それは「あなたに興味がない」以上でも以下でもない。

 ↑の増田を読んだ感想。

 個人の趣味、思考、思想、嗜好などは他人に対して自己開示として機能する。
 増田がロリータの服装をしたことで、周りは「よく知らない」からフラットな認識しか持っていなかった増田を「ロリータがかなり好きな人、ロリータに大きな興味を抱く人」と認識する。
 そう理解した瞬間に、増田に対する認識が「自分と共通点がある可能性がある人」から「興味がわかないからリソースを割く必要がない人」になった。

 増田が「自分」を出したらそこには興味を持たなかった人がいた、それだけの話
である。
 この話はそれ以上でもそれ以下でもない。
 ロリータとだる着すっぴん死んだ目の違いも美的センスも何ひとつ関係がない。

 自己開示をして自分の思う通りに相手が受け入れなかったら「私のセンスを理解できない相手の問題だ」と相手のせいにするのはどうかと思う。
 増田が勝手に行った自己開示を赤の他人が受け取らなければ(思う通りの反応を返さなければ)ならない。
 そんなわけがない。

 社会的に確立された通りいっぺんの対応ではない、個人(の自己開示)にカスタマイズされた対応をするのは対応する側にとっては大きな負担になる。
 だから飲み会で手柄話をしたり、説教する人間はうざがられる(という話がさんざんされていたと思うが)
 増田が言っていることは「偉い俺が来ているのに、笑顔で愛想良くしない女は何なんだ。わきまえてない」と言っている人間と大して変わらない。
自分が素晴らしいと考えるものを理解して思った通りの反応をしない人間は、センスや理解力がないのではないか」
 こういう考えは必ずしも嫌いではないけれど、それはあくまで本人が自分の傲慢さに自覚的な場合だ。    

 強い興味の発露は、対象に興味がない人には迷惑になる。
ということは、何かをのめりこむように好きになったことがある人なら誰でも経験上知っていると思う。

 ネットであればまだしも、読んだか読まないか発信者に知られることない。「面白くないな」と思ったら、そう思った時点で読むのを止めても発信者が知ることはない。自由に反応(反応しない)を選べる。
 でもリアルでは、多くの場合「つまらない」「興味がない」と面と向かって言うどころか、態度で露骨に出すことも出来ない。
 だからそういうことを強いられた人の愚痴が、ネットで溢れている。

 勝手に自己開示をしてきて、それを認めて受け入れなければ(反応を返さなければ)美的センスがない(認められないコチラの資質のせい)と考える。
 そんな人間には、当たり障りなくお愛想を言っておくしかない。
 関わらなくても関わらないことで色々言われて面倒くさいことになると想像がつくからだ。
 実際に「構ってくれない人間」はターゲットにされて、「美的センスがないから私のことを理解できない。おもろ」という謎の解釈をされている。

同じ人間のダル着すっぴん死んだ目よりもかわいいロリータ避けてくるのあまりにも意味がわからんくて男おもろい。別に寄ってきてほしくはないのだが、さすがに美的センスが理解できなさすぎるので男側の意見が聞きたい。

(上記増田より/太字は引用者)

「近寄って欲しくない」と言いつつ、何故か他人を必要とする。
「寄ってこなくていいから、理解できない私のためにお前の意見を聞かせろ」(←意見を言うのは「寄ってくる」の定義に入るのか入らないのか)
 何をどうしたら他人にこんな訳がわからない要求ができるのか。
 もうひとつ理解できなさすぎるのは、なぜロリータの装い自体の話ではなく、「他人のウケ」の話ばかりをするのか。近寄って欲しくない人のウケや意見なんて気にする必要ないと思うけど。

 ロリータだろうと何だろうと好きなものを好きに楽しむことは(当たり前だが)本人の自由だ。
 だがそれが理解されないことを、他人の美的センスやロリータのせいにするのはどうかと思う。
 
増田に自由があるように、他人には増田に興味を持たない自由がある。
 
それを認めることが、他人を他人として尊重するということだと思うけどな。

※というド直球の感想とは別に、増田寄りの視点で読むと。

 女性は(特に若いうちは)「近寄られること」「興味を持たれること」がデフォルトになりやすいので、「他人の評価(ウケ)を気にしない」のは難しい。
 増田がロリータの装いをすることで初めて他人からの(特に男から異性としての)関心や評価から脱したように思えて爽快だったと言うのであれば、その気持ち自体は理解はできる(たぶんだけど、増田はそういうことが言いたかったのかなとは思う)
 ただそれを「ロリータが男にとって受け入れがたいファッションだから」という風に考えてしまうと、他者軸で判断しているという意味では↑と同じだ。

 他人には自分に関心を持たない自由がある。
 その前提を認めることで、その反転として「だから私も他人の関心(評価)を気にする必要はない」という価値観を確かなものにできる。
 他人のウケも美的センスも気にせず、自分が価値があると信じるロリータのことだけを考えてそれを発露し続ければ、自然とそれに関心のない人間は近寄ってこなくなると思う。
 他人の評価軸から脱するというのは、こういうことだと自分は思うけどな。

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