見出し画像

『神話(三年目)』展示情報ほんでテキスト

「神話(三年目)」 齋藤 陽道 写真展
2019年4月21日(日) 10:00ー19:00
ガレリアサローネ
〒190-0003 東京都 立川市 栄町4丁目43-11
(昭和第一学園高等学校  西門の向かい)

○ ○

 雪景色にふたりは立っていた。
 なにもないところには、なにもかもがある。
 そこに存在することごとくが、すべて。
 千古をへてなお美しく厳しいものを見たい。

○ ○

「ぼくらの芸術は人間の苦悩と愛に関することだけで、すべての生き物のことじゃない。人間のことだけなんです。ぼくらは動物や植物のところ、このもうひとつの世界におりていこうとしない。なのに、人間はあらゆる生き物にむかってチェルノブイリをふりあげてしまったんです」『チェルノブイリの祈り』

○ ○

 ある日の早朝、家々から顔を出して昇ってくる朝日を見た「7つまでは神のうち」とされる存在が言った。
 「たいよう ずうーっ……と ぼくを みているね  おはよう!  ぼくも ずうーっ……と たいよう みているよ!」
 そのとき、神のうちの存在にとって頭上で光り輝く物は、言葉による概念の「太陽」なんかではなく、「わたしだけを見ている光」だった。一対一で向き合っているそれは、あたたかくからだをぬくめてくれるものだけれども、網膜に焼きつくほど激しくまぶしい暴力的な光でもある。ゆえに「わたしだけに厳しい光」ということにも、おのずとつながっていく。
 わたし「だけ」に「優しい」「厳しい」という傲岸不遜なまでの、この「わたし」感があればこそ、敬虔が、畏れが、祈りが、芽生えるのではなかったか。
 眼の前のものとわたしがひとつながりとなっているまなざしさえあれば、やさしさときびしさは表裏一体である自然の理を、おのずと知る。だから、ほとほと、ほとほと蕩けそうなほどにうれしくなっては、ガチガチに全身が竦むほど恐ろしくてかなしくもなるのだ。
 「わたしだけにそそがれる」というこの感覚を、幼子の未熟な認識と見るか、この世は自分ではないもののあまねく現象や存在とともに生きていると知る兆しと見るか。

○ ○

 す す す す。穏やかに、でも、豪勢に降っている雪が、風に吹かれて空へと舞いあがる。マイナス二十度の凍てつく風が全身に吹きつける。ざほざほざほ。新雪をかきわけて歩く。北海道の山奥の、人里離れた旅館へ向かっている途中だ。長靴にまとわりつく雪の重みよ。いつまでも降りしきる雪が、斜めに積もっている木立。ダウンジャケットですっぽり包んで抱きあげているこどもは、身を縮こまらせて丸くなっている。もうすぐだよ。もうすぐ。こどもに向けて何度も言う。ぼうしと上着のすきまからちらりと見えるほっぺは、赤い。雪に揺れる。少しずつ暗くなってくる。目に麗しい静かな喧騒を見あげる。宇宙の入り口の空はいつだって真新しい。忍びよる夜の帳が、白の無限を引き立てる。ポケットに入れたホットコーヒーのぬくもりが、活力をそそいでくれる。胸の中にすっぽりと丸まるこどもの体温と呼吸が溜まるにつれ、こどもとぼくの輪郭がとけていく。

 ○ ○

「ひとつの生命を救う者が世界を救える」オスカー・シンドラー

○ ○

 『神話』を見た人から「お子さんとの旅写真、素敵ですね」「私には子どもがいないのでよくわかりませんが、親の愛があるから撮れる写真なんでしょうね」「すごい私写真です」という言葉をもらうことがある。
 写真をどう見るも自由だと思っていたけれど、私事に収まった感想に、自分でも驚くくらいがっかりしていた。私事とその近辺から想像のちからが羽ばたいていかない言葉に息づまる思いになっていた。とくに、安易に「愛」を含めた感想には、悪口の方が何倍もマシだと思うくらいに落胆した。
 でもそれはちょっと前までのぼく自身そのものでもあるから、どう語りかければいいのかもわからない。かつてのぼくは、自分さえよければ他のことは本当にどうでもよかった。眼の前で人が傷つこうが何も思わなかった。チェルノブイリでさえ、対岸の火事として見なすばかりで小指の先ほども自分のことのように考えてはこなかった。

 ぼくは悲観的な見方をしている。ことさらに大地がゆれやすい島国の孤立した日本大陸に、はてしない長期間の被害をもたらす危険があるものが、廃炉、停止中も含め、57基あるという。原発ができてから五十年もたっていないのにこれだけの問題をもたらすのに、これから先、百年、数百年、千年と保てるとは微塵も思えない。
 破局は来る。
 もちろん破局に対して抗っていくが、現在の政治を見ていると、小さき者、弱き者、少数の者、丁寧に生きる者の声を聞こうともせず、踏みにじってはばからない、面の皮が大人なだけの子どもが牛耳る様を見ていると、腰がへなへなになるような無力感がつのってしまう。 ……それでもそれでもそれでも。

