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厩戸皇子は何者か? 2

厩戸皇子はペルシャ人だ。厩戸皇子が遣隋使を派遣したのが西暦600年。
この時代に海を渡らないといけない隋がある方向(方角)を厩戸皇子は理解していた。

 方向(方角)が分からないまま、隋まで船を出す人間はいない。無事に隋に到着しても、復路で海の事故に巻き込まれて海の藻屑になる可能性は高かった。
小さな船で隋を目指すのはある種、賭けのようなものだったに違いない。

派遣される小野妹子も命がけだ。
では、厩戸皇子は、何を指針に方向(方角)を理解していたのだろうか? 


私は「星」だと思う。厩戸皇子は、星を指針に方角を理解していた。
因みに時間の概念はまだなかった、例え有ったとしても、朝、昼、夜程度だった。都人は日が昇ると出勤し、暮れると帰宅していた。
時間を意識して「水時計」を作ったのは天智天皇である。
671年6月10日に時報を始めたと伝えられている。

現在でも、6月10日は「時の日」である。
本棚から、中学生のときに読んだ歴史書を引っ張りだして読んで見たら「ペルシャ人は、星を信仰の対象とする民族」と書かれていて「間違いない」と思った。

― 厩戸皇子 = ペルシャ人 ― 
以上が私が出した一つ目の結論である。


では、厩戸皇子とは誰のことを指すのだろうか? これには他説ある。

 「蘇我馬子」(厩戸皇子の大叔父)

「蘇我善徳」(馬子の長男で厩戸皇子の両親の従兄弟) 
 「蜂子皇子」(厩戸皇子の従兄弟) 
 「蘇我蝦夷または蘇我毛人」(蘇我馬子の息子で厩戸皇子の両親の従兄弟) 
 「蘇我入鹿」(馬子の孫で厩戸皇子の従兄弟) 等々


 


 厩戸皇子とは、いったい、誰を指すのだろうか? 



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