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車椅子は恋を抱えて未来へ旅立つ

◆まえがき

いつもはエッセイで、出来るだけ事実に沿って書いているのですが、今回はnoteの『創作大賞』応募ということで、一部フェイクの入った私小説に近い形にしてみました。

◆本編

◆引きこもりニート生活の脱却という名の始まり

 私、佐藤弥生、19歳。脳性麻痺による四肢麻痺のため、車椅子がないと外に出られない故に、明るい引きこもりニートである。
全日制の普通高校を卒業し、なんとか進路担当の先生に見つけていただいた職業訓練に1年通ったものの、就職先が見つからず今の生活をしていた。
半年程経ったある日、母から言われる。
「弥生!あんた、いつまで毎日毎日家にいるのよ!私が探してあげるから、どっか行きなさい!!」
そう言った母が友人から情報収集し、障害福祉サービスを受けるのに必要な区分認定調査なるものを受け、無事に認定される。

 そして、比較的自宅の近くにある福祉作業所、“たけのこ作業所”を体験利用し、特に問題がないことを確認。認定区分という介護認定を確認し、生活介護と就労継続支援という2つサービスがある中で、就労支援継続のサービスをめでたく利用することになった。

◆入所初期〜運命出会いを果たす前まで

 たけのこ作業所への通所利用が無事に決まった。送迎車に乗って施設に着いた私は最初にこう思った。
「今日からずっと、ここが私の居場所だ」
11月の途中という大変中途半端な時期に利用を開始したこともあって、比較的利用者が少ない曜日で週2回お世話になることとなった。

 入った当初こそは楽しかったものの、作業所でのルールや、私自身が自力である程度出来るが故に、先輩利用者方のお世話をすること、忙しく、ストレスの溜まる職員からイジりの捌け口にされる等、徐々に負担に感じることが多くなっていった。
更に、4月を過ぎて週4日利用になり思うことが増えた。高校は普通高校に通い、授業も特別支援学級よりも普通級で受けることが多かった私にとって、突然怒ったり、てんかん発作を起こしたりする利用者の症状はあまり慣れたものではなかった。時には、「特別支援学校に自分も通っていれば耐性が付いたものか……」とも悩むこともあった。そういったショック的なものもあり、私のストレスは溜まっていった。時には女性用トイレの個室で1人、怒りをぶつけることもあった。
そんな中、週4日利用になったことで出会う利用者が増えたのだが、そのうちの1人に出身高校が同じで、その後に事故で高次脳機能障害を持った岡田さんという先輩利用者がいた。出身高校が同じということで最初は仲良く接してくれたが、後に行動がエスカレートした。2人きりのときに胸や脚を触られたり、性的な質問をされたりする等、いわゆるセクハラ行為をされるようになり、ストレスは限界に近いところまで溜まっていく。しかし、しばらく過ごすと、たけのこ作業所で優等生キャラとして定着してしまった私には相談相手になるような人もいない。
「俺が先輩なんだから、職員に言うなよ」
そう言われ、岡田さんから受けたセクハラも声を挙げることが出来ず、作業所からの退所も考えた。しかしながら親の手前、それも難しかった。

◆運命の歯車が周り出す出会い

 たけのこ作業所での過ごし方に悩みながら約1年半経った頃、年度末で男性の支援員が退職し、4月から新しい支援員が入れ替わりで来ることになった。
平石さんという、大柄だが優しそうな雰囲気の話しやすそうな人だ。実際に話してみると、印象通り穏やかで優しく、気が合う人であった。
気が合うことに加え、以前から悩んでいた利用者への対応で、「頑張ってるよ」と言ってくれたことや、私が夏風邪を引いてしまった日の帰り際に、「お大事にね」と、私にだけで聞こえるような声で伝えてくれるといったような彼の優しさに触れる度に心が熱くなっていくのを感じていた。
『たけのこ作業所という福祉施設の利用者と職員という間柄で、恋愛関係が成立する訳がない。平石さんのことは本気で好きになってはいけない』
気がつくと、私は葛藤を抱えながら日々を過ごしていた。
しかし、この『 “葛藤の冷静側”という理性に近い感情は秋に起きた2つの出来事によって、瞬く間に崩れ去ってしまうのであった。