 この『神話』に限っていえば、そこに写っているものは「家族」や「子ども」ではない。2011.3.11以降のぼくたちが担ってしまった、3.8日、8日、5.3年、28.8年、30年、1600年、24000年という放射能半減期の未来に生きる存在として見ている。
 現在、われわれは神話的時間の領域に足を踏み入れている。
 イエス・キリストの誕生した年が2019年前だと考えるとき、これまで流れてきた時間と、私たちが知ってしまったこれからの時間の無限に頭がぼわんとなる。

 写真を営むぼくにできる最善の抵抗は、家族という私事から見える光景が、実は、あめつちの司る公事の情景とつらなっているのだという事実を、言葉なき沈黙のうちに知るための『神話』撮影である。

○ ○

 遠い未来でふりそそぐ白い光が、寝ても覚めても見えている。同時に、明るいまっぴるまでありながら暗い真夜中の現在が、寝ても覚めても見えている。
 引き裂かれる思いが心臓にわだかまっている。亀裂だらけの心臓の穴に、とても痛くも沁みて沁みてやまないものは、お金でもなく、悲哀こもごもといった人間のどろりとした感情でもなく、「ただの夜明け」「ただの風」「ただの雪」「ただの森」「ただの星々」「ただの夕ぐれ」……だと思っている。
 そうでなきゃ、38億年のいのちの子孫として、うそでしょう?

○ ○

 現象の奥へ行きたい。もっと見たい。まだまだなにもかもが足りない。たったのひとりの歩みが始まるところを丁寧に見つめるところからこそ、数万年先に届きうるものがやっと見えてくるのだと信じたい。そのことを、まずはこどもというたったのひとりずつに伝えたい。ああもう。お金も時間も人手も住まいも、全然、追いついていない。やりたいこと、行きたいところ、出会いたい存在、たくさんある。追いつかない。本当に見たいものの10%も撮影できていない。これがもしも100%になったら、いやいや、50%でも、20%でもと思うと、とてつもなくはがゆい。でも、はあ、やらなくちゃ。ちくしょう、やるんだよ。犀の角のようにただ独りで歩むんだよ。はあ!

○ ○

 「魂」とは「時間を超える旅の切符」のようなものだと思っている。
 ぼくは無明の道を照らすものとして「魂」の存在を大切に思う。その「魂」を色濃く抱えるものとしての「神のうちの存在」なのだ。かたちあるものも、かたちなきものも、すべてつらなりあっている。この感覚をみずみずしく保つものでもある。
 「頭」ではなく「魂」を育むことで、一日や一年といった短いスパンの範疇でうろたえることなく、何十年、何百年、何千そして何万年といったとほうもないはずの時間をも超える覚悟がそなわるだろう。「魂」の方向さえ定まれば、「頭」は懐深いものだから、「魂」の見つめる長い旅を支えようとして、ぎゅんぎゅん成長してくれるだろう。そこは疑いない。これはぼくの、こどもに対する唯一の教育方針でもある。

○ ○

 「ぼくは毎晩飛びまわる。明るい光のなかを飛ぶんです。これは現実でも、あの世でもない。これは現実でもあり、あの世でもあり、もうひとつの世界でもある。夢のなかではわかっているんです。ぼくはその世界に入ることができ、ちょっとそこにいることができるんだと。それとも、そこに残ることができるのだろうか? ぼくの舌はよくまわらないし、呼吸は乱れている。でも、あそこじゃだれとも話さなくてすむんです。子どものとき、よく似たことがあった。ぼくはだれかといっしょにいたくてたまらないのに、だれもみつからないんです。光だけ。光にふれることができそうな、そんな感じなんです。ぼくはなんて巨大なんだ! ぼくは、みんなといる。でも、もう孤立しているんです。ひとりきり」『チェルノブイリの祈り』

○ ○

 いまのところ『神話』をやってきてよかったなと思える中に、半減期の莫大な数字を抱えて撮影をしているこの数年、未来の人の存在が近くに感じられるようになったということがある。
 たとえ、24000年先でも、人類は、いや、未知の生命は、船を、船のようなものを作って海へと繰り出そうとすることだろう。あるいは伝承に残る、無限の水で満ちた「海」へ果敢に向かおうとする「船」というものを、わけもわからず懐かしむことだろう。いろんな形で、海から育まれるものを糧とするだろう。なぜだか強くそう思える。
 半減期という不吉な数字を抱えたからこそ、未来の人を想像するようになった。確かなことはなにもないとわきまえつつ、そこから逆算して見えてくるビジョンもある。アンビバレンスな親近感を抱えながら、そこから未来がはじまるのだと。

