トーキョーローカル

新潟の実家に帰っています。

先日、そんなに知らない隣の隣の市あたりで行われている地方活性化的文学賞に応募したことで、地元と自分の関係に一区切りついた気がします。

で、まあ、思ったのですが、その土地にはその土地のスケールとか雰囲気があるのですね。
風土ってやつですか。

東京のファッションをそのまま新潟に持って来てもオシャレじゃないんだな、と。

伊藤理佐が変わったデザインのパンツ(ズボン)を履いて田舎に帰ったところ、おばあちゃんに「(そのデザインは)東京じゃ通用しても、ここじゃ通用しねぇぞ?」と言われたそうで。

そんなもんかな、と思います。

東京には Forever21 (ロサンジェルス)とか H&M (スウェーデンのどこか) とかあるわけですが、そういう店に行くと「日本っぽくないな」と思ったりします。

一方で、Forever21 と H&M の服を混ぜられたら、どっちがどっちか見分けつかないだろうなーと思います。
ロサンジェルスとスウェーデンて、だいぶ違うと思うけど。

東京歩いていると、「中国とか日本以外のアジア圏のファッションかな?」となんとなく思うことがあります。が、それもアジア圏以外から来た人にはまったく見分けがつかないのかも。

考えてみると、どこに住んでても自分のいるところが「世界の中心」になりそうですが、東京が日本の中心と思っちゃうって不思議。
何かを刷り込まれているのか。

そもそも私の住んでいる神奈川県は東京じゃないのですが、東京にしょっちゅう行くので、広いくくりでトーキョー民のような顔をしているというのも不思議。

ちなみに東京生まれ東京育ち、それも23区と言われるようなガチ都心育ちの知り合いも何人かいるのですが、そういう人の見ているトーキョーは私の見ているトーキョーとはちょっと違う感じがします。

私は渋谷によく行くのですが、ゴジラに渋谷が踏み潰されても、「渋谷踏まれたなー」としか思わない。でも、渋谷区で育った人には「故郷が踏まれたぁ……!」なわけです。

いしかわじゅんをこれを「 Windows と Mac の違い」に例えてたっけ。
東京出身じゃない東京在住者は、ビジネス汎用OSの Windows なの。で、東京生まれ東京育ちの人は最初っから東京に特化した Mac なの。

いしかわじゅんの話は吉田秋生の『夢見る頃を過ぎても』シリーズについての話なんだけど。私にとって、トーキョーを描くマンガ家といえば、岡崎京子。下北沢出身のバリバリ東京ガール。

吉田秋生と岡崎京子では、作風がぜんぜん違う。でも、どっちもトーキョー育ち。
どっちもトーキョーネイティブ、トーキョーローカルの感じが漂っている。

こんな感じで故郷に帰ると、とりとめのないことを考える。
冒頭で「一区切り」って書いたけど、地元に関しては、やっぱり割り切れてないのかもなぁ。
自分の所在について何も考えなくていい場所(神奈川の家? 部屋?)に帰りたい。
実家に戻るのは「出張だから平気」なのであって、住み直したらキツイよな。
でも、トーキョー的神奈川にいると、「家賃かからないし、新潟帰りたいなー」って思ったり。

お家帰りたい。
早く故郷に帰りたい。
おかーさーんー。

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