◆想定外の出来事で出てきた本気

 葛藤を続けている間にひと夏が過ぎ、季節は秋になっていた。
夏が終わる頃、利用者の岡田さんがたけのこ作業所を暫く休むという話を聞いた。ちなみに、岡田さんのことを自分勝手な性格だと思っていたことや過去のセクハラ事件もあり、全く興味がなかったので、理由は知る由もない。そして、秋になり、本当に岡田さんがしばらく作業所に来ないことを私は認識した。
「チャンスは今だ!あのことを支援員に話そう」
私は、岡田さんと作業所で顔を合わせることがない、つまり告げ口がバレにくい状況の間に支援員にこの話を伝えることにした。
最初に打ち明けたのは、平石さん……ではなく、私の担当として付いていただいている、下條さんという支援員だ。利用者同士の困りごとは基本的に担当支援員へ伝えるのが無難だろうと結論を出したからだ。
私は下條さんを呼び出して、面談をお願いした。話す内容が内容なうえに、下條さんが男性であり、恥ずかしさが増すことから、持っていた携帯電話のメモ帳に事の経緯を打ち込み、下條さんに携帯電話を渡す。
「よく話してくれたね」
下條さんは私に声をかけると、お決まりのヒアリングという名の事情聴取が始まる。
「いつ?」
「具体的にどういうタイミングで?」
「話せる範囲でいいから教えて?」
私は答える。
「岡田さんと2人きりになるタイミングでありました。作業終わりや送迎車の出発を待っているとき、それからお昼休み……」
出来るだけ下條さんからの質問に答えるようにする。それから、携帯の電話番号を教えることになったところ、何度か電話があり、それにも困惑していたことを伝える。論より証拠だと思い、下條さんに携帯電話を再び渡して、着信履歴を確認してもらった。
下條さんに話したのが午前のこと。その日の午後に作業所の責任者をしている目黒さんに呼ばれた。そこで告げられた言葉はこうだった。
「下條さんから話は聞きました。大変な目に遭いましたね。ただ、岡田さんは我慢が出来ない障害の人です。申し訳ないですが、そこは理解してください。もちろん、守る優先順位としては佐藤さんのほうが上なので守ります」
私は、目黒さんのその言葉に正直なところ、納得はしていなかった。
『集団でいるときには我慢が出来て、2人きりになると欲望が出て来る。そんな便利な障害があるのかよ』
そう思ってしまったからだ。目黒さんの回答は施設の責任者という意味では正しい回答だったのだろうが、私には納得が難しかった。私が若いからではなく、このことを理解するのは歳を取って障害特性を勉強した私にとっても、きっと難しいことだろう。
作業所の責任者という立場の人から釈然としない回答を受けた私は、その翌日、平石さんが添乗する送迎車に乗って帰ることになる。
車椅子専用席以外でも乗車出来る私自身の状態に加え、方向転換の切り返しがし易く、何より比較的作業所から近い集合住宅に住んでいる。……その結果、送迎車のコース取りは、往路は最も早く私が乗車、復路は最も遅く私が下車するのが大半になっていた。その日もお決まりのコースである。そして、話に首を突っ込まない運転手さんを含め、3人になったとき、座席の都合上、私と向かい合わせに座っている平石さんが私に向けて話し始める。
「そういえば、岡田さんとのことなんだけど……、今まで気づかなくてゴメン!!」
頭を下げられただけではなく、手を自分の肩にポンっと置かれた私は、目を丸くした。
「……平石さんは何も悪くないですよ!!2人っきりのときにされていたわけですし……!」
実際これは本心だ。岡田さんに触られたり困るような質問をされたりしたのは周りに他の人がいない場所であり、電話も自宅で過ごしている時間に掛かってきた。私が伝えずして支援員が気が付くのは難しいと思っていた。
「そっか……。でも、気が付かなくて本当にゴメンね」
「本当に気になさらないでください。お気遣い頂いて有難うございます」
「今度からは、そんなことがないように、ちゃんと気を付けて様子をみるようにするから」
平石さんが心の底から私のことを心配してくれているのが伝わってくることと、平石さんの手の感触がまだ肩に残っているのとで、身体も心も急に熱くなっていくのを感じながらその日は帰路に着いた。

 岡田さんとの一件を支援員に知らせて1週間程度経ったある日、珍しく親が帰りの迎えに来られず、私が1人で家に帰ることになった。家のあるまでは送迎車が送ってくれる。問題は居住階のフロアに着いてから家に入るまでである。鍵を開け、1度車椅子を近隣の方にとって最低限邪魔にならないところへ置き、荷物を持ちながら伝え歩きでドアのノブまで行き、自分の位置を調整してドアを開けて家の中へ入る。最終的に車椅子の幅寄せをしてもらうのは母が依頼した知人に任せるにしても、慣れてはいない重労働である。その日の添乗員は平石さん。お決まりで私は利用者の中で最後に送迎車を降りることもあり、平石さんが玄関前まで付いてきてくださることになった。
エレベーターで昇り、いつもの廊下を辿り、ドアの前まで辿り着く。
「後は大丈夫なんだよね」
「はい、なんとかして入るので大丈夫です」
「じゃあ、お疲れ様でした」
挨拶を交わして、平石さんは帰っていく。
「あーあ、帰っちゃったなぁ……」
平石さんが帰ってしまったことを寂しく思いつつ、私はまず、鞄から家の鍵を取り出しドアのロックを解除する。ロックが解除され、ドアが開くことを確認する。ここで一旦ドアの前を離れ、車椅子を後ろ漕ぎで駐車スペースまで入れ、近隣住民の邪魔にならないように幅寄せなどをしてからレバーを倒してブレーキをかけ、車椅子が動かないようにする。後は鞄を持ったまま車椅子を降り、壁を伝え歩きしながらドアのノブに手を掛けて引き、身体でドアを押さえながら家の中に入るだけだ。
そのとき、人影が目に入る。
「平石さん?!どうして……?」
人影の正体が平石さんであることに気がついた私はただただ驚く。確かに1回帰ったはずだ。今ごろ回送状態になった送迎車に乗り、作業所へ向かっているはずだ。なのに、今、彼は私の目の前にいる。
「心配で戻って来ちゃった」
平石さんがいつもの感じで答える。私はまだ驚いている。
「えーっと、ご心配有難うございます。もう後は家に上がるだけなので大丈夫ですよ。有難うございます」
「なら、良かったけど……」
平石さんは変わらずご心配の様子だ。
一方の私は、家に1人で入ることは滅多にないため、本来なら苦労や不安といった印象が残るはずだ。しかし、この日はどのように思っていたのか、後になっても全く覚えていなかった。とにかく平石さんらこれ以上心配させまいと家に無事入るため必死だったからだろう。
「本当に大丈夫です!」
そう言って、私は家の中に無事入り、ドアの鍵を閉める。平石さんは私が視界に入らなくなったことを確認すると、今度こそ送迎車へと戻っただろう。その足音は私に聞こえなかった。突然の出来事に動揺し、半ばパニック状態だったからだ。
家の玄関で私はへたり込む。
「あぁ……もう駄目だ……。私、あの人のこと、本気で好きだ……」
観念したのだった。

