『吾が輩は描き猫である』名前はまだない。

画像1 見たことからしか人は描けない。 だからまずよく視る。記憶する。観察する。もしくは良さを読み解くことだ。何がいいのか、好きなのか、凄いのか咀嚼して蓄えることだ。日常の風景でも、外国のような特殊な場でも、他人の作品でもいい。よく見て、その良さを引き出し、その魅力を意識して描こう!
画像2 天才は見なくても描けるだろうけれど、それすらも修練なくしては行き着けない領域だ。修練で視て探る習慣がついているんだ。だからそれを急に真似ても読者が納得するモノは描けないよ。資料写真が必要なら見て描くのが読者にとって正しいんだよ。発表された作品は過程を問われる事なんかないんだから。
画像3 作品を描いて発表する時は弱者への配慮は絶対的に必要だし、考えるべきだけど…そこに差別意識があるかないかは読者として読み取ろう!部分ではなく本質で判断しよう!出版社もそこはギリギリまで戦おうよ!…でないと、君や僕の住むこの世界は面白くも可笑しくもない堅苦しい牢獄のようになっちゃうよ
画像4 コミケやコミティアで見られる光景。創作需要の縮図。
画像5 斬新なアイデアは、ゼロの掛け算のように無からは生まれない。

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