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「そのままのわたしで、舞台に上がろう。」 心からそう思いたい理由

すべての準備が整った上で本番を迎えられたら、こんなにうれしいことはない。

でも、現実、そうでないこともたくさんある。

〈もっと計画どおり練習したかったのに〉
〈前日はゆったりとした気持ちで過ごしたかったのに〉
〈体調万全で当日を迎えるはずだったのに〉
〈ここは、本当ならこう弾きたい…はずなのに〉

そう思っていても、予想もしてないことがたくさん起こる。


そんなとき、

だいじょうぶ。そのままの「わたし」で舞台に上がろう。

と思えること。

それは簡単なようで、とてもむずかしい。


音楽には、「終わり」がない。「完成」もない。

だから、どこまでも求める。どこまでも、満足しきれない。

どこまでも、どこまでも・・・


完成物には永遠になれない自分の音楽を、だれかが責める。

きっとそれも、ほかでもない、「自分」だ。


〈本番なのに〉
〈このまま、人前で弾いていいの?〉
〈まだまだダメ〉


ああでなければ、こうでなければ・・・

と、責任を別のものや他人に転嫁したくなることもある。


でも、きりがない。

そして、そんなことばかり思ってる人の音楽、だれも聴きたくない。


自分と音楽との関係を、その日、そのまま表出する

そんなことをしてみたい。


その場所・その時間。

そこには、音楽がある。

そして、自分がいる。

だれかがいる。

ただ、それだけなんだ。


これまで曲に感じてきたもの。

信念をもって楽譜に向かい、鍵盤に向かっていたひとつひとつのこと。

自分の弱さ、足りなさまでも。


それが、ただただスーッとその場に表れるような時間。


〈「まぁいいや」「しかたないやん」とは、違うんだよね〉

開き直りとは、またちがう。

でも開き直りなのかもしれないね。


そこにいてくれる方への感謝と信頼

そう思えることには、聴いてくださる方への信頼があるのかもしれない。


「ホーム」と言われるような場所で安心できるのは、

〈きっとここでは、自分を受け入れてくれる〉

と、無意識に感じているから。


自分と、そこにある音楽を。

自分と音楽との、関係性を。

ただただ、受け止めてもらえる。


まずは素直に、誠実に、息を吐くように、自分をひらくこと。

ホームでも、そうでない場でも。

話はそれからだ。


〈ちょっと違うんじゃないか、いつもより〜〜だったね、とても好きだったわ、今回は〜〜と感じたな〉

…など、その日のパフォーマンスに対するいろんな言葉、反応を受け止められることも、まずは自分がひらいていること。


「音楽」と「わたし」が語り、見つめ合う場に、「だれか」がいてくれる。

その「だれか」も、「音楽」と出会う。

そして、「わたし」とも出会っているのかもしれない。


そんな場に、だれもが忙しい中、時間と気持ちをさいて足を運んでくださる時点で、感謝しかない。


そこで誠実に、素直にならないことは、とても失礼だ。

だからこそ、自分にこう話しかけたい。

〈だいじょうぶ。そのままの「わたし」で舞台に上がろう〉


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