◆担当支援員の交代と確執と

 「私、平石さんのことが本気で好きだ」
確信に至るも、ある日の会話がこうだ。
「平石さん、気になる人っていないんですか?」
「うーん、僕のお嫁さんは画面から出て来ないんだ……。佐藤さんには素敵な人が見つかるといいね」
進展しそうな気配が全くない。利用者と支援員の恋はやはり諦めないといけないのか、このまま平石さんの近くでずっと過ごせれば、それが幸せなのかもしれない。そんなことを思いながら年度末を迎える頃、私にとってちょっとした転機が訪れる。担当支援員の下條さんが、たけのこ作業室を運営する法人から退職することになったのである。

 思い起こせば、下條さんは昨年結婚した。本人からの公言はなかったが、支援員の結婚はビッグニュース。話はすぐに広まり、今や周知の事実になっていた。しかも、ただ結婚したというだけではなく、奥様のお腹には新しい生命が宿っていた。たけのこ作業所のような福祉施設のいわゆるデイサービス、勤務形態が日勤だけとなると管理者職でも家族を養えるかどうか微妙な程度の収入しかない。下條さんの退職は必然に近かった。少し前に、4月から就労継続支援サービスの利用を希望する新しい方との面談があったにも関わらず、下條さんがそこに立ち合わない等、不思議に思う点がいくつかあった。つまり、下條さんの退職に関しては個人的には予想の範疇であった。
「佐藤さんは、就職できると思ってる!これからも頑張ってね」
最後にそう言って、下條さんは作業所の支援員ではなくなった。

 当然、私の担当支援員は交代するわけだが、今まで下條さんとペアで支援してきた平石さんになる……とワクワクしていたが、年明けからパートとして入った、三森さんが4月付けで正規の支援員となり、私を担当する振り分けになった。
三森さんは、元会社員らしい。第一印象で苦手と感じたこともあり、私とどうも気が合わなかった。案の定、作業への取り組み方や指示の具合について、衝突することが多くなる。どうやら、私に企業への就職をして欲しくて厳しい言い方をしているようであったが、優しく注意されるだけの他の利用者と比べると、私はどうしても納得がいかなかった。
「どうして、私だけあんな厳しく注意されるの……?就職する気なんてないのにさぁ……。同じようなミスをした他の人は一言の注意だけで終わっているのに……」
そんな不満を抱える私は、三森さんとは担当としての最低限しか会話しないようになり、誰に話してもいい会話は平石さんにすることが多くなる。平石さんと会話を重ねるうちに、気持ちが高まっていくのを感じる日々が続く。
三森さんとも過ごしていくうちに、人となりが分かってきて、悪い人ではないと印象が変わってきている。しかし、相変わらず就職を勧められるのには戸惑うばかりである。
あまりに勧められるので、仕方なく、障害者用の求人サイトに登録し、無謀な条件で設定したり、その求人サイトが企画した合同面接会に応募したりした。また、障害者枠の公務員試験も受けてみたが、専門卒や大卒といった学歴の人たちがライバルの中で戦うのは、やはり厳しかった。
「やっぱり、私には就職は無理だ……。とりあえず、たまに就活してますアピールしておけば、そのうち作業所の支援員も諦めるだろう」
私はつぶやいて、また変わらない日々が始まる。これからの私の人生は、その繰り返しだ。
この頃はまだそう思っていた。

◆重なる条件、転機の始まり

 就職を諦めているとはいえ、豆腐メンタルを自称する私は、不採用の通知を貰うとヘコむ。おまけに、三森さんをはじめ、作業所の支援員は私の就職を諦めていない。故に三森さんから厳しめの言葉が続く。
その度に、私は平石さんに泣きついていた。この間に平石さんは内部異動で生活介護の担当となり、就労継続支援の担当ではないので、立場としては適切な人選ではなかった。しかし、愚痴聞きに近い悩み相談に余りにも適任だったので、平石さんにすっかり甘えてしまっていた。
だが、優しい一方で、平石さんが私に気があるような発言は全くなかった。1つ上を行くような助け方してくれるのに、恋愛関係の進展は全く見られない。この恋に本気になり過ぎた私は今の状況を定義した。
「進むも地獄、戻るも地獄、ついでに立ち止まっているのも地獄」
どうにか打開策を講じなければ……と思った私は、支援員の誰かに思い切って打ち明けようと決意する。

 問題は、人選だ。
同性に打ち明けようにも、目黒さんは責任者としてのプロ意識と、ミーハーな性格がかち合って、悩ませてしまうような気がした。今回の目的に、相手にも悩んでもらおうとは微塵も思っていないので、選択肢から外す。他にも女性支援員やパートの介助者が居るが、いずれも会話を頻繁にしない。私がお手洗いの介助と食事の介助も不要なことと、送迎車に乗り込む利用者の都合上、添乗員が9割以上男性支援員だからだ。必然的によく話すのは男性支援員となり、候補は3人に絞られる。
まず、平石さんは当然外す。本人にきっちり話を伝えられるのであれば、そもそもこんなに悩む必要はない。今このタイミングで当事者を呼び出して決着を急ぐことはないと判断した。
次に、平石さんと入れ替わりで就労継続支援に異動してきた支援員はどうか?と考えてみる。しかし、疑問符が湧く。送迎車内でいろいろ話すのだが、その中で浅い恋愛トークをすることもある。
『この人は、顔と声をイケメンに生んでくれた両親に感謝していいと思う』
会話を重ねた結果、その支援員に対して私が出した結論である。支援員としての尊敬と、男性としての尊敬は、別だ。
「この人に相談するくらいなら、別の方法にしようかな……」
呟いて候補から外す。
すると、残る候補者は1人しかいない。
「ここは三森さんに相談するか……」

