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「バランスを以って、自画自賛せよ」

 ホメオパシーで定期的に個人的な現状を診ていただいているのだけれど、その最中というのは、ホメオパス(ホメオパシーの知識をもって、症状に対応したレメディを処方してくださる専門家)の方とただ話をしている間にも波動を測ったり、必要な修正をかけたりしてもらっている。

 波動とか波長とか聞いただけで、ぅわー!ひっかがっくてき〜!と拒絶する人がいるようだけれど、逆にその拒絶にどこまでの根拠があるのだろう、とちょっと滑稽にすら感じる。
 この世は全て音と光、つまり固有の波長を持っているといちはやく認識し、なにより肉体に病状として現れるよりはるか以前の段階でその人から出る波長の変化をキャッチして修正をかけることで、いわゆる未病の段階で症状の悪化を防ぎ、健康状態を保とうとしていたのは、冷戦時代の東側、社会主義国家の最先端の医学的知識に基づく発想だったというよ。

 社会主義国側で発達した理由は、人民が病気になる前にその異変を見つけて健康状態を維持しておく方が、ずっと無駄なく働かせられるから。その方が効率よく国益につながるからだったと。
 それに対して西側の発想は、今のアメリカ、日本で当たり前とされている医療の発想。すなわち、自分たちにとって邪魔な「敵」に、立ち向かう。消す、切り取る。消毒。薬。それは肉体に見える症状に立ち向かうものだから、病状が出ないと成り立たない。
 人々が未病の段階で治ってしまっては、薬使うとこ無くなってしまうんだもの、そんな波動なんて測っている場合ではない。波動だと?そんな発想は排除しないと。排除すべき対象は、つまりは、無いモノとしてゆく。ジャニーズ性被害の問題をマスコミが扱わないのとまるで同じ。無い。はぁ?波動?知らんな。何を非科学的なことゆってんだ、遅れてる、となる。スピ系好きだなー、とか。

 それでいいか?

 しかも、「科学的」とはどういうことか?地球上のある一定の条件下において再現可能な現象を説明できるリクツのことだろ?「それ以外」の場合のことについてはむしろノーコメントなのが「かがくてき」ということだ。

 だから、聞きかじった言葉に対して安易にそれは非科学的だというような、うっすらとしたマウンティングみたいなことはやめた方がよいのではないかな、と思うわけです。

 わたしの今の波動を測ってくれた機械さんによると、「バランスをもって自画自賛せよ」だそうだ。飛躍的な発展でホットな話題になっているAI よりはるか以前から存在している波動読み機(笑)が、もう私の決意まで読んでくれてるじゃないか。

 自画自賛を続けますよ。言葉の棚卸しその2だ。

= 般若 =

ごつごつとした言葉ばかり吐いて
そこにうずもれている

なぐさめるにせよ
振り返って語るにせよ
つながろうとして ついにつながり得ず
はじめからつながる気など無かったと
いうような顔で
諦めながら
その都度
生み苦しみ、捨ててきた
言葉の残骸
片方の結合部分の欠除した
それらは、
すべて わたくし
わたくしそのもの

心無い言葉に傷つき、家に帰っては
傷の手当てを受けることもなく
そこにはそこで、
待ちかまえる浅はかな家人たち
また ふたたび 三たびと
虐げられ、
深い屈辱に悲しんだわたくしの、
固く閉ざした洞窟で
飽くことなく積み上げた
生きるための言葉の瓦礫

岩をくり抜いて一条の光を求めるノミを
わたくしはただ握りしめ
闇を削り、削り
ごつごつ ごろごろと
言葉は足元に散らばった

 おお、それは、「希望」ではなかったか
 生き抜こうとする者だけが
 辿り着こうとする者すべてが
 お香の煙のように肩のあたりにまとっている
 そうだ、
 あの言葉たちは
 たしかに「希望」であった

薄墨の衣(きぬ)を透かして見るような
なめらかさで
読経の声が満ちる空
真っ青な
つきぬけた空
障壁という言葉を知らぬかと思うほど
つきぬけた 真っ青なマントラ

 今浴びているのは 光か、声か

年月の中で人々が引き継いできた
言葉の彫刻
なめらかに なめらかに
攻撃性を削ぎ、恨みを擦り落とし、

 しんむーけーげー むーけーげーこー
 むーうーくーふー

あるいは
欠片のとがった角度を
0.1度も無碍にせぬまま
琥珀のようにすべて閉じ込め
辿り着いたのか
なめらかな言葉の輪郭

やわらかな眼差しで
自らに射し込む光を
自らの色に染めているとも
気づかせぬ静けさの中
浮かびくる一切を
とりこんで
かき抱いて

一瞬の殺意までを


2015.5.24.  さち・ド・サンファル!


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