○ ○

 今後、撮りたいもの。協力を仰ぎたいもの。

 動物とこどもが対面する瞬間 > やさしき動物のご紹介。
 いろんな「からだ」の人が、神のうちの存在を抱いている瞬間 > 身体的な特徴のある「からだ」のモデルさんの募集。お願いする際には、謝礼あります。
 何百年前の光によって輝いている星々を撮る > ヤバい天体写真が撮れて、かつ、人気のない土地のご紹介。
 東北、九州、沖縄で腰を据えて撮影したい > 一ヶ月ほど泊めてくれるところのご紹介。
 でっかいでっかい、たくさんたくさんのシャボン玉を撮りたい > 撮影に協力してくれる方の募集。でかいシャボン玉を作る道具を準備するところから、遊ぶ感じで参加してもらえたら。
 ドミニカ共和国で撮影したい > おきもちの支援。
 存在感ある置物 > うまく言えないけど、民族的な、土っぽい造りもの。
 かっこいい石、鉱石 > かっこいい石、鉱石。

 たくさんありますね。ずうずうしいですね。はい、そのとおりです。どうしても撮りたいのです。

○ ○

 いちにちのはじまりにまなざしがともり、いちにちのおしまいにひふの声がともる。
 現在、4ヶ月目になる二人目の神のうちの存在を見ていると、そんなふうにして一日を過ごしているなあと思う。この二人目も迎えて『神話 四年目』に入ります。
 来年もまた健やかにお目にかかれますよう、どうぞみなさま、ごきげんよう。

2019年3月3日 齋藤陽道

以下、詳細です。

 改めての改めて、「神話」展示のことをお伝えすると、B0サイズのプリント十数枚を基本にした、1日限りの小規模で大規模な写真展です。でも、「写真展」というよりも「限りなく写真展なお祭り」という感じに思ってもらえたら〜。

 会場の「ガレリアサローネ」は、喫茶店と美容院がくっついたお店で、店主のおこさんのためでもあるキッズルームが最強に充実しているのと、特盛ナポリタンが美味しく、コーヒーも最高に美味しく、ヘアーカットも最高にキマるお気に入りのお店でした。

そう、「でした」!

 ぼくと同じく平屋が大好きな店主が、一目惚れした平屋に引っ越すことになったため、こちらのお店は4月21日に店じまいをします。そのフィナーレを飾らせてもらうことになりました。
 大好きなお店のフィナーレ……、光栄です。
 お店は解体することになっているらしく、「荷物はそれまでに全部運び出す予定なので、展示にはなんでもかんでも好きにどうぞ!」という頼もしいお言葉をもらっています。

 どうなるんだろう。ぼくもわかりません。

○ ○

 当初、思っていたよりも冊子をお求めくださる人がぼーんと増えたので、『神話 三年目』は大幅に増やして700部にします。
 そして合わせて『神話 一年目』『神話 二年目』も400部、増刷します。最初からそうすりゃよかった。。。

 一年目と、二年目をもってないという方は、ぜひに。

 冊子の価格は、
「1000円(原価)」+「旅費及び撮影費へのお気持ち(いくらでもおっけいです)」
でお願いしています。

○ ○

ガレリアサローネ

東京都立川市栄町4丁目43-11
(昭和第一学園高等学校  西門の向かい)



・アクセス
(ぼく個人的には、立川駅からタクシーをおすすめします)

JR中央線、青梅線、南武線
『立川駅』北口よりバス8分
バス停5、6、7、8番、乗り場
《栄町二丁目》下車  徒歩3分
バス停9番、乗り場
《昭和第一学園西門》下車  徒歩1分

多摩モノレール線
『立飛駅』より徒歩12分
『泉体育館駅』より徒歩13分

・駐輪場、身障害用駐車スペース(2台)あり
近くにコインパーキングがありますが、 当日は混雑が予想されます。
公共交通機関でのお越しをお待ちしております。

・当日販売物
ZINE「神話三年目」  限定700部
ZINE「神話一年目」「神話二年目」第二版  各400部

・一年目で好評だった投げ銭フリマコーナーもあります。
愛用していたもの、本などを置きます。
持って行ってください。使ってください。

・ガレリアサローネの店主が入れるコーヒーもどうぞ召し上がれ。
カフェメニューなどいろいろあるそうです。ビールのもうね。

・簡易ではありますが、こどもが休めるスペースもあります。

こまかな情報は、Twitterで告知します。ときどきのぞいてくださいませ。DMはだれでも送れる設定にしてます。

○ ○

長く長くなりましたが、要点は、

4月21日、ガレリアサローネで、写真と遭遇してください。

です。おまちしております。


【本文は、ここまでです。以下は、この最近の家族写真21枚があります。見ても見なくても変わりないですが、応援するかんじで、投げ銭的に、見てもらえたらうれしいです。
それがぼくのスペイン産にんにく代になります。あるいは、まなみの千葉県産パクチー代。またもやのあるいは、樹さんのアスパラガス(ビスケット)代。さてもやのあるいは、畔さんのおしめ代。ありがとう】

ここから先は

160字 / 21画像

¥ 100

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?