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G1カレッジの誤解 および、 俺がくぼなおを愛する理由

こんにちは。運営・参加者のみなさん、G1カレッジお疲れさまでした。

G1カレッジとは

こういうイベントで、僕は今年初めて参加しました。

いろいろ波乱もありつつけっこう感動したので、備忘録として考えたことを記します。僕にしか書けない内容にしたつもりです。
かなり長いので、めんどくさいなあと思った方は3,6,7だけお読みいただければ幸いです。

始まる前にいちおう宣伝
https://twitter.com/tosaka_dts/
https://www.instagram.com/tosaka_dts/
noteで世界一周の体験記書いてるのでそっちも読んで~

以下本編

目次

1. 本稿の目的
2. G1カレッジの欺瞞
3. なぜ「創造的」破壊なのか
4. 全体会で起きたことの解釈
5. 品のある大人として
6. 僕の感想
7. 僕がくぼなおを愛する理由

1. 本稿の目的

本稿の目的は、みなさんとのコミュニケーションの中で豊かな体験を得ることです。各種SNSはオープンですし、匿名の質問箱も用意しますので、ぜひ積極的に意見・感想をください。
https://peing.net/ja/tosaka_dts
また、もともと僕は適当なノリで参加しており、振り返り記事も書く予定はありませんでした。しかしいざ参加してみると思った以上に熱が感じられ、特にG1カレッジ代表のくぼなおのスピーチにエモくなったので、筆を執る次第となりました。そのため、本稿はくぼなおに向けた感謝・賛辞でもあります。

2. G1カレッジの欺瞞

2~5項では、G1カレッジというイベントに対して参加者の多くがしていたであろう誤解、あるいはG1カレッジが僕たちに対してしていたであろう誤解を僕なりに解いてみようと思います。
G1カレッジが掲げる言葉はどれも尤もらしいのですが、その実さまざまな欺瞞を孕んでいたように思います。主に2点。

◯批判よりも提案を
これについては運営の南藤さんが過去に素晴らしい文章を書いています。そちらをご参照ください。
http://southwisteria.hateblo.jp/entry/2017/08/13/122157
今回もやはり批判という言葉は「難癖」の意味で運用されていたように思います。
僕としては結局のところ、批判と提案は全く独立とは言わないまでも質が異なるものだから、わけて考えた方が良いと思っています。
少なくとも、責任の所在は異なるでしょう。主語を批判者に完結させて、提案の責任まで負わせるのはただただ非合理的です。
相互に批判を受容しつつ、提案はステークホルダーみんなでやればいいなと思いました。

◯多様性
G1カレッジに集まった250人を多様と呼ぶことはできないでしょう。
まずほとんど日本人で、大学に行っている時点で日本人の中でも半分程度しか当てはまらない属性で、さらに選考に通っている時点でなんらかの意識高い実績がある人たちということになります。
普段会わない人と会うため、参加者個々人としては付き合う人の多様性が上がったように感じるという、いわば錯覚にすぎません。
ですが、だからダメと言っているわけではありません。多様性という欺瞞でなんとなくいい感じに修飾しなくてもいいじゃん、と思っています。
あの場でみんなが感じたのはむしろ、考え方の奇妙な一致ではないでしょうか。他分野の人と話したはずなのに、自身の根本的な価値観が強化されている心地よさのようなものこそ本質であったように思います。その同一性に注目し、暴走しないよう丁寧に運用しつつ明日の糧とするのが、妥当な態度ではないかなと感じました。
ちなみに個人的には、いろんな分野をやってくれてる人がいるから、自分は大体のことについて手を抜いていいんだなと考えています。

