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「香川1区」の大島監督をゲストに2月22日「新メディア酔談」配信!

お待たせしました!2月1日配信予定で進めていた「新メディア酔談」はゲストにお招きしていた大島新監督から前日に体調不良のご連絡をいただき延期にしました。実は翌日には体調が戻ったとのご連絡があり、リモートでの配信も検討したのですが、ここは大事をとって延期することにしたのです。

22日ならコロナも少しは落ち着いているんじゃないか、と期待もしつつ、当日をじっくり待ちたいと思います。楽しみにしていたみなさんも、さらに楽しみにお待ちください。

ちなみに大島監督をお招きすることになった経緯はこちらをお読みください。

「フィクションと真実のはざま」に込めた意図

ところで、今回の配信には「フィクションと真実のはざま」というタイトルをつけています。ドキュメンタリーの監督をお呼びしての配信につけたタイトルとしては結構奥深いです。考えようによっては失礼かもしれない。でも大島さんならこの議論も受けて立ってくれるだろうなと、このタイトルにしました。
私の好きなドキュメンタリー映画で「さよならテレビ」という作品があります。中京地区の東海テレビの、圡方宏史監督の映画。テレビの裏をさらけ出すような作品で、当のテレビ業界で物議を醸しました。その最後の方で、ある人が圡方監督に「ドキュメンタリーって真実なんですか?」と言うんです。ドキッとします。
ドキュメンタリーはフィクションではない。だったら真実なのだろうけど、そう言えるの?と、問いかけています。そして映画は、「さよならテレビ」制作のプロセスに潜む、真実と言い難い場面をみずからバラしてしまいます。ある人にいきなり話しかけるシーンで、実は事前に相談済みでピンマイクを身につけてもらっていた、とか。「いきなり話しかけたふり」をして撮っていたわけですね。
テレビ局の人は、「いやそれくらいはアリでしょう」と言いそうです。でも視聴者はどう受け取るんでしょう。
ドキュメンタリーはそんなウソとホントのギリギリの境目で作られているかもしれない。それはいいの?ダメなの?いろんな議論がふくらみそう。
あるいは、ドキュメンタリーは客観なのか主観なのか。客観であらねばならない、というのが最初の答えだと思います。でも客観でいられるのか。大島新という個人の目を通して描かれる時、個人の主観というフィルターを絶対通っている。カメラマンや編集者などチーム全員の主観が入るはず。
真実がたった一つだとしたら、ドキュメンタリーは真実なのか?「香川1区」が2021年のこの選挙区を描く真実だとしても、それは小川淳也陣営を軸に大島新監督のフィルターを通して描いた真実であって、別の監督が平井陣営を軸に描くと、また別の真実が出現するのかもしれない。
「ミステリという勿れ」というドラマで菅田将暉演じる久能整君がいみじくも「真実は人の数だけあるんですよ」と言うのですが、そうなのかもしれない。そうすると私たちはドキュメンタリーをどう見ればいいのでしょうか。
そんな話もしてみたいですね。でもいささか抽象論すぎるかな。

CLPやドラマ「新聞記者」の話も

「フィクションと真実のはざま」というテーマにしよう、と思っていたら最近起こったことも関係するなと気づきました。
Choose Life Project(以下CLP)の騒動を知っている人は多いと思います。2020年にメディア酔談をやっていた時、見ている方から教わったのがCLPでした。テレビ局で報道に携わっていた人たちがテレビでは深められない議論をする場として立ち上げた、YouTubeをベースにしたプロジェクト。大変盛り上がっていたので何か連携できたらと思い、代表の佐治さんと7月ごろにお会いしました。真面目でピュアな方でしたよ。
だからCLPに立憲民主党からお金が出ていたと知った時は驚きましたし、がっかりもしました。
私は絶対ダメだと思いますよ。少なくとも立憲民主党からお金が出ていたことをはっきり言うべきでした。
ただ、「なぜいけないのか」と言う人もいます。そう言われてしまうと、なぜダメかどう説明すればいいのかわからない。「彼らがやっていたことは意義があるのになぜお金をもらうとダメなのか」そう言う人にどう言えばいいのでしょう。

ドラマ「新聞記者」についても難しいですね。私は徹底的にダメだと思っています。それをYahoo!ニュースに書きました。かなり厳しくダメ出ししています。

私が書くまでもなく、遺族の承諾を得ていないこと、事実に反する場面が多いことが文春で記事になり、いろんな人から批判されています。
でもこれについても「森友事件について世の中に改めて知らしめる意義があるからいいのだ」と言っている人も多いですね。私はもっぱら、事実と違うし事実かどうかわかっていないことを描くのはいけない、という主張です。もちろん物語を面白くする脚色はありだと思います。でも「土地の値下げは首相の指示」とするシーンがありますが、実際の森友事件ではそれは誰も確認できていません。「自殺した職員に理財局長が直接顔を合わせて改ざん指示を出した」と描かれていますが、実際の赤城手記を読むと理財局長は来なかったようです。まだ現在進行中の案件だからこそ、こうしたことが誤った形で伝わるのは良くないと私は考えています。案の定、「これは政権を悪者にしたい人のファンタジーだ」との批判がネットで飛び交っています。
ただこの件も考え始めると迷路に入りかねません。「鎌倉殿の13人」を見た歴史学者が「頼朝はあのように優柔不断な人物ではなかった」と言ったら「まあ、ドラマですからいいじゃないですか」と私も言うでしょう。映像作品は事実にどこまで忠実であるべきなのでしょう。これも一つの「フィクションと真実のはざま」の議論なのだと思います。

「花束とナイフ」を手にトークする?

メディア酔談のレギュラーメンバー、熊田安伸氏はスローニュースの所属ですが、そのスローニュースにこんな記事が載っています。

AERAに載った大島監督の記事の転載です。その中で、大島柳取材対象の迫り方として「花束とナイフ」の話が出てきます。

その人をリスペクトしつつ、どこかにチクリと刺す部分を入れる。これを大島は「花束とナイフ」と言う。

ドキュメンタリー監督、プロデューサー・大島新

なるほどなあと思いました。これはライブ配信にゲストをお招きする際も一緒かなと。「なぜ君」「香川1区」が好きだからと言って、花束ばかり捧げていてはトークとしていまひとつかもしれません。ナイフの方も用意しなきゃ。まあ、上に書いたようなことから鋭く切り込む、ということでしょうね。でも私が花束で、ナイフは熊田さんに任せちゃおうかなー。

ということで、2月22日20時から、こちらのURLで配信します。みなさまぜひ、ご参加ください!チャットもどうぞ。

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