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「忘れはしない、忘れたい3年間」


#部活の思い出


中学3年間、陸上競技部に所属していた。

小学生の頃なんとなく本気を出して走った50メートル。

たった50メートルが私の、その後の私を、変えてしまったのかもしれない。


小学生ながらに走ることへ目覚めたことをキッカケに、9年続けたクラシックバレエを辞めて陸上競技部への入部を心に決めた中学の入学当初。
マンガでの部活のイメージに心を踊らせて入部届を手に部活見学会へ参加した。

私の中学は主に2つの小学校からの合併で1学年ができている。
どんな人間でも仲良くなれる、悪意のある人間なんていない。
幼すぎる当時の私はそんなふうに思っていた。
当たり前のように隣の小学校からの入部者とも友人になり、楽しい部活動での3年間を想像し、楽しい日々を期待していた。

その時まではすぐだった。
隣の小学校からの入部者を中心に部活内で私のことを無視しだした。
正直、心の底から戸惑った。困惑。疑問。
なぜ?

意味がわからなかった。
昨日まで楽しく話していた。笑って前日のテレビの話、好きな人の話、明日の授業や部活の話を、たわいのない話をしていた。

たかが無視。
されど、小学校から中学校へ上がりたての、幼稚な私には到底理解できない出来事だった。

主犯格の子とは100mはほぼ同じタイム、最初は私の方が少し早いくらいだった。1年生でリレーのチームに抜擢されたのは、私と主犯格のその子だった。
簡単なライバル心からくる疎ましさ、違う小学校出身という異物感、または別の理由、キッカケは今となっては分からない。

「楽しい部活動の時間」は入部から半年も経たないうちに、気づかぬうちに消えていた。非常に悲しい、耐えがたい、けれどどうしようもない、そんな感覚だった。


3年生が部活を引退する頃に私は生徒会に立候補し、
放課後は生徒会室に行き、できるだけ部活に参加しなくてもよい状況を無意識に作るようになっていった。
同時期には腰と膝に怪我を負って、部活に行っても筋トレとストレッチだけを行うリハビリの時期が続いた。
部活にも行かず、行っても走れぬ私に、無慈悲なその子の行動はエスカレートする一方だった。

思い出すだけで悲しくなる、胸がえぐられるような気持ちになる。


1年の時の担任に1度だけそのことを相談したことがあった。
「仲良くしなさい」
そう言われて、2年になり、同じクラスにされた。

私は「教師」という存在が信頼できない。
こういう状況をトラウマというのだろうか。

2年の夏になり、1年の任期を終え生徒会という私の逃げ場所の終わりが近づいていた。
もちろんさらに1年、翌年の夏の引退までの安寧の地を手に入れるため立候補。
「思春期」真っ盛りな中学生。生徒会に立候補する稀有な人間は数少ない。
無事に私は逃げ場所をさらに1年得ることができた。

放課後は、生徒会室でギリギリまで毎日空き缶を潰したり、生徒会新聞を制作することで時間を稼いでいた。
そんな折り、リハビリの甲斐あって少しではあるが走ることが許可された。
実に半年ぶりに部室に置き去りになっているスパイクに思いを馳せて、少し早めに生徒会業務を切り上げ部室に向かった。


ない。


なかったのだ。
私の定位置にあるはずの、履きたくても履けなかった、大事な、スパイクがない。

「あははっ」

部室の外から嫌な笑い声が聞こえた。
すごく嫌な予感がした。

予感というのは尽く哀しい予想通り当たるもので。
数年使われていない蜘蛛の巣だらけの、ホコリだらけの誰も使っていない部室奥の棚の中。私のスパイクは投げ込まれていた。
怒りに震えた。
振り返ると、その子と目があった。
高らかに笑っていた。
あの時のあの顔、人を貶めて楽しむ歪んだあの顔を、一生忘れることはない。

そんな2年の秋だった。


2年の終わり。
何の抵抗もせず、ただひたすら自分を押し殺し、走る楽しさなんか遠い日に忘れて、耐えるだけの日々。
そして爆発した。

正当なやり方で、公平な場で戦うことを決意した。
まずは今までの出来事を思い出せる限り、顧問に話した。
涙など我慢できるはずもなく、咽び泣きながら全てを抗議した。
何故なのか。私なのか。耐えなければいけないのか。
3年になる頃、部員全員の前で顧問の口から説教がなされた。
心地よかった。
その子の悔しそうな顔を見つけた時にはざまあみろと思った。

しかし、まだその子の中では、何かは収まらないようだった。

結果引退まで、その子は歪んだ心で、懸命に私を攻撃し続けた。


せめてもう一度、卒業式を迎えるまでにもう一回だけ。
どうしても抵抗したかった、私自身の意思を持ってその子に直接何かを投げつけたかった。

最後のチャンスは突然巡ってきた。
文章を書くことは昔から、大の苦手で、大嫌いだった。
特に「作文」は書きたい題材などなく毎回苦行のように感じていた。

3年の秋。部活動引退後のタイミングで、
「中学生の今、自分のありのまま」を作文にする課題が出された。

ここしかない。と、そう強く思った。

20文字×20文字の小さな用紙2枚に、
たった800文字以内に、
私の覚悟と疑問、強い思いを書き連ねた。

2年半もの間怯え続けた、耐え続けた、泣き続けたその事実を、
精魂込めて何度も迷いを消しゴムでこすりながら書き上げた。


またしても意図して同じクラスにされた3年の時のクラスで、
30数名の前で、
高らかに、しかし、念入りに、その800文字の懺悔を読み上げた。
泣きそうになった。


何故中学3年間の中で大部分にこんなことしか残らなかったのか。
その子だけはいつも笑って過ごせたのか。
周りの目を気にして誰もわたしに手を差し伸べなかったのか。
自分自身でここまで何一つ解決できなかったのか。
悔しくて、情けなくて、非力で。
おめおめと負けてやることは絶対にあってはならないと。

その子はずっと下を向いていた。

それだけでも、心が軽くなる感じがした。


読み終わった後、クラスが一頻り沈黙を保った。

1つ、
3年の時の教師とクラスメイトに感謝していることがある。
クラス代表に選んでくれたこと。
それだけでもう私の2年半には何か意味があったと、報われたと思った。

正直、クラス代表として全校生徒の前で読むには荷が重すぎたが、部活内の何人かがその後謝罪してきたことで何だか全てが馬鹿らしく思えた。


走りたい。その気持ちだけで入部した部活。

小6で感じた50メートルの快感が、私の中学3年間を奪って行った笑い話。

ここに、文字として書ききれない思いと事実がまだまだ心にこびりついている。


成人式には出れませんでした。
12歳から15歳の黒い何かは5年かそこらでは払拭できない。

正直今でも払拭できてるのかは定かではありません。

楽しい部活動を過ごせなかった。
たったそれだけだけど、私を大きく成長させてくれた。
きっとその事実は間違いない。

同時にこびりついて取ることができない、深くにある何か、これも事実。


小説みたいな書き方をしてしまったけれど、紛れもなくこれが私の「部活動」に対する思い出。

Saeka.

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