 私が三森さんを選んだ理由が、消去法の他に、もう1つある。利用者は担当支援員と支援方針の合意を取るのにモニタリングというものを半年に1回する。もう少ししたら開催時期だ。モニタリングの時間に組み込んでしまえば、三森さんを呼び出す必要もなく、周りに何を話したのか怪しまれる可能性も低い。うってつけのタイミングであった。
私は、予め事情を書いたメモを書いておき、それを三森さんへ渡せるように準備しておく。そして、迎えたモニタリング当日である。三森さんとひと通りモニタリングを行い、前回モニタリングで立てた目標の達成状況と今期の目標を確認する。就職活動等、立てられても正直困るものも中にはあるが、作業所の運用として立てなければならないものなので、とりあえず目標を設定する。そして、あらかた片付いた後で三森さんから定型文を言われる。
「他には何かない?」
ここで私は例の話を切り出す。
「あの、平石さんのことなんですけど……」
「本気なんだろ?」
私は、頷く。
「ちょっとカッコいい人を見かけてワーワーするレベルじゃないんでしょ?」
私はもう1度頷く。そして、はっきりと気が付く。
メモなんて要らなかったことに。三森さんが私の抱えていた悩みに気が付いていたということに。そして、三森さんは言葉を発する。
「別にいいんじゃない?応援はしてあげられないけどさ」
てっきり、怒られると思っていた私はその言葉に拍子抜けした。肯定されないまでは想定の範囲だったが、反対もされないとは思っていなかった。
「まあ、精々頑張ってよ。オススメはしないけど」
最後に三森さんがこう言って、モニタリングは終了した。

 その後、私は介護事務の検定合格に向けて勉強を始める。就職するための資格取得という体もあるが、理由はそれだけではなかった。
『これからも福祉施設で過ごしていく上で何かの役に立つかもしれないし、少しは請求書の見方が分かるようになるだろう』
たけのこ作業所でこれからも日々を過ごすための勉強でもあったのだ。それに、ちょっとしたマンネリ化の脱出にも繋がる。
これからもずっと、好きなことをやって、好きな人が近くにいる。時には辛いこともあるけれど、平和な日々が続いていく。疑いはない。はずだった。
 ところがある日、帰りの送迎車出発を待っていた私たちは、当然大きな揺れに襲われる。
 後に、“東日本大震災”と呼ばれる、大きな災害が起きたのである。

◆考える想い、そして決断

 東日本大震災で感じた大きな揺れ、テレビから流れた残酷な津波の映像。今回はエレベーターが止まる等の被害はあったが、身体は問題なく無事だ。しかし、もし、富士山が噴火したらどうだろう。日本一大きな山だ。きっと私の住んでいるところにも火山灰、最悪は溶岩が流れてくるだろう。
「よく聞いてください。君たちが生きている間に、必ず富士山は噴火します」
これは、中学時代、お世話になった地学専門の理科教師が言った言葉だ。もし、富士山が噴火したら、足が不自由でまともに移動できない私はまず助からないだろうと思うことはあった。
『いつ人生が終わるか分からない。私は、私のやりたいことをしたい。出来るだけ悔いなく死にたい』
こんな思いを再燃させながらも、介護事務の資格に合格したくらいで、他は地元の合同面接会で玉砕。その他は適当に就職のオファーを待つだけ。何も出来ていなかった。
 時は流れ、気がつけば秋に始まり出していた、9月の末頃である。
「お前、また、こんなしょーもないミスしてるのか!!」
作業で大きなミスをしてしまい、三森さんにもの凄く怒られた。今回ばかりは私もやらかした感があり、非常に落ち込んでいた。
「あぁ……最悪だぁ……」
周りを心配させまいと、昼食はなんとかしっかり取ったが、そこで取り繕う限界が来てしまった。私はその日の昼休み、机に突っ伏していた。すると、頬に何かが当たる。
『冷たい!』
驚き、顔を上げると、平石さんがいた。
「大丈夫?落ち込んでたみたいだから……」
私を気にかける彼の手には缶が握られていた。恐らく生活介護の利用者と近くの自販機で買ってきたアイスコーヒーだ。私は冷たい感触の正体が分かり安心すると同時に、何かが弾けた。
「有難うございました!」
私は平石さんにそう告げると、2階の女性お手洗いに駆け込む。そして、溢れ出る涙を拭う。
 『利用者と支援員の関係で平石さんといるなんて、もう無理だよ!!ねぇ、どうしたらいい?どうしたら1人の女性として見てもらえるの?!』
私は、泣きながら必死に考える。どうにかしてこの現状を脱出したいと私は強く思った。
「……あ」
私は案を1つ思いついた。
「就職したら、利用者じゃなくなるから、可能性、あるかも……」
再び考えを巡らす。
『そういえば、高校でだっけ?どこで聞いたか忘れてしまったけど、高卒未就職のボーダーは27歳って聞いたような……。今の私は……23歳……、まだ間に合うかもしれない……!』
前を向いて、私は呟く。
「もう1度だけ、就職活動を頑張ってみよう。これがラストチャンスだ。駄目ならもう本当に諦めよう」

