どっちつかずの中途半端が私なんだと思っています。
世の中、思い込みで、なんかこうじゃないみたい思うことが多いです。私も、1つ前の記事(会社への不満なので、リンク貼り付けは控えます)でも書きましたが、障がい者同士のことでも、「障がいの特性だから」というだけで納得しきれないことはあります。
それでも、私はそれぞれの社会で上手く生きて行こうと、今も必死にもがいています。

障がい者といっても、障がいの内容は異なります。同じ障がいの名前だったとしても、個人個人で障がいの程度が異なる場合も勿論あります。
前者の例だと、点字ブロックは視覚障がいの方には必要なものですが、車いすで乗ってしまうと正直かなり煩わしかったり、音や色で目立つようにしておくと、それぞれに過剰な反応をしてしまう方が困ってしまったり。後者の例だと、脳性麻痺でも手のほうが不自由な人、足の方が不自由な人、どっちも不自由な人、他の障がいを併発している人もいれば、私みたいに目立った併発がない人もいます。

人間一人ひとり考え方も違いますし、多種多様な人々が暮らすなかで、全員が100%納得する社会は作れないと思います。
それでも、それぞれがどこか妥協はしていても70%くらいは納得できる社会は作れるのではないか?と思ってもいます。

その社会を作るために、まずは、皆んながそのキャパシティを少し上げていけたらいいなぁと思います。
心のバリアが少しでも取れたら、物理的なバリアを作り出すことも減ると思うのです。
それに、「お手伝いをしていただけると、大半の物理的なバリアはどうにかなるのですよ。」と、障がい者の当事者として書いておきます。

障がい者やマイノリティーな人たちが珍しくない社会へ。
一般の健常者も、重度の障がい者も、軽度の障がい者も、制度上は重度でも障がい者の社会では軽度の扱いをされる中途半端な障がい者(私)も、それぞれが納得して生活できる社会へ。
できなくて困っている人を、できる人が助けようと思いたくなる社会へ。

一人ひとりが少しでも心のバリアフリーを意識して、助け合える精神を持てる社会

これが私の、こんな社会だったらいいな……と思う社会です。
私自身も広い心を持って実践していけるように精進していきます。

#エッセイ #こんな社会だったらいいな #心のバリアフリー #助け合い

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