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#16.『妻と出会った頃の話をする』 けじそんゲーム実況

このnoteは、1日の中で自分で『決断』して、『実行』して、そこでの気づきから、人への『尊重』が生まれた流れをゲーム実況のように50日間書くことにしました。

「けじそんゲーム」とは、『決断:け』、『実行:じ』、『尊重:そん』の頭文字をとった名前です。

15日目のけじそんゲームは、こちら↓↓


【妻と出会った頃の話をする】


過去の自分は、ツッコミどころ満載なので、その頃の話をすると、ツッコまれそうなので、あまり話をしないようにしている自分がいる。

けど、今日、晩酌をしながら妻と出会った頃の話をした。

またツッコまれるかもなぁ、と思いながら出会った頃の話をすることを『決断』して話をしたのだ。

妻と出会った頃の自分は、よく自炊をしていたという話から、

結婚して一緒に暮らす前、

引越し直前の一人暮らしのアパートの掃除を妻が手伝ってくれたときの話になった。

「すごくキッチン汚かったよね」
「あのときは手伝ったけど、今なら自分でやってって言うな。」

など、他にもいろいろ言われたのだが、やはり予想通りツッコまれた。

そう、当時の自分は、本当に仕事ばかりで、生活に目が向いていなかった。


社会人になって、10年間同じアパートに住んでいたが、自炊はかなりしていたが、1度も換気扇や排水溝の掃除をしたことがなかったのだ。

だから、もうキッチンは油まみれ、ものすごい状態だった。

キッチンだけではなく、洗濯機の糸くずフィルターがなくなって、5年以上そのまま使ったりしていた。

トイレやお風呂の掃除なんかも、適当もいいところぐらい、ほとんどしていなかった。


そんなことをいま思い出したが、そんな生活力のない自分とよく妻は結婚てくれたなぁ、と思う。

今も、家事への適当さは続いているから、よくダメ出しをされる。
まぁ、それはそうだ、あの頃に比べたらずいぶんとやるようにはなったが、ベースでものすごく適当なのだ、ツッコまれて当然だ。


そして、妻は、僕と出会って健康的になったというようなニュアンスを話していたが

妻だけでなく僕も、出会った当時はものすごく不健康だった。
仕事ばかりで、自分の生活を後回しにしてばかりだったから。

もしかしたら、人はそんなものなのかもしれない。
そう思った。

誰かと出会っていったり、年齢を重ねたり、人と生活をしていく中で、生活を大事にしていくのかもしれない。少しずつ健康的に、自分を取り戻していくのかもしれない。


僕は、10年間の一人暮らしで、生きてはいたが、掃除など全然意識はしていなかった。

換気扇の掃除とか、排水溝の掃除とか、そういうのは実家では家族の誰かがやってくれていた。
自分でやることなく、生活できていたのだ。
それに気づかずに、しなくてもいいものだと思い込もうとしていたのだ。

本当だったら、もっと掃除をして綺麗にしていれば、次に入居する人も、もっと気持ちよく使えたかもしれない。

掃除の業者の人が、すごく頑張って綺麗にしてくれたのかもしれない。

自分のことばかり考えて、人のことを考えずにいたことで、多くの人に実は迷惑をかけていたのかもしれない。

いろんな人の助けやサポート、他の誰かが仕事としてやってくれていたことで、自分の生活や、その後につながっていたのかもしれない。

なんだか、いろんな人への感謝が生まれてきた。


「かもしれない」という話ばかりだが、きっと社会はそういう見えない誰かの助けや仕事やサポートで成り立っているのだと思う。

全部を分かることはできないだろう。

けど、みんな自分ができること、自分の役割をやっていることで、成り立っている気がしてきた。


僕と妻が出会った当時は、お互いに未熟だった。
今でももちろん未熟だが、もしどちらかが完璧であったとしたら、一緒にはなってないだろうし、今の自分はないだろう。

お互いに未熟であり、お互いに自分ができること、自分の役割をやっていたことで、今の自分や妻がいる、そんな風に思った。

これまで出会ってきたいろんな人とも、そうなのかもしれない。

そして、いま身近にいる人たちとの関係もそうであるし、これからもきっとそれの繰り返しなんだと思う。


どこかで、もっと完璧にならなければいけい。そんな風に思っていた自分がいたけれど、人は自分のできること、自分の役割をやっていくこと、それの繰り返しなのかもしれないと、そんな風に思った。

どんな人も、それをしている。
誰かと比べる必要は、本当にないのかもしれない、そんな風に思えてきた。

どの人も自分の人生を生きていて、その選択や決断は、それぞれがしていて、どんな選択や決断もありで、どんな人生も尊いのだと思えてきた。

また、なんだか大きく、大雑把に捉えているような気もするが、

今日、過去の自分がイマイチで話をするのが嫌だなぁと思っていたが、話をしてみようと『決断』して、過去の自分の話を妻とするという『実行』をして、妻やこれまで出会った人、家族や、今身近にいる人、直接関わりがないけど間接的に関わってきた人まで、いろんな人に対して感謝や敬意の気持ちが生まれた。

どんな人も尊いのだと、『尊重』の気持ちが生まれたよ。

自分の余裕がなくなると、人を尊重できずに自分ばかり見てしまうことがあるから、なるべく余裕をつくり、人に対して尊重の気持ちを持って生きていきたい、そう思ったよ。




最後までお読みいただき、ありがとうございます。
これからも、いろんな『決断・実行・尊重』したことを書いていこうと思います。

よかったら、また見てみてくださいね🍀


SAKAMO / 坂本岳之

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