文庫君鉄オビあり

【83】君と夏が、鉄塔の上



 やって来たのは比奈山で、比奈山は鉄塔を見上げたあと、ぐるりと公園を見渡した。

「また一人か」

 比奈山はゆっくりとこちらへやって来る。

「お前も好きだな」

「何が?」

「この公園だよ」比奈山は口の端を曲げて笑った。

「そうだね。毎日いるから」

「俺も、この鉄塔に愛着が湧いてきたかな」

 比奈山が再び鉄塔を見上げた。僕も比奈山と同じように顔を上げ、背後に聳えている鉄塔の天辺を眺めた。

「何か見える?」

「いや、何も」

 比奈山は首を振った。

 椚彦はどこへ行ったのだろう。役目を終えたからいないのか、それとも、お面の男たちに怒られていたりするのだろうか。

 もしそうならば、鳥居内に侵入したのは自分の責任なので、申しわけない気持ちが湧き上がる。

 あるいは、全部帆月の頭の中の出来事だったのだろうか。鉄塔の子供も、お面の男も、最初からいなかったのだろうか。

 あんなことが、帆月の頭の中で繰り広げられていて、それを僕や比奈山が現実であるかのように体験してしまうことなんてあるのだろうか。

 いや、帆月のいない状態で椚彦の姿を見ることが出来たのだから、あれはやっぱり神様だったんじゃないだろうか。

 様々な疑問を、思いつく限り比奈山に投げ掛けてみる。

「俺もお前も、いつからかあいつの世界に入り込んでたのかもな」

 比奈山はそう言って苦笑いを浮かべた。

「でも、どっちだっていい……だろ?」

「そう……だね。どっちでもいいんだ」

 帆月は帰って来た。それだけで、僕には十分だ。

 十分なはずだったのに、帆月はここにいない。

 そうして、しばらく蝉が鳴くだけの静かな時間が流れた。

「……前に、鉄塔は家系図だって言っただろ」

「ああ、うん」

「俺の場合はさ、普通の鉄塔と、変な形の鉄塔が、交互に続いていくんだろうな」

 そう言って比奈山は、指で一つずつ鉄塔を数えていくような仕草をした。

 比奈山と、比奈山家のことを言っているのだろう。

 僕はその言葉を聞きながら、広大な草原に、三角帽子鉄塔と、変わった形の鉄塔─例えば猫の顔みたいな烏帽子型鉄塔─が、交互に延々と連なっている様を想像する。

 連綿と続いていく鉄塔群は、感動すら覚えるほど雄大な光景だ。

「ほらよ」

 比奈山が僕の膝の上に、薄っぺらの冊子を投げて寄越した。ピンク色をしたこの表紙には見覚えがある。


「帆月の家、やっぱりここからはちょっと離れてるな」

「こんなの、下らないんじゃなかったの?」

「ああ、下らない」

 しかし比奈山は、今度は両方の口の端を曲げて笑った。

「まあ、下らないことも、そんなに悪くはない」



 公園を離れ、冊子に書かれている住所を頼りに自転車を漕いだ。

 東京外環自動車道の側に立っている96号鉄塔から少し離れたところに、帆月の住んでいるマンションがあった。背の高い、八階建ての重厚なマンションだ。


 マンションの中に入ると、備え付けられているインターホンに部屋の番号を入力する。程なくして女性の声が聞こえてきた。

「……はい」

「あ、僕は伊達と言います。帆月さんとは同じ学校で─」

「分かってるよ。見えてる」

「あ、帆月か」

 確かに、インターホンの横に小さなレンズがある。これがカメラなのだろう。

 彼女がまだこの家にいることが分かり、僕はホッと胸を撫で下ろした。

「……なに?」

「いや、用事は、とくには」

「……」

 何と言えばいいのかさっぱり分からない。そもそも用事と呼べるものなんて本当にないのだ。

「ちょっと待ってて」

 そうして、インターホンが切れた。

 しばらく待っていると、自動ドアの向こうから帆月がやって来た。

 しかし、別人ではないかと思えるほど彼女の顔は蒼く沈んでいる。

 帆月は半袖の白いパーカーを羽織っていて、その襟元から伸びている紐を両の手でキュッと握っていた。



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