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Yayoi 1【じぶん】

卒業式前日、てっきり卒業式の予行でもやるのかと思っていたが、卒業式に配られるようなものが一通り配られて終わった。

良くも悪くも合理的なのはありがたい事だが、特に何の段取り説明も無く卒業式を迎えるのは少しだけ違和感がある。

卒業式の定番アイテムの卒業アルバムと卒業文集が配布された。卒業アルバムは6年間あったなりに色々な写真が並べられており、そんなんあったなと色んなタイミングで思わされる。あと知らん大人や知ってる大人が教科や役職ごとにまとまっているのはそれぞれの集団ごとの差異を感じられた。

卒業文集は同学年が大量にいるせいで凄まじい分厚さになっていた。全く編纂に関わっていないので私が文句を言う権利は無いのだけれど、卒業文集のタイトルはなんかそれっぽい漢詩からの引用で、それはまだ良いにせよ、その引用によって出来た単語が日本語としては辞書に載ってないのは如何なものかと思った。漢詩からの引用は大いに結構だが、読みが拼音しか出てこないのはどうなんだ。

個人的に卒業文集は文でかます事で自分を誇示する場所だと思っていて、人それぞれのかまし方が見れて良かった。シンプルな文章力で殴ってくる奴もいれば、ちょっとAAを置いてみたり、自作の謎解きを出そうと試みる奴も居たりと色々な人が居た。(デッドラインまで提出せずに完璧な空白を拵えた奴も居たが、それが複数人発生した時点で負けだと思う。“何もしない”は被った瞬間、究極的に陳腐なものになる。)

私も私で、文章の上端部分に「あ」から「ん」までの46音の平仮名が順に露出しているというものにした訳だけれども、ここから数年経った後これを恥ずかしがる事無く再び読めるかも大事な気がする。そこで文集にかました文章を書くと言う行為が、思春期の一過性の格好つけによるものだったか、一貫した信念によるものだったかが決まる。

どちらが本質的に良いのかは分からない。ただこうなってくると私の文章は一貫した信念の上に成り立った文章であってほしいと思う。

私の所属している配信グループで配信を取った。折角日記を書いているので、この配信を取った流れでも書こうと思う。

一応ひとまずの復帰回であったので、私がウラニハに加入した回(朝までそれ正解をやる配信に何の告知もせずに“居る”)の感じで朝までそれ正解をやる事になった。

その場のノリと勢いで回答者が私しか居ないという事にして、司会業務だけ別の人に振って配信枠を取った。

1問目1人でやってみて、単騎1枠での朝までそれ正解の面白さに限界を感じたので、枠を増やし《私が沢山居る朝までそれ正解》にしようと方向転換した。

2問目は2枠用意して、とりあえず議論をやってみた。配信には音声しか載らないので、1人で錯乱した人みたいになっていたと思う。

「段々増えてく」をやろうと思ったので3問目は5枠を使い、回答かぶりと時間無くて激弱回答になった人を作ってその感じもやった。

最終問題は目一杯の9枠にして全部やった。問題のナイスパスもあり、それっぽい終わり方も出来た。

即興にしては異常に頭が回った。もう出来ないと思う。結構頑張ったと思うので、悪かない復帰になった気がする。まあ全部自己解決でしか無いけれど。

(おわり)

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