 決意を確認した数日後、三森さんに伝えた。
「私、企業に就職してみたいです!」
こうして、私のラストチャンスと銘打った就職活動が始まった。

◆短期の職業訓練へ

 「あのさ、ここ、どうかな?行ってみない?」
就職を決意した私のために、三森さんが短期の職業訓練があることを教えてくれた。内容を確認すると、マイクロオフィススペシャリスト、通称MOSという資格の合格を目指すコースだった。場所も比較的近く、この場所であれば私も通えそうだった。平石さんだけではなく、作業所の人たちと会えなくなる寂しさはあった。しかし、MOSの資格を丁度検討しており、就職に関する勉強もできるという、職業訓練は私にとって魅力的だった。
「行ってみたいです。受けてみます」
数日後、考えた結論を三森さんに伝えた。

その後の問い合わせや申し込みは自分でやり、迎えた当日、作業所には休みの了承を貰い、面接会場へ向かう。服装は滅多に着ないため慣れないスーツだ。
私は相当な方向音痴のため、遅れたらまずいとばかりに早めに家を出た。すると、思ったより迷った時間が短く、40分程前に面接会場に辿り着いてしまった。外で待つには少し肌寒い季節だったので、車椅子用入口の開錠をビルの方にお願いし、入れていただく。とはいえ、まだ面接まで時間があるので、少し離れたところで携帯を取り出し、今日の面接対策等を確認する。

「こんにちは、アレ?」
少し経ったところで、先の時間を指定されていた方の面接が終わり、ドアが開き、面接官らしき方に声をかけられる。
「あ、方向音痴なので早くに家を出たら早く着いただけなので、お気になさらないでください」
私はそう答えたが、先方から提案をされた。
「今、丁度空いているので、よろしければもう面接を始めましょうか?」
「はい、お願いいたします」
予想外に早く面接を受けることになった。
 後日、合格通知を受け取る。どうやら早く行き過ぎたことは、今回の合否に大した影響を及さなかったらしい。こうして、私は1月から職業訓練へ通うことになった。
 余談なのだが、面接でこのような質問をされた。
「あなたには正直、レベルが低い職業訓練かもしれません。他の人たちと協力でますか?」
私は、コミュニケーションを取るのは嫌いではないタイプであり、分からないことを共有するくらいなら特段の問題ないと思って、答える。
「はい、大丈夫です!」
ここの回答が唯我独尊だったあかつきには私は落とされていたらしい。そんな話を聞いたのは、修了後のことだった。

 話は訓練前に戻る。面接で聞いた限りだと、職業訓練の開催日が主に土日だということで、作業所のお休み日を増やし、調整しながら、職業訓練に通うことになる。
18歳の頃に通っていた職業訓練とは違い、プログラムコードは書くことなく、Wordや Excelの操作が主なので、やり慣れた私には比較的楽だった。最後の1時間は実習課題の時間だったが、20分〜30分で課題を作り終えられた。課題が終われば帰宅してよかったので、始めの頃は早めに帰れることが多かった。そのため、思っていた程の苦労はなかった。この職業訓練で得意分野を発揮できたことは、今後の自信に繋がっていくだろう。
ただ、勝負は後半のMOS資格合格を目指すようになってからだ。Officeアプリの操作は慣れているといえど、油断したら当然合格は遠いと考えていた。私は何度も反復練習で模擬問題を解き、分からないところを確認する。その繰り返し。分からない問題は飛ばすように教わっていたので、時間配分に課題はないということも確認する。この頃には年上が多い同じ訓練生とも仲良くなり、先生だけでは足りない部分において分からないところを教えるようにもなっていた。それは協調性に問題ないと答えた人間の使命だと感じていた。
そして、無事にWordのMOSを訓練期間中に取得し、ExcelのMOSの勉強に入る。職業訓練の残り期間も短くなってきた頃、講師の先生からこんな提案を受ける。
「当初ExcelのMOS試験は訓練終了後に改めて、と考えていましたが、皆さんの頑張りを受け、修了式の終了後に行います」私をはじめ、訓練生の希望者はそれを受け入れる。新たな勝負の始まりだ。
Excelは、ただ入力出来ればいいのではなく、関数が沢山ある。私は冊子等で試験に出やすい関数の式やシステムを確認する。隣を見ると、母と近いが世代の方が苦戦している。気になって教えるようになってからは2人で勝負になった。私の隣が定位置になったその人に教えながら、私も正解への手順を再確認する。気が付けば、Wordのとき以上に熱が入り、訓練の定時を過ぎても残ることがあった。
 迎えた当日。ExcelのMOS試験に挑む。試験が終わると修了式で、採点は修了式の間にされる。
『それなりに出来たかな。ベストは尽くせた、悔いはない』
試験の手応えはあったので、私の表情は晴れやかだ。修了式を終えて試験の結果を受け取る。
100点満点中の97点。間違えた問題は1問。少し惜しかったが合格には違いないので、とても嬉しかった。隣の席だった人も合格したようで、お礼を言われた。
「佐藤さんがいなかったら、受からなかったわ。本当に有難う」
「いえいえ、今までの頑張りの成果ですよ」
自身の合格よりも、一緒に勉強していた人の合格が嬉しいような気もしていた。
その後、最後のホームルーム的なものが行われ、お昼頃に解散となった。

