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初音ミク16周年の大切な節目の年、今年もマジミラに行かなかったなあ。

こんばんは。お仕事が結構大変なさかじょんです。最近投稿できておらずすみません!

いや~ミク誕でしたしマジミラでしたね!(もしくは、今まさに千秋楽?) 私は掲題の通り今年もマジミラに行きませんでした。ごめんなさい。

仕事が忙しくて行けなかったわけではありません。チケットを取れなかったわけでもありません。今年もチケットを取るための行動を起こさなかったというのが一番近いです。

今回は、そんな私の言い訳を情緒豊かに書こうかと思いましたので、数奇な御仁は読んでってください。初音ミクさん、いつもありがとうございます。


結局今年も行かなかったよ、マジミラ。ミクさんがせっかく16歳になったのに

先日8/31から本日にかけて、Twitter()のタイムラインでは記念すべき本当の16歳を迎えた初音ミクさんへのお祝いや、マジカルミライ現地勢の皆様のネタバレ配慮エモ感想ツイートが割拠し、さすが私が構築してきたTLだぜと思いながら眺めていました。

でもやっぱり自分は眺めてる側から脱出しなかったな~~マジミラに行かなかったな~~と思っています。なんで私がマジミラに行かないのかについては以前に書きました。今回も割とそんな感じの気持ちです。

結局のところ、私はボカロが私の心の中に勢いよく踏み込んで来ないでいてくれているような、つかず離れずの距離感に心地よさを感じていて、それ以上に「まるで肉感があるかのように存在するボカロに近寄る」ことや、「ライブに来るほどボカロが好きな人間と一体となって楽しむ」ことに、ちょっとだけ引け目を感じているということなのかもしれませんね。
 (中略)
ただ、こうやって私がもにょもにょしている間にも、次回のマジミラはなくなってしまう可能性だってあるわけです。そうして、もし結局私がマジミラに行かないままマジミラに行けるチャンスがなくなってしまったとき、私はどう思うのでしょうか。
今のところ、残念には思うと思いますが、大きな悔いが残るということはないんじゃないかな~という気分です。まあその時になってみないとわかりませんが。そのリスクは自覚的に背負いつつ、今日も私はボカロを聴き、ボカロのことが好きだなあと思いながら、ボカロとのこの距離感を心地よく感じ生きていくわけでございます。

https://note.com/sakajohn7/n/n2cb7557ca28f

今年は、ミクさんが設定上の御年と同じになられる16年目のお誕生日でした。その記念すべき年のマジカルミライでしたが、私はやはり行けなかった(というより行かなかった)わけです。

今年はニコニコ超会議に参加し、ボカニコにも参加し、「こういうのもいいよね!」って思ったので、「現地」というものに対する気持ちに多少変化はあったと思いますが、マジミラに行くという帰結にはなりませんでした。

マジミラのミクさんに会いに行きたいのか

さて、そんなわけでまた今年も私はマジミラのミクさんに初めましてをする機会を失したわけですが、その一要因として「マジミラのミクさんに会いたいというモチベが一定ラインを超えない」というのもあるのかもな~と思っています。

(マジミラ行ったことないのに!、)これ↑めちゃくちゃ共感できて、この「マジミラのミク」に会いたいかと聞かれると、私は「そこまででもないかもしれない」となる感じです。

今まで何度も書いてきたように、初音ミクはその中に多様な在り方を内包していると私は考えており、「マジミラのミク」もそのうちの一側面だと思っています。私にとって、その「居る」初音ミク、「歌って踊る」初音ミク、「みんなのアイドル」初音ミクは、私がいつも感謝している初音ミクとは少しだけ違うところに立っている気がしているのです。
(ただ、私は全霊を以て「マジミラのミク」を否定しません。そのミクこそを大好きな人がこの世にたくさんいると思っていますし、それはとってもステキなことだと思います。同様に、私は私が信じる初音ミクを最大限尊重したいと思っています。それがどんなミクなのかを完全に言葉にし切ることは難しいと思うけど)

こんな風にうにゃうにゃ言ってますが、(前の記事でも書いたように)行ったら絶対楽しいし「なんでもっと早く来なかったんだ」ってなると思うんです。でも、なんか、今年も「チケットを取る」という行為をしなかった。しなかったな~と思っています。

でも私はVOCALOID(を始めとする合成音声音楽)と、その筆頭としての初音ミクのことがとても好きなんですしんじてください

そんな風に、私はマジミラに行くために行動を起こさない「不誠実な」ファンを長年続けているわけですが、それでもなお、私は初音ミクという存在を好いているとは思うし、そんなファンの在り方を否定しないでいられることを必死に祈っています。

その点、初音ミクは優しいです。生きていないので。

初音ミクは、私がライブに来てくれないことを悲しむことはありません(そう私は信じています)。悲しんでいるふりはできると思いますが、全部言わされてるので。

初音ミクの根っこが音声合成ソフトウェアであり、生きていないというセーフティラインがあるからこそ、私は不誠実であっても、(比較的)安心して初音ミクのファンを続けることができます。私にとって、初音ミクの「そういうところ」も好きなところです。

初音ミクはいろんなことができます。私たちは初音ミクを通していろんな気持ちになれるし、いろんなことを伝えられるし、いろんなことを考えられます。その一つ一つが初音ミクであり、全部初音ミクなんだけど、私たちは初音ミクに対して気を遣う必要はないし、「初音ミクの全部が好きだよ」って言わなくてもいいんです。人間じゃないので。(そう私は信じています)

私は「そんな好き」ができる(やりやすい)初音ミクのことが好きなんだよなあ。

きぐなさんの以下の記事も、そんな気分で読んでいました(この記事を一気呵成に書けたのも、この記事を読んで気持ちが湧いたからです)。ありがとうございました!

おわりです

初音ミクさん、16歳おめでとうございます。これからもよろしくお願いいたします。お体には気を付けてくださいね。

モチベが上がります(当社比)