#13.『YouTubeを撮る』 けじそんゲーム実況
「けじそんゲーム」とは、『決断:け』・『実行:じ』・『尊重:そん』の頭文字をとって、『決断・実行・尊重ゲーム』の略です。
1日の中で自分で『決断』して、その決断したことを『実行』して、実行するといろんな感情が揺れて、その実行することの大変さが分かったり、気づいたりすることで、人に対して『尊重』の気持ちを持っていくことができるのではと考え、
決断・実行・尊重していくサイクルをゲームのように、本気で遊び、本気で取り組み、その流れをnoteにゲーム実況のように50日間書くことにしました。
今日で13日目。
今日のけじそんゲームは、こちら↓↓
【YouTubeを撮る】
今日は、YouTube撮影を仲間に提案してもらって、動画を撮ることを決め、撮った。
動画を撮ることには、いつも抵抗を持ってしまうのが正直なところだ。
noteなど文章の方が、なぜか少し抵抗が少ない。
書き直したり、推敲することができるからかもしれない。
事前に準備をしていないからかとも思ったが、このnoteも事前に準備はしていない。
準備をして以前YouTubeも投稿していた時期があったが、その時も抵抗が強かった。
動画は編集することはもちろんできるが、言ったことには、感情が伴っていて、それを編集することができないからというのが大きい気がしている。
今日は、動画を撮っているときは、ノリノリで話をしていた。
けど、撮り終わってミーティングを終わってから、一緒に撮ってもらっていた仲間に、ノリノリで話してしまっていたけど、目的に合っていただろうかと、心配になり確認のメッセージを送ってしまったくらいだ。
何の怖さかを考えたが、
見た人にどう思われるかに意識が向いているのだ。
noteや文章も、もちろん見た人にどう思われるかはあるが、
もしかしたら、文章は文字として書かれていて、その文字からの印象になるため、少しだけ間接的に捉えられるのかもしれない。
動画は、直接な印象から、ありかなしか判断されたりすることに、怖さを感じているのが大きい。
と、思ったが、自分は、直接話すこと、対面で話すこと、表情や声を通して人と関わることを仕事として捉えていることが、一番大きいように思う。
これは、漫画を描く人であれば、漫画を出すことに抵抗を感じるのかもしれない。
文章を書くことが仕事だと思っている人であれば、文章を出すことに抵抗を感じるのかもしれない。
そう考えると、何かを文章や絵や漫画、動画、何かのコンテンツとして、何かの形として、外に出すことは、とても自分を表現しているからこそ、とても大変な作業をしているのだと感じた。
今回、YouTubeの動画を撮影すると『決断』して、撮影を『実行』してことで、
何かを形として世に、社会に出している人は、
その出したことに対して、いろんな感想を持たれることを請け負っている、その覚悟を持っていると感じた。どんな仕事も何かしら外に出している部分がある。何かしらの感想をもらう、判断される、いろんなリスクがある行為であり、それを請け負っているのだと思うと、とてもその大変さに対して、『尊重』していきたい、そんな風に感じた。
これから、自分も少しずつ動画も含めて、自分の思いを形にしていきたいと思っている。
それは、どんなに小さくても、自分がやっていることに対して、『尊重』の気持ちを忘れないようしたい。それが、人の仕事に対して尊重していることになる、そう思ったよ。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
これからも、いろんな『決断・実行・尊重』したことを書いていこうと思います。
よかったら、また見てみてくださいね🍀
SAKAMO / 坂本岳之
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