私は、修了式を無事に終えたことと、ExcelのMOS試験に合格したと伝えるため、たけのこ作業所に電話をする。
「はい、たけのこ作業所です」
男性の声だった。三森さんはお休みと言っていたし、この声は恐らく平石さんか?と思いながら会話をする。
「利用者の佐藤です。お疲れ様です。えーっと無事職業訓練を修了しまして、Excelの MOS試験も合格しました」
「良かったじゃん。無事終わってよかったね」
……私は会話に違和感を覚える。口調が平石さんではないと気が付く。
「え、もしかして……三森さん?」
「そうだよ」
「えー?!休みって言ってませんでしたっけ?」
「ウソだよ」
まんまと騙された。実は、平石さんと三森さんの声質は似ていて、少し聞いただけだけと区別が難しいのだ。
「やめてくださいよー!えーっと、明日から通常通りの作業所利用に戻りますので、よろしくお願いいたします」
「わかった。気をつけて帰ってね」
会話が一通り終わったところで、電話を切る。作業所は今頃、昼食中で忙しい頃だろう。その中で、電話を心待ちにしていた三森さんを想像して面白がりながら、私は帰路についた。

◆ヘルプセンターに登録したら、縁が広がった?

 3か月に及ぶ職業訓練を無事に終えた私は、18歳の頃にいた職業訓練で合格した全経簿記2級だけでは押しが足りないと思い、日商簿記3級の勉強を始めていた。
『焦っても疲れるだけだし、とりあえず1年かけて就活して、来年の4月から働ければいいかなぁ』
それでもいける自信はないので、漠然とした計画プランになっていたところ、三森さんから声を掛けられる。
「佐藤さん、ちょっといい?こういうところがあるんだってさ」
三森さんから渡されたのは、“障害者おしごとヘルプセンター”と書かれた冊子だ。
「この、おしごとヘルプセンターって言うところ、仕事の紹介と定着支援もやってるんだって。登録してみようよ」
以前と違い、就職に前向きになっている私はとりあえず登録することにする。作業所を利用しない平日で調整し、出向くことになった。復帰した岡田さんが私と入れ替わりの週1回利用になったこともあり、当日、三森さんには作業所を守っていただくことにし、私は1人で出向くことにした。

またもや、方向音痴対策で早めに出過ぎた私は予定よりも早く面談を行うことになった。まずは、障害状況のヒアリングだ。
「どんな障害ですか?」
聞いているのは、ヘルプセンターで担当していただくことになった、斉藤さんだ。
「脳性麻痺による四肢麻痺です」
素直に答える。
「この障害なら週日回でも働けるよね。実際働いている人もいるし」
とりあえず働ければいいと思っていた私は、希望として出していた週4日勤務を否定され、少し落ち込む。理解をしていなかったが、どうやら企業というものは障害者雇用であっても、出来るだけフルタイムで仕事に入って欲しいものらしい。
「お住まいは?」
「ここの近くにある路線の駅から……こっちのほうです」
私が自宅の住所を説明する。すると、斉藤さんはこう言った。
「この住所だと、OPEITが近いね。実は私、OPEITが前の社名だったときに働いていたんだよ」
「へー、そうなんですか」
関心する私に、斉藤さんが話を続ける。
「今日はまだ書類が揃わなくて、仮登録の状態です。また本登録の時に来てください。OPEITの系列には、どこかで障害者雇用枠を募集していないかを聞いておきます」
「有難うございます。よろしくお願いいたします」
その後、一通り私の希望をまとめて、その日は解散となった。
 おしごとヘルプセンターに行ってから2週間程経った日のことである。
「本登録の準備が終わったので、こちらに来ていただけますか?」
斉藤さんからの連絡を受け、また作業所を利用しない日に行くことにする。前回特に問題なかったので、今回も1人で出向くことにする。無事に辿り着き、本登録の手続きを終えた後のことだ。
「あ、OPEITのことなんだけどね……」
斉藤さんが話し始める。
「第1希望の会社は募集していなくて駄目だったんだけど、OPEITセールス・デザイン株式会社というところが1回話を聞いてみたいということで、どうかな?」
 私は驚いた。OPEIT株式会社といえば、家の近所に事務所があるという、有名なIT系メーカーだ。通信系とは言うものの、通信技術のみならず、通信に必要なモノも作っていることでも有名である。また、OPEITという会社名から新しい会社に思えるが、1度社名変更をしているからであり、歴史もある会社だ。かなりの大手でハードルは高いが、現実的な通勤を考えると大きなところではOPEIT社のそこに事務所がある会社しかない。OPEITセールス・デザイン株式会社の説明を軽く受け、その日は帰宅する。
その後はOPEITセールス・デザイン株式会社のWebサイトを見て簡易的に企業研究をする。三森さんの協力を得ながら履歴書と職業訓練で教わった自己PR書を作成し、指定された本社の部署に書類を送る。
数日後、OPEITセールス・デザイン株式会社の人事担当の方から連絡を受けた。
「ご自宅から入り易い入口から入れるようにするので面接に来ていただきたいです」
無事、書類審査を突破し、面接に進むことになった。

