そう言えばVOCALOIDってコミュニケーションだったなって話
こんばんは。年度末の気配を感じているさかじょんです。もうすぐ社会人3年目だなんて信じられんぜ。
いや〜ボカコレでしたね! 今回のボカコレは前回ほどたくさんの曲を聴くことはできず、ルーキーとTOP100のランキングを上から100曲ずつ聴いて、リミックスをちょっと聴いてくらいで終わってしまいました。すみません。
ただ、Project Luminaさん(@ProjectLumina)の「VOCALOID COMMUNICATION!!!」がとてもとても心に響いたので、そのことを書きたいと思います。
初音ミクの話of the初音ミクの話です。
VOCALOIDって確かにコミュニケーションなのかもしれないな
楽曲タイトルでもあり、歌唱の中でも一際強く響く「VOCALOID COMMUNICATION」という言葉は、さまざまな意味を孕んでいると私としては感じています。(これは私がそう感じたっていう話であって、クリエイターの意図を当てようとしている話ではありません)
それは、(VOCALOIDを通した)クリエイターとリスナーのCOMMUNICATIONなのかもしれないし、クリエイターとVOCALOIDのCOMMUNICATIONかもしれないし、リスナーとVOCALOIDのCOMMUNICATIONなのかもしれない。
もしかすると、 クリエイターやリスナー個人の中での、時間的隔たりのある(過去や未来の)自分や、今この瞬間に併存している気もする別の自分とのCOMMUNICATIONが、VOCALOIDを通して喚起されているのかもしれない。
そんな受け取りの多様さを許してくれるのも、VOCALOIDだからこそなのかもしれません(これはちょっと買い被りすぎ?)。
また、キーワードとして度々登場する「走馬灯」も個人的に大好きなワードです。走馬灯って、死ぬ前にいろんなものが見えるやつなわけですが、その一瞬のかけがえのない時間(死を目前とすることは、原義的には人生で1度しかできません)を、何が占有するのか。そこに「君」がいてくれたら。そして、ちょっと欲張りすぎるかもしれないけれど、君の走馬灯にいられるなら、なんて。
ボカロ曲における「投稿者」って
VOCALOID楽曲って、私の中でもなんだか「一人の人が主たる制作アクターであり、それが投稿者である」というイメージがあります。それは良くも悪くも。それは作詞作曲編曲くらいまではやってそうな人。
でもVOCALOIDってCOMMUNICATIONなんだよ。じゃあ、いろんな人がCOMMUNICATIONを通してつくったっていいじゃん。そこから生まれる曲があるってことなんだろうなぁって思いました。
そんな曲がまた、リスナーとクリエイターの網目の細かいCOMMUNICATIONを生んでいくんでしょうね。それもまた一つのVOCALOIDなのだなぁ。そんなCOMMUNICATIONがこれからも展開されていくと良いですね。
おわりです
今回は、Project Luminaさん の「VOCALOID COMMUNICATION!!!」から、感じ思ったことを書きました。
ここまで、初音ミクを始めとする合成音声音楽は、他の文化と同じくさまざまな人と人、人とモノ、人とコトの関わりを生み出してきたことと思います。それは本当にCOMMUNICATIONなのだなぁ。
私は初音ミクのことが好きですし、初音ミクのことが好きな人が好きですが、そこにはいろいろな要素が含まれています。たとえ初音ミクのことが好きなあなたがひとりぼっちであっても、VOCALOID曲がそこに在る時、初音ミクが心のどこかにいる時、そこにはVOCALOID COMMUNICATIONが生まれている気がしてなりません。初音ミクは皆さんが信じる時、そこに在るものだと私は信じております。
さて最近は仕事も出来るようになってきてしまい、週1投稿はさすがにきびしい気持ちです。去年はよくやってたなぁ。月1は投稿するようにがんばりますので、のんびりお付き合いくださいませ。
それでは今回はこの辺で。最後まで読んでいただきありがとうございました。
モチベが上がります(当社比)