3. なぜ創造的破壊なのか

繰り返し用いられた創造的破壊という言葉ですが、人によって使い方が違ったように思います。というか、僕もこの文章を書きながら調べて初めて知りました。あの場で創造的破壊の元の意味を知りつつ発言していた人は多くないのではないでしょうか。
創造的破壊とは、経済学者シュンペーターが提示した理論で、資本主義における経済の非連続的な成長プロセスについて説明しています。
http://www.tohoku-gakuin.ac.jp/research/journal/bk2016/pdf/no10_02.pdf
G1カレッジでは厳密にこのような意味で創造的破壊という言葉が使われていたわけではありません。言葉を聞いた際の直感的な意味合いをそのままに用いていたように思います。

それでも、この言葉が用いられたことに意味はあったと僕は考えています。
まず、なぜただの破壊ではなく創造的破壊なのか。
これはそもそも、観念における破壊とはなにかを考えなければいけません。例えば価値観や体制が破壊されるといったとき、それは結局何がなされているのか。
破壊が、元々の観念を分解する行為だと考えた時、おそらくそれは相対化だということになります。批判、否定ではありません。言い換えると、破壊とはNoではなくWhyだということになります。Noは「これが壊れるべきだ」に過ぎず、「(そもそも)なぜこれなのか(他に無数の可能性があるのに?)」こそが観念を壊す、分解することになります。
これは簡単なようで難しいです。というのも、野放図な破壊≒相対化を訓練されていない人間が行うとあっという間にニヒリズムに陥ることになります。
ゆえに、「創造的」破壊という制約が求められます。
では創造的とは?
G1の様々な文章を読んでみて、結局ここがふわふわしていたのだな、と感じました。日本、世界を良くするという言葉は度々出てきますが、この考え方こそ破壊の対象であるように思います。
ゆえに、おそらくみんなこれを達成した感じはしていないと思います。
ではどうすればよかったのか?ということで以下に私見を述べます。
G1カレッジの掲げる行動指針のうち、2つ目はとても好きです。
「思想から行動へ」
すなわち、行動の前に思想があり、そのうえで思想に留まらず行動を起こそうという指針です。
G1カレッジの場において僕たちは行動、それも過去のことを話す時間が多くなってしまいがちです。しかし、むしろ思想をぶつけあいたい。そうでなければならない。
というのも、思想なき行動は破壊の対象になったときに太刀打ちできないからです。
もしかしたら、なんとなく思想のある部分は一致していそうだからそれを起点に行動を考えよう、という発想であったかもしれません。しかし、公約数は全く同じ数字どうしでない限り、どちらよりも小さくなってしまいます。合意できる部分で妥協することは創造的ではないでしょう。
お互いの内面を破壊し合い、再構築の中で思想的強度を上げることこそが、創造的破壊と言えるのではないでしょうか。
それを、250名とはいかないまでもG1で特別意気投合した数名と行えたら、これ以上のことはないと思います。

4. 全体会で起きたことの解釈

全体会では、250名に対する講義形式をとった結果、質問を投稿できるプラットフォーム上でその形式に対する不満が投稿されました。
それは批判でなく提案を出してほしい登壇者側の希望に沿わない形となり、翌年以降の実施が危ぶまれるまでになりました。
これについては2つの補足が必要です。
ひとつは、形式の提案も様々に為されていたということ。
もうひとつは、不満の投稿数・投票数は全体の20%にも満たなかったということ。
思い返せば典型的なノイジーマジョリティによるコミュニティの混乱だったように思います。
結局、最初の段階で対話が足りなかっただけで、円滑に登壇者と学生のコミュニケーションが取れていれば、双方にとって納得のいく着地点があったのではないでしょうか。
ゆえに次回には改善されていることであり、これはG1カレッジそのものをやめる理由にはならないと考えます。

さて、それとは独立に、全体会の内容や雰囲気は個人的にはあまり好きではありません。
なんというか、エラい大人が若者に話すという上下関係のある構図であったように思います。
要望としては、上下関係などないといった空気を運営サイドで作って欲しいです。
もちろん参加者が個人として登壇者を尊敬の対象にするのは良いことですが、G1カレッジというイベントとしては対等に近い形で扱うべきだと思います。
というのも、そもそも人間どうしは対等ですし、仮に実績が重要であったとしても過去に何をやってきたかというのはあの場では関係ありません。
我々は未来をどうにかしようという集団であり、未来に対するコミットという意味では現時点でまだ全員ゼロなのだから。
実績も能力も関係ない仲間どうしでいようよ、と思ってしまいます。