◆就職活動ってお見合い? 変わった運命

 OPEITセールス・デザイン株式会社の方とお会いする日、私は無事に待ち合わせの場所に着いた。今回は学生時代の通学路も使うこともあり、いつものようにやたら早い時間には着いていない。着いたのは約束時間の少し前だ。
しかし、事件はここで起きる。門の前にいる警備員さんに止められてしまったのだ。約束しているというのに、何も出来ない。約束している旨を警備員さんにお伝えしてみる。
「調べましたが、そのような申請は届いていませんねぇ……」
警備員さんの回答に困惑してしまったが、先方の敷地に入りかけている。また、今までと違い、入社試験に来ている。いつものような携帯弄り、露骨に怒りや困惑の表情を浮かべることも出来ない。何度も資料を確認しながら、警備員さんが心配しない程度の困り顔でいるように心がける。人事の担当者に会えたのは、それから20分以上経った頃だった。どうやら、本社勤務にはあまり縁のない事業所のため、私の入場申請に失敗していたのが原因だったらしい。無事にお会い出来たことに安堵した私はビルの中にある応接室へ案内された。
「失礼いたします」
部屋のなかにはいると、人事の方が自己紹介と会社の紹介資料、後は求人情報を見て来たわけではないので、採用された想定雇用条件が提示される。私はここで驚く。
『週5日の8時間勤務?!私、週4日がいいって希望出しておいたのに、5日も働くの?!』
おしごとヘルプセンターの斉藤さんが勝手に設定した勤務条件に、心の中で恨み節を言いつつ、資料に目を通す。デザインや営業、広告関連に必要なモノを提供する会社であることを改めて確認する。
『週5勤務は嫌だけど、月のお給料、私には高過ぎるし、ボーナスも出るなんて、なんて好条件。資料まできっちり用意していただける素敵な会社に私が入れるわけがない。記念受験だと思おう』
そう思った私は、入社試験の一次面接ではあるので聞かれたことに素直な回答をしつつも、どこか諦めた心持ちで受けた。
それが功を奏したのか、何なのかよく分からないが、後日、先方から来た連絡に私は驚くことになる。
「次はSPI試験という筆記試験を受けに来てください」
一次面接を突破していた。
すぐさま、三森さんに報告をし、SPI試験というものの対策を始める。
『絶対に◯◯……という問題では端っこの選択肢を選んじゃいけない……。あまり内向的すぎる選択肢を避けるといい……』
対策期間が短い上に、実をいうと、私はマークシートの塗り潰し非常に苦手。その上、いよいよ試験まで後3日というタイミングで、うっかり暖房を目の前で昼寝をしてしまい、風邪を引いてしまう。当然のようにSPI試験は試験時間を大幅にオーバーした。先方の計らいで全て埋めはしたものの、あまりにも時間が掛かったことに私は絶望した。
『終わった……。これ……確実に落ちたわ……』
体調が悪い上に時間が押してしまったので、お礼だけ伝えると、私はそそくさと家に帰る。

『もう、ここに来ることもないか……』
そう思っていた。
が、とんでもない奇跡が起きてしまう。
二次面接に呼ばれたのだ。

とにかく驚いたが、もうやるしかない。
覚悟を決めてニ次面接に臨んだ。
私は、志望動機として、正直に家から近いことと、出来れば障害者の立場でデザインに関わりたいことを伝え、MOS試験に合格したこと、webの更新が少し出来ること、そのスキルを使って、会社に貢献していきたいことを伝えた。勿論、障害者雇用枠なので、自身の障害についても伝え、配慮をお願いしたい点も説明した。

 試験を受けるうちに季節は夏になり、気がつけば夏休みが近くなっていた。二次面接を受けた後、斉藤さんからも先方からも連絡はなかった。
「あのー、受けた会社の結果、全然連絡が来ないんですけど……」
私としては、ニ次面接まで行けただけでも万々歳だったが、せめて不採用の連絡は欲しいので、どうすればいいか三森さんに相談してみる。
「ヘルプセンターの斉藤さんに1回、連絡してみたら?」
あっさり言われたので、斉藤さんに電話をかけてみる。利用者の方に迷惑が掛からないよう、一旦作業所から出て施設内のロビーで電話をかける。さすがの三森さんも心配なのか、少し離れて電話の行方を気にしている。
「佐藤弥生です。お世話になっております。あの、OPEITセールス・デザインさんの件って、どうなりましたか?聞いていらっしゃいますでしょうか?…………え?……はい。……はい。分かりました。有難うございます。失礼いたします」
三森さんを呼び、私は報告する
「『勝手に内々定が出ています。前回来ていただいたときに不便を指摘してもらった場所も改善の手配を進めています』ですって……。どうしましょう……?」
「良かったじゃん」
あっさりいう三森さんとは対照的に私は半ば放心状態であった。

 9月になり、先方の人事から連絡が入る。今度は入社に向けた確認の面接だ。ほぼ決まりと言えど、入社前なので当然スーツを着ていく。
応接室に案内されると、ニ次面接で面接官だった方々が顔を揃えている。その1人が、デザイン本部の企画部長という立場の方だった。どうやら、私はデザイン本部に配属されるらしい。確認の面談で企画部長の方がこんなことを言った。
「本当は11月から来て欲しかったんだけど、諸々の準備がどうも間に合わなそうなので、12月の入社になると思います」
私はまた驚いた。個人的には内々定の話を受けた時点で、早くてもキリよく1月入社だろうと思っており、それを希望するつもりでいた。しかし、企画部長から直々に出た言葉により、私はその言葉を引っ込めた。なんせ、今は福祉施設の利用者。それも就労を目指すためのサービス。むしろ、就職が決まれば速やかに退所せよ。そんな場所だったからである。
 こうして、私がたけのこ作業所を退所するカウントダウンが始まった。その後は就労契約の準備をするため、人事の方が指定する場所へ出向いたり、雇前健康診断というのを体験したりといろいろしたが、1つだけ気がかりなことがあった。入社まで1ヶ月を切ったというのに、内定を通知するものが何も届いていなかった。本当に採用で間違いがないかを斉藤さんに確認すると、無事回答を貰えた。
「先方の会社は中途採用者に内定通知書等を発行されないとのことです。採用で間違いありません。あ、来週のこの日に社員証に使う顔写真を撮影したいとのことですので、いつもの集合場所に来て欲しいとのことです」
私は慌てて、その日の帰りの会で作業所を休む日程を連絡し、次の日には、2週間前には出さないといけない作業所の退所届を入手した。
「これで本当にたけのこ作業所を退所することになる」
私は寂しさを感じながらも、新たな世界へ行く覚悟を決めつつあった。
「退所するまでに、少し作業所を休まなくて大丈夫?」
三森さんはそう心配してくださったが、平石さんに会えるのも残り僅かと考えると、わざわざ作業所を休む気にもなれなかった。実は、やっと扱いが分かってきて仲良くなれる気がしてきた三森さんと離れるのにも寂しさはあるが、それは秘密だ。
「丁度、月曜日入社なので、休みは土日だけで大丈夫ですよ」
三森さんにそう答えると、私は最後の1日まで作業所を楽しもうと決めた。最後までの日は支援員が入れ替わりで私の乗る送迎車に添乗する。送迎車と利用者を調整し、女性支援員が乗る日もあった。最後になり、三森さんが会社員としてのコツを教えてくださったことと、平石さんから謎に頭をポンポンされたことは、一生忘れないだろう。

