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痛車天国に初参加してわかった、5つの事。

さかもちです。NA8Cの戌亥とこ仕様で参加していた者です。恐縮です。

先日行われた「痛車天国2022 RETURNS」に関わった皆様、お疲れさまでした。
まさか自分が出展側で参加するとは。夢にも思いませんでした。
本当に楽しませていただきました。

思い返せば、イベントの見学や施工の立ち合い、車両デザインの手伝いやら箱ステの制作やらでここ1年くらい痛車に関わることが本当に増えていました。(これは友人の策略によるものなのですが) 

そうして下地が徐々に固められ、痛天を機に俺も貼っちゃうか!と舵を切った結果、あんな楽しい1日を過ごせたのかなと思うばかりです。

さて、生まれて初めての出展。だいたい5つの事がわかりました。今日はそれを話そうかなと。

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1.直前準備は身を滅ぼす事

今回私は「FOCUS」という地元の車仲間で作ったグループで参加しました。発起人は自分。私は人よりはグラフィックデザインがちょっとできるという自負があるので、痛車のデザインや箱ステの制作、スペックシートの作成なんかをまぁまぁ手掛けることになりました。

自分のやりたいことができたという点ではとっても満足しているのですが、なにせ年度末。多忙な仕事の合間に別の「仕事」をねじ込んでいるわけですから、ここ1か月は目の回るような忙しさでした。

結局箱ステの制作はイベントの前日に行ったのですが、ここであろうことか愛用のプリンター、PX-105が故障。最終的にはどうにか完成までこぎつけましたが、あの時でた冷や汗の量は計り知れません。

イベント前日は、荷物をまとめ、ゆるゆると洗車をするくらいにとどめておくのがベストなのだと気づかされました。

2.何にせよ見てもらうことは大切という事

初出展な訳ですから、「これでいいのか?」みたいな気持ちが開場直前までありました。もし見向きもされなかったらどうしよう、的な。その為に何ができるか考えることも多くありました。

こういう過程はかなり大切で、知らない誰かの為の事を考えて車を作り、見せ方を考えることで、自分の痛車に対する解像度も上がっていくのだと気づかされます。

「車のカスタムは自己満足」とはよく言ったものですが、やっぱり人に見てもらって、評価してもらうことを抜きに話を進めていたら、痛車の世界はもっと細々としたものになっていたでしょう。

結果として、人にはたくさん見てもらえましたし、写真持ってもらえましたし、何よりずっと考えてきた自分の車いじりを評価してもらえました。この時の満足感は他には代えがたいものです。

御託はいいからやってみる」というのが、結局のところ理想への一番の近道なのかもしれないと思いました。

3.チームとしてまぁまぁ頑張ってた事

我々FOCUSは全員が痛車イベントどころか置きイベの参加も初めてでした。チームとしてのまとまりもぼんやりとしていて、「FOCUSって何?」と聞かれても「さぁ?」としか答えられないのがリアルなところです。始まる前は「みんなレベル高かったら俺ら浮いちゃうね」「この仕様で大丈夫か?」と口をそろえていたように思います。

ところがギャラリーにはたくさん見られる。写真も撮られる。話しかけてもらえる。誉めてもらえる。これはちょっと驚きでした。何より「FOCUS」というまとまりを、いろいろな人に認めてもらえました。

今まで撒いてきた種が少し芽を出したのかなと思った瞬間でした。

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4.だいたいみんな優しかった事

出展側として参加することのメリットの一つに、「痛車を介して交流できる」というのがありました。「お互いが痛車乗りである」という認識が横のつながりを生むような、そんな感覚。

初対面の人でも話しかければだいたい皆優しく応えてくれて、この界隈の温かさを感じました。

痛車乗りって、こう、「ちょっとキツいこだわりを持つオタク」か、「見た目とノリが怖い兄ちゃん」っていうイメージがなかなか払拭できないと思うのですが、そんなことないです。だいたいみんなフレンドリーです。

5.見えなかった痛車の世界があった事

大体自分たちが見に行き、「すごい」と感じた痛車は、「改造車としてまずカッコいいかどうか」が前提条件にあります。自分には漠然と「貼らなくてもカッコいい痛車=良い痛車」という認識がありました。twitterで評価される痛車が概ねそんな感じだから、というのもあります。

しかし会場の中でお客さんに好評だった痛車は必ずしもそうではありませんでした。自分たちが知っている痛車の世界というのが、まだまだ小さい世界であったことに気付かされた瞬間でした。twitterウケする痛車と世間一般でウケる痛車とのズレとでも言いましょうか。

友人の「俺らが求めているのは行列のできるG系のラーメンだけど、世間で求められるのは〇高屋のラーメン」というのがずいぶん的を得ているように感じました。

自分たちが思っている痛車の世界がいかに狭いものだったか。井の中の蛙の気持ちでした。

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総括として、痛車にしてよかったと心から思えました。色々な苦労が裏にはありましたが、何も心残りなく帰路につくことができました。

本当にありがとうございました。

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