幼稚園児が見抜いた格差。

昭和と平成の境目の。
昭和63年に生まれました。
父が19歳、母が21歳のときにできた子供。
若い両親です。
3歳まで父方の実家で育ちました。
大自然に囲まれた山の中でした。
おばあちゃん子な私は、
いつもおばあちゃんに抱かれ、
それはそれは大切に育てられました。
統合失調症だったおばあちゃんの具合は、
わたしが生まれたことをきっかけに、
みるみる寛解していったみたいです。

それから3つ離れた妹が生まれるまえに、
わたしたち家族は、
大自然に囲まれた山の中から、
県庁所在地である県都に引っ越し、
6畳2間の木造アパートに住みました。

両親は共働き。

幼稚園が夏休みの時は、近所の保育園で、
保育園児と一緒になって
お昼寝でした。

とにかく両親は働いておりました。

送迎バスが朝迎えに来ると、
いつも母にしがみついて泣き止まず、
先生から無理矢理連行される問題児

幼稚園が終われば、自営業だった母方の実家に預けられたり、学童保育のような場所で、
親が迎えにくるまで、
アンパンマンみたり、
折紙したり。

一度、
幼稚園の柵を乗り越えて
脱走を図ったこともありました。

もちろん、
大問題になり、
当時の担任の先生は
エライ目に合ったようでした。

とにかく、ずっと泣いて泣いて泣いて。

自家中毒を頻繁に引き起こしておりました。

自家中毒ってなに❓

「自家中毒」とは、
普段元気な子どもが
急に何回も吐く症状が数日続き、
また元気になることを繰り返す病気。
精神的なストレスが原因のようです。


泣いている記憶だけが中心にありますが、
すこし気になる記憶もあります。
それは、
当時から、
いつも、なんか変だと思っていたこと。


自分の家庭はみんなと違う。
周りの幼稚園児と自分は
違うんだと、強烈な疎外感劣等感を感じていたこと。

それが何故なのかと言われれば、
自宅前までの送迎バスが原因だと思います。

周りの子供たちは、
綺麗な一軒家だったり、
綺麗な外観のアパート。

自分はオンボロな木造アパート。

↑実際に住んでいたアパート
玄関を開けるとすぐに急な階段がある

母方の実家は、一軒家だったので、
そこで降ろしてもらえる日は、
全身に刺さる視線が軽くなり、
オンボロな木造アパート前で乗降するときは、
すごく痛い視線を感じていました。

幼稚園児は、格差を感じていました。

間違い探しは、子供の方が得意だったみたいです。

偉そうな大人が謳う格差社会より、ずっとリアルで鋭利。

親も先生も子どももいない、
誰も見ていないところが好きでした。

自分の家は、誰にも見られたくない。

そして、いよいよ小学校へ入学します。

つづく

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さいとう2.0

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