 迎えた月曜日、私は作業所の送迎車を待たず、OPEITセールス・デザイン株式会社 デザイン本部の入るフロアへ向かう。社員証はまだ支給されていないので、不審者にならないように今日のところは人事担当者のアテンド付きである。人事の方も申請に慣れたので、入り口で止められることも、もうない。
ビルの中に入ると、人が並んでいる光景に圧倒される。始業時間少し前の時間帯でエレベーターを待つ行列だそうだ。
『明日からはこの行列に巻き込まれないよう、早めに行こう』
私は心に誓った。
高層エレベーターに乗り、デザイン本部のフロアに辿り着く。企画部長から挨拶され、どのような座席がいいか等、ヒアリングを受ける。一通りフロアを見渡した後、企画部長がデザイン本部の部員を呼ぶ。
「今日から企画部で採用となった、佐藤弥生さんです。では、佐藤さん、ご挨拶を」
企画部長から振られたので、挨拶。ここは元気にいこう。
「本日より、お世話になります佐藤弥生と申します。社会人は初めてなのでいろいろとご迷惑をおかけすると思いますが、よろしくお願いいたします!」

こうして、平石さんに恋の力と、三森さんや斉藤さんといった周囲のご尽力で作業所から民間企業へ飛びだったのである。

◆エピローグ 恋の結末

企業へ就職し、最初は慣れない仕事に戸惑い、ときには泣きながらも退職せずに半年程経った5月、たけのこ作業所が出店している販売イベントへ向かった。
「こんにちは。佐藤弥生です。ご無沙汰しています。利用者の皆さんもお久しぶりです」
「佐藤さん、久しぶりだね。今どうしてるの?」
支援員・利用者を問わず次々に聞かれる。その中には当然、平石さんもいる。私も私で、自分がいなくなった後の作業所の状況を聞く等、ひとしきり雑談を楽しむ。そして、利用者の介助や販売の状況が落ち着いたところで、私は声を掛ける。
「平石さん、今少しお時間よろしいでしょうか?」
作業所の利用者・支援員にも確認を取り、『ゴメンね!』と知らせた後、私は人気の少ないところまで平石さんを案内し、話し始める。
「すみません。お呼び立てしてしまって……。実は、お話したいことがあります……」
これから話すことを考えると緊張する。後から思い出そうにも緊張で覚えていないだろうが、彼はきっと、不思議そうな顔をしていたであろう。
意を決して私は、想いの全てを平石さんへぶつける。
「平石さん、私はずっとあなたのことが大好きでした。あなたに認めていただきたくて就職もしました。頑張りました。どうしてもこの気持ちを伝えたくて……!私と付き合ってください」
平石さんは聞いた一瞬、驚いたように見えたが、恐らく、三森さんから利用者の申し送り事項として話を聞いていたのであろう。少し間を置いて覚悟を決めて私に話し始めた。
「改めて就職おめでとう。作業所を辞めるときに、『辛くなったら戻ってきてね』とは言ったけど、続けていて凄いね。僕も嬉しいよ」
と言った後、彼はこう続けた。
「佐藤さん、伝えてくれて有難う。その気持ちは嬉しいよ。でも、僕にとって佐藤さんは、作業所の利用者だし、それは就職しても変わらないものだと思ってる。それに僕、好きな人がいるんだ。だから、佐藤さんの気持ちには応えられない。本当にごめんなさい」
春の美しい花が夏に移り変わるにつれて散るように、私の恋心が散った瞬間だった。

「あ、好きな人がいるっていうのは、他の人には内緒にしておいてね」
こう言って平石さんは、真面目な顔からいつもの穏やかな顔に戻った。
私はそれに言葉を返す。
「分かりました。有難うございました」
失恋がショックだったのは事実だが、同時に安堵した。そもそも利用者と支援員の恋なんて実るはずがない。実らない可能性の方が圧倒的に高いのだ。分かっていた返事を貰っただけなのである。
「それじゃあ、皆さまの元へ戻りましょうか」
私と平石さんは作業所の販売ブースへ戻る。何事もなかった顔をしながら。戻ったら確実に質問責めに遭うだろう。話しづらい仕事の話をしていた。そう言って切り抜けることにしよう。

努力しても叶わない恋がある。
その思いを抱きながら、週が明ければ会社へ向かい、仕事をする。
作業所から旅立った車椅子当事者が職場で苦労したり新たな恋をするのは、また別のお話である。

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