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11話-斎藤茂吉とT-4ブルー

みちのくのエスカルゴ号車旅

6日目 2022.04.13 その2

古い飛行機のエッセーを拝借


 大正11年東京上野公園で博覧会が開かれた。高さ42mの平和塔がそびえ、水上機が甲高いエンジンの音をひびかせて、池の上を滑走した。客を乗せて時速15キロで走ったと当時の新聞に出ている。
 客の中には、新しもの好きの母に連れられた私がいた。私は六歳だったが母の方が乗りたくなって、ついでに私も乗せてもらったのかも知れなかった。
   ・・・・略・・・・・

 羽田が開港するまで、フォッカー・スーパー・ユニバーサル旅客機は、立川の陸軍飛行場から発着した。
 私が新しもの好きの母に連れられて、それに乗ったのは・・・・

フォッカー・スーパー・ユニバーサル機、日本での様子
上は「すぎなみ学クラブ」のサイトから(⇦リンク)
写真提供太田市教育委員会とありました

T-4ブルーインパルス塗装デザインのこと

T-4ブルーインパルスの塗装デザイン(写真はWikipediaから)

 冒頭の「私」の、そのご子息はT-4ブルーインパルス塗装デザイン公募に応募し、多くのデザイン案のなかから選ばれた。冒頭エッセーの「私」は歌人で精神科医で作家の斎藤茂太さん。無類の飛行機好きでモタさんと親しまれていた。

 「新しもの好きの母」の夫で「私」の父が斎藤茂吉氏だ。
 「私」の弟が北杜夫氏でドクトルマンボウと云えば思いだすかもしれない。マンボウ氏も精神科医で作家で、遠洋調査船の船医時代のことをドクトルマンボウとして、純文学とは別の人気を博していた。「北」と名乗ったのは父の七光りを嫌ったと書いている。仙台の医学部で学んでいる頃すでに作家活動をしていた。故に北の杜の夫なのだ。
 遠藤周作狐狸庵先生とマンボウ先生の著作をとおしての掛け合いもおもしろく、いつも次作を待ち遠しく思っていた。これはここを書いているリアル私の青春時代。幹部候補生になっても2段ベットだった。でもベッドで本を広げたらそこは自分だけの世界だったから。

斎藤茂吉記念館まさかの

金瓶村(現上山市金瓶)を散策する、黄が移動時歴

 上山城を出て15分ほどで斎藤茂吉記念館に到着。どきどき

斎藤茂吉記念館まさかの

 調べておけよ、まさかの停館日。
 「よ~こ」と叫びそう。ジョンレノンの妻の姓はOhNo。でもねこの空き時間で、たっぷり散策ができるんですよ。茂吉さんが生まれ育った金瓶村を。

夏されば雪消わたりて高高とあかがねいろの蔵王の山
茂吉

 茂吉記念館の北に隣接するみゆき公園の高台に出たら、
  夏されば雪消わたりて高高とあかがねいろの蔵王の山
 茂吉の歌とそのモチーフの蔵王が、レリーフにして置かれ、その奥の空際には未だ雪を湛えた蔵王の峰が、一転曇りとなった空の下に佇んでいた。
 生まれ故郷に疎開した敗戦の前後に詠んだものだ。寂しさの中の明かりが見える気がする、と単純に思っていた。上のリンク元に敗戦の年の6月の写真が添付されているが実にいい顔をされている。

 「夏されば」⇨「雪消(け)わたりて」
 ここの解釈で悩んだ。

 「夏去れば」であればとても寂しい歌だ。
 この紀行の8話でふれた鷹山の治水事業で、「年に2か月しか雪が解けない飯豊山の標高1500mから20年をかけて難工事をおこない水を引いた」と穴堰(⇦リンク)と呼ばれる水路のことを紹介した。標高1500mで雪がないのは夏の2か月半だ。1800mの蔵王はもっと短いだろう。夏が終わらないと雪が消えないのだ。消えたらすぐ冬が来る。穴堰の2か月より雪のない期間は短い。もう冬は目前なのだから。こんな解釈でいいのだろうか。

 ネットの辞書には出てこないし、久しぶりに家の広辞林や広辞苑などを紐解いてみた。わからない。それにしても辞書を引く手の覚束ないことに愕然とした。目がと、そんな言い訳ではなく、あいうえお順がでてこないのだ。まいった。それにあまりにも重たくて量ってみたらみたら広辞林3.0kgあった。使っているノートパソコンより重い。昔は本を読むにも体力勝負なところがあった。今は pad 1枚ネット環境があれば家の本棚以上に、何時でも何処でも役に立ってくれるのだから。
 意気消沈してネットにもどりweb辞書以外も捜索範囲を広めたら、朝日新聞の「ことばマガジン」に「夏され」について池田博之氏の記事(リンク)があった。


 「夏され」とは、漢字をあてると「夏曝れ」。日本国語大辞典に「夏の強い日光にさらされていること」とある。強い日差しに焼かれるような夏をよく表している、いい言葉だと思う。近年の猛暑には、日盛りでは少し優しすぎ、炎暑、酷暑では日本の夏の感じが出ないような気がする。「曝れ」は動詞「曝る」の連用形で、「されこうべ」(しゃれこうべ)の「され」でもある。
 「夏され」という言葉は他の辞書に見いだすことができなかった』とある。


 「夏曝れ」なんだ。
 夏の強い陽光を受けて、山頂に残っていた雪も消し飛んで、空高々と、蔵王連峰の山頂はあかがねいろに輝いているよ。

 「あかがねも」紅葉かともなやんだところだが、蔵王の山頂は木々がなく地肌が見えるから。そこに陽光が差し輝いている、力強い夏の賛歌なんだ。

 この地方で生まれ育ち蔵王には何度も登っている友人に電話をかけた。彼はいとも簡単に、蔵王の山頂は夏早くから雪ないっすよ。夏曝るっすよ、と。

 この短歌は昭和20年茂吉が疎開した郷里で敗戦をむかえ、おまえは戦争賛美してたろと叩かれ非難され、気を病んでいたころに詠んだものとの先入主があったとおもう。どっこい意気軒高ではないか。そしてその気分はあの写真の顔そのものだと感ずるのだ。

 斎藤茂吉を育んだ金瓶(かなかめ)村を散策するぞと経路時歴まで添付したのに、いまだ記念館横の公園に立っている。字数が尽きた。
                  「その3」につづきます!

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