5. 品のある大人として

これはイベントが終わったあとに気づいたことですが、僕たちはあの場でもっと品のある大人としてふるまうべきだったと思います。
僕たちは大学生として集められましたが、それは若い世代の大人として集められたのであって、発達の終わった子どもとして集められたわけではないでしょう。
前後夜祭ではもちろん大騒ぎすべきですが、会議室に大人どうしとして集まっている場では、それにふさわしいふるまいが求められるのでは。
それは巷のマナー云々ではなく、敢えていうならセンスの問題だと思います。
センスがいいと思える行動を取りましょう。自ずと、誰にとっても心地よい進行ができたはずです。
余談ですが、行動指針3つ目の「リーダーとしての自覚を」も僕はかなり好きです。
リーダーとは何か、それは難しいからわからないけれど、少なくとも僕たちひとりひとりが自分の人生におけるリーダーです。リーダーにはセンスある立ち居振る舞いをしてほしいですね。自覚を持って生きましょう。

6. 僕の感想

あれこれ言いつつめちゃくちゃ楽しかったです。短期的には、同じ金でもっとオモロい忘年会行けたやんけーと思いますが、これから僕らがお互いにレバレッジかけあってこの経験を素晴らしいものにしていきましょう。

あと生意気で恐縮ですが、みんなにもっと学問の楽しさ、有用性も感じてほしいと思いました。学問自体で得られる知識や考え方は内的体験を豊かにします。そこに至高性を見出せる僕のような人間はそれだけでハッピー最高という感じだし、共感できる人は友達になりましょう。そして、とはいえ実利が大事でしょと思う方も、学問というプロセスの中で厳密なロジカルシンキングやアナロジカルな思考法を獲得でき、ビジネス上の差別化に有利に働くのでおすすめです。場合によっては資格までついてきます。

今回の個人的なハイライトは、文化ワークショップで発表した絵です。あれは見ただけでは意味不明かと思いますが、理論にはそれなりの厚みがあるのです。

まずあの場で参加者たちは、G1カレッジが文化を軽視しているような感覚をなんとなく受けていました。そこでファシリテーターの方が、紙の片方には今日感じた抑圧的な観念を、その裏にはカウンターとしての自由な観念を言葉で書こう、と提案してくださいました。まあそこにたどり着くまでにもいろいろとありました。
この提案を受けて参加者は6チームに分かれます。僕らのチームでは、それぞれに想いを話し合うところから始まりました。僕個人としては、特に強い想いが2つありました。まず、自由を是としたいなら1枚だけ自由と書いた紙を用意すれば良い。2時間半のワークショップの結論がリベラル万歳ではつまらない。そう思いました。もうひとつは、そもそも文化が生み出すものは何かのカウンターだけではないだろう、ということです。むしろ、無から有を作り出せるのが文化の良いところだろうと考えました。
それらを伝えたうえで、チームの中でも非言語的なものの重要性といった話で盛り上がり、表現したいものが徐々に固まってきました。
僕ははじめ、では枯れた花を描こう、と提案しました。無から有を生み出す、非知の領域にある美を表現したかったのです(わかる人にはわかるかと思いますが僕はバタイユが好きです。)時間が少なく、対案を出すのも難しそうだったので、それを描くことになりました。
しかし、いざ描く段になって、とさかが描いてと言われると、違和感を感じました。僕の知らない美しさを、描こうとして描いたら、ただ僕の中にある枯れた花の像が歪んで現れるだけではないか。そう思い、チームみんなで描くことを提案しました。例えば、花びらを1枚ずつ描くような。ですが、なかなか描く雰囲気がつくれません。僕はコムニカチオと混沌を好んだのですが、チームとしてはなんらかの調和も求めていました。
そこで、折衷案を思いつきました。チームの3人で、目をつむって3本ずつ曲線を描き、そのあとにそれを枯れた花に寄せていくというものです。その提案にみんな賛同してくれて、実際に曲線を描き始めました。
お互いの手がわからないまま淡々と描き、せーので目を開けてみると、そこにあの作品がありました。僕らの口からは歎声が漏れました。何も示し合わせていないのに、なぜか、素晴らしく整った作品ができていたのです。
手を加えては壊れてしまう絶妙なバランスで、とても良い作品ができました。それが何かを断言することはできないけど、なんだか味があるような。まさに、無から生み出した、初めて出会う美しさです。

