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日本の春の夕暮れ

桜が満開になった頃の夕暮れ。
淡い桜色に染まった空が、時と共にオレンジ色に変わり、赤くなってゆく。雲の隙間からは、色褪せた青空が見えていた。

4月11日の夕空は「桜色」だった。

空全体に薄い雲が広がり、そこに夕焼け前のパステルピンク色の夕空が現れていました。スマホのカメラで、撮っても撮っても、その空色は撮れない。それが時間とともに、パステルオレンジになり、スジ状のオレンジ色の蛍光色に変わっていきました。

雲の隙間から、昭和の銭湯のタイル壁に描かれているような、色あせた青空が見えてきた。この風景の変化に不思議さを感じました。

この時、ある画家が亡くなるとき、知人に話した言葉を思い出しました。

ある画家とは「真珠の女」「青衣の婦人」を描いた、ジャン=バティスト=カミーユ・コローです。

死の床にあったコローは、ロボーに、「あなたはおわかりにならないだろうが、私はもう一度やり直したいと思っている。私はいままでに見たこともないものを感じている。いままでの私は空を描くことを知らなかったようだ。いま私に見える空は、もっとバラ色でもっと深く澄んでいる。本当に私はこの果てしない地平線をあなたに見せたいものです」と言った。

引用 新潮美術文庫 コロー

オカルト的に解釈すると、コローが死ぬ間際に見ていたのは、「あの世」の空と地平線なのかもしれませんね。

でもわたしは、コローが最後の最後まで探求し続ける画家であってほしい、という願望もあってか、オカルト的な解釈はしたくないものです。

勝手な妄想ですが、コローが求めていた風景、構図、光、空気、色。これらは日本の豊かな自然の中にあるのかもしれませんね。「桜色の夕空」「一面の桜吹雪」「原色と淡い色の調和」「整然とした調和と猥雑な混乱との共存」

打ち消しあうのではなく、活かしあってゆく自然。見えないけれども、感じられないけれども、潜在的な力づよさが、日本にはあると思います。もちろん、勝手な妄想です。

コローが画家として日本に住んでいたら、どんな絵を描くのでしょうか、ちょっと興味があります。

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