こういった背景で、あの作品はみなさんの前に送り出されました。いつか僕が描く絵本の中に登場するかもしれませんのでぜひ探してみてくださいね。

以下、一人称が俺になります。

7. 俺がくぼなおを愛する理由

くぼなおはもちろんみんなに愛されており、俺も友達だいたい愛しちゃうので、これまではっきりとそれを言葉にする機会がありませんでした。このたび、G1カレッジ閉会の際のくぼなおの挨拶を聴いて、これは愛をしたためねば!と思った次第です。

最初に、あの挨拶の凄みについて述べます。
まず内容と表現について、かなり的を射ていました。あの場で、様々な感情を抱いていただろうにあの水準のことを言えるのはめちゃかっこいいなと思います。美しい言葉に帰結させてしまうことへの違和感と、世界を変えるという意識に達することの困難を、悔しさという個人的な感情に絡めて伝えていたのが印象的で、実はとても繊細なバランスであの腹落ちするスピーチが成立していたのではないかと思います。
そして何よりも、声と動きが良い。数百人規模のホールの中で、彼が主役となるような発声と空間の使い方を自然と心得ていたように思います。涙を抑えつつ声を出すシーンなどは鳥肌が立ちました。しかも、彼の中にそのような効果を与えようという計算はなく、ただ思ったことを素直に伝えようとしていました。

ということでめちゃくちゃ凄いのですが、ではその上で俺がくぼなおに抱いている感情とはなにか。
言葉にしがたいのですが、敢えて言えば、俺のボスはこいつしかいないな、ということです。
トップクラスのリーダーは各世代に何人かずついて、各々凄まじい魅力を持っていいます。俺もそこそこ会ってきましたが、そういう人のもとで何かをやりたいという気持ちになったことは今までありませんでした。友達でいれればいいや、なんかあったら助けてもらお、くらいの気持ちです。
それがくぼなおに対しては、自然と、俺のボスになってくれと思うようになりました。特にG1カレッジを通してその想いが言語化されました。

彼が他のリーダーと違う点は、主人公でいさせてくれること。だから、くぼなおのチームに俺を入れてほしいのではなく、俺のボスがくぼなおなのです。それは単純に彼がフラットな関係性を築くからというだけではないし、弱みを素直に見せられるからでもありません。くぼなおは、それらを兼ね備えて高いレベルでリーダーシップを発揮しつつ、彼自身がめちゃくちゃ良いお客さんとして俺たちの人生というストーリーを楽しんでくれるのです。
これらは突き詰めていくと両立し得ないはずなのですが、くぼなおはなぜかそこにたどり着いています。俺みたいなタイプを味方にできる時点で最強なので、みんなくぼなおにベットしましょう。

以上、俺がくぼなおを愛する理由でした。

最後に、もっかい宣伝させてください!
https://twitter.com/tosaka_dts/
https://www.instagram.com/tosaka_dts/
https://peing.net/ja/tosaka_dts

僕の今後について:

絵本出します!あと有名になりたいのでなんか機会あったら教えてください!めちゃくちゃtalentなので!

それではみなさん、ありがとうございました。


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